271.だいじょうぶマイプリンセス、
「やはり居られましたね」
金色の少女によって、すでに破壊されていた展望窓から飛び込んできた機械化兵が、仮面を開きながら、ため息まじりに声をかける。
「サンドル、お前か」
メキア女王が座る椅子の傍らに立ったマイスが返事をする。
「どうして、女王さまを安全な場所にお連れしないのですか、義兄さん」
その言葉にマイスの口元が緩んだ。
貴族の父と、平民女性の母の間に生まれた庶子であることを強く意識する義弟は、遠慮してめったに彼のことを義兄とは呼ばない。
そう呼ぶ時は、大貴族の嫡子でありながら、何かにつけて偏屈、奔放な行動をとるマイスをきつく諫める時に決まっている。
「彼を怒らないでください、サンドル。わたしが、空を覆う黒い虫と、それを鮮やかに退治してまわる魔女たちの戦働きを見たいと我儘をいったのです」
そう言って、メキアは、眼にハンドルのついた眼鏡を当てて空を見る。
「ニューメアのキルスがくれた舞台眼鏡です。眩しい光が当たると自動的に暗くなるので便利ですよ」
彼らが話をしている間も、荒野の上空では、魔女たちが華麗に空を飛び回り、鮮やかなオレンジ色の光が、花開くように輝いている。
「メキアさま、早くお逃げください。あの兵器、ホイシュレッケと呼ぶそうですが、あれは危険です」
「慌てることはないでしょう。現に魔女たちが、ああやって虫を防いでいるではないですか」
「敵の数が多すぎます。いま、魔王が、あの虫を止めるために戦車に向かっていますが、その前にここを攻撃されたらどうにもなりません――虫を操るのはサンクトレイカですね。そして、私たち西の国は、彼らと敵対するアルメデ女王と同盟を組まれたのでしょう?」
「そう――ルミレシア女王が先に裏切ったのです」
マイスがうなずき、
「義弟のいうことも、もっともです。そろそろ、例の乗り物、モノ・キャリッジで邸宅へ戻られたほうが良いでしょう」
「あっ」
オペラグラスを眼に当てた女王が短く叫んだ。
「魔女が突然動きを止めて、殺されてしまいました。もうひとりの魔女が助けに向かいますが、間に合わないでしょう」
「彼女たちには、定期的に意識を失う病気があるようなのです」
マイスが残念そうに言う。
「魔女も女王も、病には勝てませんね」
「あの病気は、治すことができるとアルメデ女王は約束されました」
「そうでした――ああ、今度は黒紫の魔女です。あの自在に伸びる身体はどうなっているのでしょう。皆を助けて、無事地面に降りたようですね」
「ホイシュレッケも止まってます。魔王がやったのでしょうな」
「あの男なら、すぐに戦車も制圧してしまうでしょう」
そう言って、メキアは浮かしかけた腰を椅子に戻した。
「でも、あの科学者、よくもあれほどの数の兵器を作りましたね」
「とにかく、数が力だと思っているのでしょう」
「コラドなら考えそうですね」
その言葉を聞いて、マイスは奇妙な形の髭を捻りながら、考え考え言う。
「しかし――やはり脱出の準備をした方が良いかもしれませんな」
「どうしました、マイス」
「わたしが、あの男の立場なら、もう一つぐらい奥の手を用意しておきますので……」
「あなたなら、そうでしょうね」
突然、地響きがしてバルコニーが揺れ始めた。
「何事です」
地震の少ないアラント大陸では、地面の揺れは想像以上に人に恐怖を与える。
「あれを見てください」
サンドルが、ディスプレイを指さす。
そこには、地面から湧き出る、無数の黒い蟻の姿が映っていた。
ドッホエーベを取り囲む、広大な大地から染み出るように現れた黒い兵器が、地表を覆っていく。
黒い染みは、すぐにドッホエーベの崖に到達し、荒野に向けて、液体が流れ落ちるように下り始めた。
「やはり、奥の手を隠していたようですね」
マイスが、呆れたように嘆息する。
「いけない、ここにもすぐに、あいつがやってきます。義兄さん!」
「おまえは、メキアさまを連れて、アルメデさまのところにいきなさい」
「あなたはどうするのです」
「わたし、ですか?」
マイスは芝居がかった大仰なお辞儀をして見せた。
「ご心配いただきありがとうございます。女王さまもご存じのとおり、わたしは常に次の手を講じておりますので、ご心配なきよう」
メキアは美しい眼を釣り上げる。
「そうでしたね。あなたはそういう男です」
「お褒めの言葉、感謝いたします」
そう言うと、笑わない眼で義弟を見て続けた。
「女王を頼みますよ――サンドル・フィン・ノアス」
はっと、義弟が兄を見る。
「義兄さん、あなた――」
「行け、そして女王を守れ」
その言葉に、彼の義弟は、しっかりと頭を下げた。
「命に代えましても――失礼します」
「マイス」
メキアが声をかける。
「死ぬことは許しません――命令です」
サンドルは、硬化外骨格の力で軽々と細い女王を抱き上げると、バルコニーから飛び出した。
マイスは、身を乗り出して、黒い絨毯がまだ及んでいない塹壕付近に、ふたりが降り立つのを確認する。
身体を戻すと、腰に手を当て、うんと伸びをしてマイスはつぶやく。
「さて、どうしましょうか」
幼馴染の女王に、策があると言ったのは嘘だった。
そうしないと、意外に情に厚いメキアは、彼とともにここに残ると言いかねなかったからだ。
ノアスは、再び大きな伸びをすると、奇妙な髪型の頭をかいた。
王女病に怯える女王が、見るたびに馬鹿にして笑えるように、趣向を凝らした髪型と髭だ。
ぞわぞわと音を立てて通路から近づいてくる蟻の足音を聞きながら、常に心の中で言っていたが、口にしたことは一度もない言葉を声にする。
「可愛いノキア、美しいノキア、気の強いノキア、怖がりで泣き虫のノキア……わたしがいなくなっても、あなたから笑顔がなくなりませんように――」
それは彼が15歳の時だった。
王宮に呼び出され、馬鹿げた大人たちの愚かな顔を見るのが嫌で、供の執事の眼をくらまして空中庭園に逃げ出した時、マイスは初めて少女と出会ったのだ。
藍色の髪、緑の眼、人形のように白い肌――およそ、この世界で見たことのない組み合わせを持った少女は――大きな目から大粒の涙をこぼしていた。
その日、彼女は意地悪な乳母の一人から、初めて王女病について知らされたのだ。
髪の色から、それが王女であることを知ったマイスは、少女の前に跪いた。
「わたし、醜くなって死ぬの。でも、でも死にたくないの、絶対に」
子供らしい素直な言葉に、笑顔になったマイスは、少女の手に唇を当てて誓ったのだ。
「だいじょうぶ。僕が、あなたをお救いします。お姫さま」
15歳で、8歳の王女に会って恋に落ちてしまった、この利口で小器用で偏屈で、歪んだ性格の大貴族の嫡子は、その才能と財力と時間のすべてを使って、ノキア王女の不安を乗り除き、彼女を苦しめる王女病の運命と戦ってきたのだった。
17年前に素体を作ることを勧めたのも彼だった。
もちろん、それが倫理的に問題があることは分かっていた。
だが、彼が常に第一に考えるのは、ノキアの幸せだ。
それ以外のすべては、彼の命も含めて、はるかに優先順位が下の些事なのだ。
そして、今日、高位魔法を極めたニューメアのアルメデ女王が、王女病が治ると断言した。
それで、彼の役目は終わったのだ。
できれば、王女病から解放されたメキアの笑顔を見届けたいが、それももう叶わないことだった。
さっき、女王の前で、義弟を貴族称号のフィンをつけて呼んだことで、ノアス家の家督は正式にサンドルに引き継がれた。
もう思い残すことはない。
ぎちぎちと音を立てながら、扉から黒い蟻が溢れだし、足元へ近づいて来る。
それを見て、マイスは髭をひと撫でし、笑った。
「最後に面白いものも見られたし、まあ、悪くない人生でしたね」




