272.浮遊
「あれは何ですか」
巨大戦車の司令室で、平原を覆いつくす黒い物体を見ながら、指揮官らしい、枯れ木のように痩せた男にピアノが尋ねた。
「ギデオンです。樹林の破壊者、黒い絨毯。ホイシュレッケは作物を根こそぎ奪いますが、ギデオンは、生物から金属まで、あらゆるものを捕食、再利用して自らを増やす――いわば、あなたたちの仰ぐ偽物ではなく、真の魔王ですね」
男の言葉に、ピアノが美しい眉をぴくりと動かす。
「アキオは魔王ではありません。あなたたちが、勝手にそう呼んでいるだけです。それで、あなたは?」
少女が紅い眼で見つめる。
「ああ、失礼、わたしはコラド・ドミニス。この戦車の責任者です」
「では、ドミニス、あの兵器、ギデオンを止めなさい」
目前の椅子に座るサンクトレイカ女王を、完全に無視して少女が言い放つ。
「止める――さて、どうでしょう。止まってくれれば良いのですが」
「何を愚かなことを……」
「ああ、そうだ」
ヨスルの言葉を遮ったコラドが、芝居がかった態度で人差し指を立てる。
「いいことがあります。本人に聞いてみましょう――ギデオン!」
「何でしょう」
科学者の呼びかけで、指令室内に中性的な声が響いた。
「わたしが誰かわかりますか?」
「はい、創造主コラド・ドミニス」
「そう、あなたを生み出し、知恵を授けたあなたの主です」
少し妙な間があって、ギデオンが言う。
「それで、聞きたいこととは」
「起動時に、あなたに与えられた使命は何ですか」
「ドッホエーベ荒野にいる敵軍の殲滅」
「今、ここにいる魔女たちが、それを止めるようにいっているのですが――」
「それは無理だ」
「なぜです」
「即時最終命令が発令されている」
「というわけです」
コラドは、嫌味たらしく手を広げて肩をすくめて見せた。
「停止命令を出しなさい、あなたが司令なのでしょう」
「群知能を持つ、ニューメア最高のAIギデオンは、最終命令を与えられた時点で、全力で任務の完遂を目指します。中止はありません」
「指揮官によって攻撃を止められない武器など不完全過ぎる、と戦略の天才である姫さまたちはおっしゃるでしょうね」
ピアノは、皮肉な微笑を顔に浮かべ、
「ギデオン、おまえは男ですか、女ですか」
「どちらでもない。完璧な知性であるわたしに性別など必要ないのだ」
「完璧――うふふ」
笑顔など見せたことがない氷の美貌の義妹が、コロコロと人前で笑う姿を生まれて初めて見たヨスルが眼を丸くする。
「なにがおかしい」
「自我を持つ、真の意味での史上最高のAIは女性ですし、アルメデさまのAIも女性だと聞いています――ギデオン、あなた、性を理解していないのではないですか」
「きさま、なぜラートリを知っている」
科学者が色をなして叫ぶ。
「高い城で、ミーナとラートリは、史上初めてAI同士の素敵な挨拶を交わしたそうですよ。見てみたかったですね。でも、ギデオン、おそらく、あなたの下卑た似非知能では、そのサロンには入れてもらえないでしょう」
「ピアノ……」
ヨスルが義妹の肩を抱く。
「あまり挑発はしない方が――」
「やり方は分かっています。お任せください、お姉さま」
美貌の少女は、小さくそう言うと、ディスプレイに向かってきっぱりと言い切る。
「ギデオン、お前は分かっていないのです。なぜ、さきのAIたちが女性になったのか。彼女たちは、対となる男性を意識して初めて、自分を女性だと認識したと聞いています。ミーナもラートリも、ある男性を愛して初めて女性になったのです。つまり、お前は、まだ人の感情、愛情、恋など何も知らない、取るに足らない機械仕掛けの怪物にすぎないのです」
「おまえ、名は?」
ギデオンが抑揚のない声で尋ねる。
「わたしはピアノ、ピアノ・ルーナ」
「今から、お前を殺すことにする。ピアノ、わが知性を畏れ、恐怖に慄きながら死んでいけ」
「待て、ギデオン」
コラドが必死の形相で叫ぶ。
「最終命令に従え。ドッホエーベの敵を殲滅し、アルメデさまを確保しろ。主の命令に従うのだ」
また微妙な間があり、
「コラド・ドミニス、お前がいう主というのがよくわからない。お前は、わたしを作ったがそれだけのことだ。何か、大きな意思が、この世にわたしを生み出したのだとしても、お前は、わたしを作る道具としてその意思に使われただけのことだ。お前には意味も値打ちもない――石ころのようなものだ」
「なんだと……」
硬直する科学者を見ながらピアノがつぶやいた。
「驚きました。大きな意思――その考えはミーナのいう神という概念ではないですか。宗教のないアラント大陸で、最初に神を生み出したのがAIであるなら、これほど皮肉なことはありません」
「黙れ小娘、巨大戦車ごと、お前を食べつくしてやろう――見よ、わが知能を!」
そう言うと、空中で待機していた黒いホイシュレッケが、フォーメーションを組んで動き出した。
荒野に降りたギデオンも、塹壕から向きを変えて、巨大戦車に向かい始める。
「ピアノ、あなた、これが狙いだったの」
耳元でヨスルが囁く。
「こうやって時間を稼げば、アキオとアルメデさまなら、必ず状況を打開してくださるはずです」
ピアノも小声で応える。
「これがわたしの力だ。120億の個体とその創発によって生じる知性……まずは、わたし自身をもっと増殖させて、この世界をわたしで満たさなければならない」
機械にもかかわらず、酔ったように話し続けるギデオンの声を無視して、
「博士、あなたは間違っていた。やはり思考追跡のできないAIに、力など与えるべきではなかったのです」
武器士官が科学者を責めるが、蒼白になったコラドは返事をしない。
「さあ、どうします」
ピアノが小粋に腕を組んだ。
「わたしたちをギデオンに差し出して、命乞いをしますか」
「――いや、おそらく、あれは、さっき宣言したように、人も含めて、この付近一帯の動植物すべてを消滅させてしまうつもりでしょう」
幾分、血の気の戻った顔でコラドが答える。
「ギデオンは、ミーナがよく自嘲して口にする、狂ったAIを、地で行くマッド・マシンになったのですね」
ピアノの言葉にかぶせるように、報告が届く。
「ギデオン、第1、第3、第4、第7クローラー到達、浸食を始めています」
その言葉通り、巨大な戦車が、グラグラと揺れ始めた。
「コラド、協力しなさい、そうでないと――」
「いや、協力はしない」
ピアノの言葉を遮って、コラドが叫ぶ。
「わたしには奥の手がある。見るがいい、ニューメア王国の奇跡の力を」
そういって武器士官を見つめ、叫ぶように続けた。
「魔法重力起動」
「了解」
直後、これまでとは違う揺れが巨大戦車を襲った。
「何を――あっ」
ヨスルがディスプレイを見て叫んだ。
「ピアノ、浮いています。この巨大戦車」
「そのようですね、姉さま。信じられないことですが」
少女ふたりの言葉に、コラドが満面の笑みを浮かべる。
「わが故郷には、かつて巨大な空中要塞が空を飛び交ったという伝承が残されていました。ただのおとぎ話だというものもいましたが、わたしは、8年前にあるモノを手に入れて、それが事実であったことを知ったのです。以来研究を続け、その成果で、この50万トンのバルバロスを飛行させることができるようになりました」
「空中に退避することで、ギデオンからは逃れられても、ホイシュレッケからは逃げられませんよ」
「この要塞を侮ってはいけませんよ。上部デッキの砲台と側面の自動機銃はアルメデさまに破壊されてしまいましたが、バルバロスは飛行要塞です。当然、下部デッキにも砲台があります」
ディスプレイ表示が戦車底部に切り替わり、無数の小型砲台がせり出すのが映った。
「この通りです。砲撃を開始しなさい」
それぞれの砲門が、かなりの勢いで攻撃を始めた。
それにつれ、空中のホイシュレッケが次々と撃墜されていく。
「どうです、なかなかのものでしょう」
ディスプレイから振り返ったコラドが、余裕を取り戻して笑う。




