268.黒蟻
「皆はどこじゃ」
シミュラの質問にユイノが答える。
「荒地の塹壕に」
「わかった」
黒紫の魔女の言葉で、少女たちを乗せた噴射杖は大きく旋回した。
「あの黒いのが止まってくれて助かった。あやつが暴れているから近づけなかった――あれじゃな」
そういって、土から透明な膜が覗いている塹壕に近づき、ゆっくりと着地する。
破裂音がして、塹壕のナノ・コクーンが消滅し、中からアルメデが飛び出してきた。
スカーフは取り去っているが、顔の傷はまだ少し残っている。
「ユイノ!」
「あたしは大丈夫、腕一本だけさ、もう再生が始まってる。でも――」
少女が片手で抱えているミストラを、アルメデが優しく受け取った。
そっと地面に寝かせて、バイタルをチェックする。
ユイノがその横に座った。
「ミストラはどうなのじゃ」
シミュラの質問に、アルメデが顔をあげる。
「肺と心臓は無事、切断面には、シジマが皆に装備させた緊急コクーンが展開しているから、出血は最小限に抑えられています。大きな傷ですが、ナノ・マシンの働きで体調は安定していますね」
「意識がなくてよかったのう」
「い……え、シミュラ、さま」
ミストラが眼を開ける。
「おぬし、気がついていたのか」
「AEBが自動で働いて、意識は回復しているのですよ」
アルメデはシミュラに説明し、傷ついた少女たちの髪を撫でる。
「ありがとうミストラ、ユイノ、ふたりのおかげで塹壕は守られ、アキオたちがホイシュレッケを停止させることができました。これで、ほぼ、わたしたちの勝利が確定しました」
「あの、大きい奴は?」
シミュラが巨大戦車を指さす。
「あれはバルバロスというそうです。さっき、アキオから連絡がありました。主砲は破壊しましたから、それほどの脅威ではないでしょう。ピアノとヨスルが、指令室を制圧に向かっています」
「アキオは行かないのかい。ふたりで大丈夫かねぇ」
「彼は、いま、ここに向かっています――大丈夫。ピアノとヨスルには、頼りになるバックアップを向かわせましたから」
一陣の風が巻き起こり、シミュラとユイノの髪を吹き上げた。
そのあとには、アキオが意識のないヴァイユを横抱きにして立っている。
「ミストラ、ユイノ」
ヴァイユをふたりの隣に寝かせると、アキオはかがみこんで、少女たちの頬に手を当てた。
「無理をさせた」
「いいんだよ――あたしは……」
「ふたりとも、バイタルは安定しています」
背後からアルメデが声をかける。
アキオはうなずいた。
緊急コクーンと体内のナノ・マシンで、少女たちの身体は命に別状はないはずだ。
問題は、本来、身体を守るべき地球型ナノ・マシンで引き起こされるキラル昏睡のほうだった。
髪抑えから送られる情報を見ても、少女たちの最終的な脳波停止の時期はすぐ近くまできている。
「アキオ、ヴァイユは」
ユイノが尋ねる。
「キラル昏睡だが、すぐに意識を取り戻すはずだ」
「ア……キオ」
彼は、自分の腕に手が触れるのを感じた。
ミストラが、震える指先で彼をしっかり捕まえている。
「無事……でしたか」
その言葉に、全員が衝撃を受けた。
傷ついた少女は、わが身より先にアキオの身体を案じているのだ。
「大丈夫だ」
「わたしは……役に……立ちました、か」
「ああ」
どん、とアキオの背中にぶつかるものがあった。
シミュラだ。
するすると彼女の手が、アキオの指に絡みつくと、生き物のように動き出す。
指話だった。
<バカもの、もっと優しい声をかけてやらんか。まずは、わたしのいうとおりに話せ>
「君が頑張ってくれたおかげで、皆が助かった。もちろん俺もだ」
「よか……った、アキオの役に立てて」
「だが、君には、まだやることがある。意識をしっかり保つんだ」
「は……い。でも、もう……体も半分になって……」
「そんなものは、すぐに治る。早く元気になって、もう一度、温かい君の体を抱きしめさせてくれ」
茫洋としていた少女の表情が、ぱっと花が咲いたように明るくなる。
「まあ、あなたがそんなことをいってくれるなんて――嬉しい、アキオ……顔を、眼を見せて」
少女の願いに応えてアキオが顔を近づける。
「ああ、その眼――血を流しながらゴランから守ってくれた時と同じ色……英雄さま……あの夜からずっと、わたしは……」
少女は眼を閉じた。
その眼は再び開くことはなかった。
バシュッと音がして、ミストラの体全体が灰色のコクーンに包まれる。
アキオはミストラを包んだ繭に手を触れ、頭を垂れた。
「どうなったのだ」
シミュラの問いに、アキオが険しい顔になる。
「ナノ・エンバーミングを利用した仮死装置、停滞コクーンだ。これで肉体は保存できるが、キラル症候群の脳波停止は止められない」
「壕内で、ユスラも同じ状態になっています。あなたと出会った時を思い出しながら昏睡に――」
アキオは壕に飛び降り、繭越しにユスラに触れた。
「仮死装置は、どれぐらいもつのじゃ」
シミュラが尋ねる。
「長くて数時間だ。急いでデータ・キューブを――アルメデ」
「あれです」
女王が塹壕内のキューブを指さす。
「よくやってくれた」
アキオはデータ・キューブに手を触れた。
探し続けていたものが、やっと手元に戻ったのだ。
あとは、一刻も早く倒れた少女たちを連れて、ここを離脱し、キューブ内のカヅマ博士のデータを使って、キラル症候群を治療すればいい。
だが、運命は容易に彼らに勝利を掴ませてはくれなかった。
最初は静かに、そして、だんだんと激しく地面が揺れ始め、遠くで地鳴りがなり始める。
アキオが壕から出てくる。
「なんじゃ、この揺れは」
シミュラが叫び、アルメデは、地面に突きった単眼索敵装置に近づいてパネルを開け、操作した。
カメラ付きの噴射杖が、空高く飛び立っていく。
「アキオ、受信画像はあそこに」
女王が壕内に投射される映像を指さす。
「上空1キロに到達。調査を――」
送信された映像が映り始め、それを目にしたアルメデが絶句する。
「――あんなものを……作っていたのですね」
それは、ドッホエーベを取り囲む平原を数十数キロに渡って取り囲み蠢く、黒い絨毯だった。
それが、ドッホエーベの崖から中になだれ込もうとしている。
「あれは――」
「黒い絨毯です」
アルメデが顔を強張らせ、アキオが続ける。
「旧南米のヌエバ・グラナダ戦線で、アマゾンからやって来たのを見たことがある」
「さすがはアキオです。よく生き残りましたね。水ですか」
「水戦争の前だったが、当時も水不足で、ダムを破壊して殺すことはできなかった」
「それでは――」
「カケタの石油タンクを破壊して焼いた」
「アキオ――あなた、コロンビア火海にいたの!本当に歴史の証人なんだから」
「ええい、ふたりだけで話すのはやめよ。いったい、なんじゃ、そのマラブンというのは」
「アキオの記憶で見ませんでしたか」
「300年の記憶を全部みることなどできぬからな」
「安心しました」
「どういう意味じゃ」
その言葉が聞こえなふりをして、女王は続ける。
「マラブンタとは、アマゾンの核融合炉実験施設が、ナトリウム爆発を起こして生まれたミュータント蟻の名です。この世界でいうヨナスですね。ただし、その繁殖力、数が凄まじい。100億に迫る集団で、あらゆる食べ物を食い尽くす数の化け物です」
「で、あれは――」
「それをもとに作られた兵器です。危険すぎるため、ニューメアでも構想にとどまっていたはずなのですが」
「おぬしに黙って、誰かが作ったのじゃな――危険すぎるというわりには、おぬしたち落ち着いているように見えるが」
「あれは空を飛べないし、移動速度も速くありませんから」
「なるほど、国として責められたら恐ろしいが、戦に出張っている我らには大した脅威ではないということか。では皆を呼び集めて、早々に――」
「でも、そう簡単にはいかないみたいだよ」
ユイノが空を見上げてつぶやく。
ドッホエーベ上空では、一度は静止したホイシュレッケが、新しいフォーメーションを組んで動き始めていた。
「どうやら、あの蟻がイナゴをコントロールし始めているようじゃな」
「空に蓋をさせると危険ですね――ニューメアの青写真が正しければ、あの兵器の開発名は」
アルメデが暗い声で続ける。
「樹の伐採者です」




