260.誤解
「頭頂骨骨折、及びそれにともなう脳挫傷、左上腕腕骨単純骨折、右肩甲骨骨折、内臓損傷もあり……」
「要するに死にかけているということだな」
頭の上から声が聞こえる。
キルス宰相、つまりカイネという少女の声だ。
「治療はどうしましょう」
「好きにしろ」
「は?」
「何もかも終わった。今さら、この者の話など聞いても仕方がない。好きにしろ」
その声を聴きながら、クルアハルカは気を失った。
「気が付いたかね」
次に意識が戻ると、マスクをつけ、茶色の眼をした医師が彼女を上から見つめて話しかけてきた。
「あ……」
「話さない方がいい。一応、骨の位置は元通りにして仮固定をしてあるが、動けばすぐにずれてしまうし、傷ついた内臓も治療はしたが、元通りになる保証はないんだからね」
ハルカは、必死で言葉を発しようとするが、激痛のために、呻き声しか出ない。
「しかし、なぜ、こんなことを……アルメデさまにそっくりなのは、医学的に顔を作り替えたからかな」
その言葉からわかるように、この人の好さそうな男は、彼女の顔を変えた医師ではない。
名前は知らないが、あの医者は、枯れ枝のように細い不気味な男だった。
「女王に変装して高い城にもぐりこむなんて、愚かなことをしたものだな」
その言葉で、この医者がキルス宰相の正体が、カイネという少女であることも、本物のキルスが再生しつつあることも、知らないことがわかる。
「な……ぜ」
「どうした」
ハルカは全身を駆け巡る痛みに耐えて言葉を続けた。
「助ける」
男はマスクを外した。
無精髭を生やしてはいるが、意外に整った顔がその下から現れる。
「わたしは医者だからね。目の前にけが人がいれば、犯罪者でも助けるのさ」
「キル」
「なんだ」
男は顔を近づける。
「キルス宰相は……どこ……呼んで」
「宰相は出かけられたよ。君は、余計なことを気にしないで、ゆっくり休むんだ」
そう言いながら、男はハルカの腕に点滴の針を刺す。
「そのパックが全部入ったら、次の薬剤パックに交換する。動けないから大丈夫だと思うが、絶対安静だぞ」
そういって、部屋を出て行く。
眼を閉じて靴音に耳を傾けていたハルカは、男がいなくなると呻きながら身体を起こした。
点滴の針を引き抜く。
退出時の自動扉の作動音で分かったが、あの医者は部屋にロックをかけていかなかった。
さらに、理由は分からないが、カイネは重罪人であるはずの自分に、見張りの兵士すらつけていない。
ハルカは、床に降り立った。
痛みのあまり、目の前が赤くなってよろめく。
カイネが演じるキルス宰相は、何もかも終わった、といった。
それは絶望の言葉だ。
つまり、彼女は、本物のキルス宰相が、生きて再生を始めていることを知らない。
一刻も早く、それを伝えなければならないのだ。
だが、カイネは出かけてしまったらしい。
いったいどうすればよいだろう。
彼女は、さっき話をした医者の落ちついた茶色の瞳を思い出す。
できれば――彼に事実を話して、手伝ってもらいたい。
だが、犯罪者の自分の言葉を、簡単に信じてもらえるとは思えない。
まして、その内容が、20年にわたり宰相として働いて来たキルスが、実は女性であり、本物は体の大部分を失って眠ったままであった、というのだから――事実とはいえ、あまりに荒唐無稽過ぎる話だ。
ハルカは、病室の時計を見た。
女王と出会ってから、3日近く経っている。
あのままの状態であったなら、傷ついたキルスは、かなり回復しているだろう。
意識が戻っているかもしれない。
ハルカは、女王の言葉を思い出す。
――キルスは死んでいません。彼を蘇らせるには、カプセルを破壊し、一度、仮死状態にしてから熱を与えることが必要なのです。そのためにバッテリー・パックを使っていますが、回復を早めたいなら、より多くの熱を与えなさい。
だが、もし、カイネが、彼を死んだものと思って――先ほどの言葉から考えて、その可能性の方が高いと彼女は思う――バッテリー・パックを外していたなら、キルスは回復せず危険な状態かもしれない。
そうであるなら、カイネの帰りを待って事実を話す時間はないだろう。
女王さまも、キィもそしてミーナも、彼女に後のことを頼んで城を出たのだ。
彼女たちとの約束を破りたくはなかった。
自分は、傭兵団の長、月鬼姫の娘なのだ。
こうなったらやるべきことはひとつだ。
キルスを見つけて眼覚めさせ、カイネに自分たちが彼を殺そうとしたのではないことを示すのだ。
だが、キルスはどこにいるのか――
彼が死んだとカイネが考えても、その遺体は、公にはできないはずだ。
ならば、キルスはもとの部屋に置かれている可能性が高い。
ハルカは、ふらつきながら壁まで歩き、ドアの開閉スイッチを押した。
シュッと圧縮空気の抜ける音がして扉が開く。
廊下には誰もいなかった。
少女は通路に出ると、壁伝いに歩いて端末を見つけ、それに手を触れた。
現在地を確認し、キルスの部屋までの順路を調べる。
クルアハルカは、人気を避けながら、這うような速さで通路を進んでいく。
125階へ、あの部屋へ――
傷口が開いたのか、彼女の歩いた後には点々と血痕が続いていた。
やっとエレベーターにたどり着くと、ボタンを押して中に乗り込んだ。
パネルに触れて階数を指定し、扉を閉めようとしたとき、大きな手がそれを止め、閉まりかけた扉が開いた。
「どこに行く!」
鋭い声がかかり、彼女の腕が乱暴につかまれる。




