242.塹壕
「大丈夫か」
顔を泥だらけにした魔法使いが、魔王に殴り倒された仲間に走り寄る。
「どうだ」
魔法部隊の隊長であるヨスルが泥を拭きながら尋ねる。
「全員、気絶していますが生きています。骨は折れているようですが――」
「本当か」
「はい」
ヨスル・ド・コントは信じられない気持ちで、赤い馬に乗って荒野を駆ける魔王を見た。
穂先のない槍らしきもので、巨大な強化兵を殴りつけ、両断し、空中に跳ね上げる様子を見ても、魔王の力が尋常でないことは分かる。
普通に考えて、雷球が撃てるという以外、ただの人間である魔法使いたちが、魔王に殴られて気絶だけですむはずがない。
明らかに手加減されているのだ。
たったひとりに、1万の兵と9万の機械仕掛けで戦に臨む相手に対して、手加減をする理由がわからない。
まして、相手は、人の命を虫ほどにも感じないといわれている魔王なのだ。
「被害はどうだ」
背後から声を掛けられ、振り返ると、硬化外骨格部隊の隊長であるノラン・ジュードが、常に影のように付き従う美形の女剣士と共に立っていた。
ヨスルは、魔法部隊200名のほとんどが戦闘不能になったことを告げる。
「つまり、戦闘不能にはなるが、死んではいないのか」
ノランが確認する。
「そう――だけど、あれは本当に魔王なの。確かに信じられないほど強いけれど、それほど悪いものには思えない」
「以前に戦ったことがあるのでしょう」
美貌の剣士が尋ねる。
「ああ、シュテラ・ナマドで。だけど、今の魔王は、あの時よりはるかに強い――雷球を撃つ間隔を変え、槍を併用して追い詰めようとしても、あのように避雷器を使われてはどうしようもないわ」
言ってから、ヨスルは初めて気が付いたように尋ねる。
「こんなところに硬化外骨格部隊の隊長がいていいの」
「妙な赤馬で、あんなふうに素早く動かれては捕まえようがないからな。いまは、サンドルのI部隊に相手をさせて弱るのを待っているところだ。時間ならある。戦闘用補助脳は共有化されているから、もうすぐ全員が魔王の動きに対応できるようになるだろう」
その言葉の中に、ある種、苦さを感じてヨスルはノランの顔を見た。
彼の背後で女剣士が首を横に振る。
「異なった兵士の経験が一つにまとめられて、それをもとに勝手に身体が動くようになる……魔法使いのわたしがいうのも変だけど、高位魔法とは正しく魔法ね――そろそろ、機械化兵もすべて倒されるわ」
ヨスルは、300名近くいたI兵士の、残り少ない兵士が、細い糸で切断されていくのを見て言った。
「確かに、全滅は時間の問題だな」
新たな声がして、I兵士隊長のニル・サンドルが現れた。
彼は身体を機械化せずに、ノランと同じ硬化外骨格の装備を身に着けている。
「指揮をしなくていいのか」
ノランの問いにサンドルは苦笑いする。
「予想はしていたが、身体を捨ててまで強くなりたがる戦闘狂たちは、わたしの命令など聞きはしない。それぞれが勝手に魔王に襲い掛かってやられている。ただ、不思議なことに――」
「なんです」
ヨスルが尋ねる。
「わかるさ。誰も死んでいないんだろう」
ノランの言葉に、サンドルが驚いた顔になる。
「知っていたのか」
「お前の幼なじみのアレクから始まって、今回の戦闘でI兵士は身体こそ破壊されているが、頭を潰されたものは一人もいないからな」
「その通りだ。硬化外骨格はどうだ」
「申し訳ないが、あんたの部下が集めてくれる戦闘用補助脳のデータを待って攻撃しようと待機させていて、現時点では、先走った奴らを除いてほとんどが無傷だ。ライフルを使った遠距離攻撃をしている」
そう言って、ノランは離れた位置から魔王を狙撃する兵士たちを指さした。
弾丸切れらしい魔王からの攻撃を受けない代わりに、彼らの攻撃も、赤馬に乗って素早く動く魔王には当たってはいなかった。
「現場指揮官3人が、戦闘中にこうやって顔を突き合わせて話しているのも妙な感じだな」
サンドルがつぶやく。
「人と機械を合わせて10万の軍でひとりを相手していたら、こうなるわね」
ヨスルが言い、
「死者が出ていないから、こんな話ができるんでしょうね。本当に、あれはいろんな国で街や村を滅ぼしている魔王なの」
魔法使いの少女が疑問を口にする。
「そうでなければ、決して仲の良くない3つの国が力を合わせて連合軍を作る理由がないでしょう。それほど魔王は大陸にとって脅威なのです。また、事実、あの男は強い。強化兵より強靭でレイル・ライフルより速いのですから」
そういって、サンドルが口調を変えた。
「ライフルといえば、気づいているか、ノラン」
「ああ、さっきから、サンクトレイカの狙撃兵6500の攻撃が止まっている」
「崖の上にいたはずなのに、姿が見えないわね」
シェリルが仮面を装着し、遠視機能を使って崖上を確認した。
「サンクトレイカの動きには気を付けた方が良いかもしれない。あのメルヴィルという男はどうも――ああ、失礼、君の兄だったな」
サンドルが、紳士らしく頭を下げる。
「気にしなくていいわ。血はつながっていないし――確かにメルヴィルを信用しすぎると、背後から撃たれる可能性があるわね。義兄が最近、コラド・ドミニスと親しくしているのも気にかかるし」
「いずれにせよ、戦いはもうすぐ終わる。戦闘用補助脳のデータが揃ってきたようだ」
ノランの言葉通り、魔王の赤馬に、残り少ないI兵士が捨て身で放った電撃針が直撃し魔王が馬から放り出された。
「そろそろ俺たちの出番だな」
前に進もうとするノランの腕を、シェリルがつかんだ。
「本当にそれでいいの」
ノランは少女の顔を見る。
「いいさ。これが戦争だ」
「ずっと、アルドスの魔女の言葉を考えていたの――あの方は魔王に騙されてはいない。魔王はユスラさまのためにここに来ている。このままではいけないわ。ノラン。あなたは正々堂々たる騎士であるべきよ」
ノランはシェリルの腕を外そうとする。
「大人が、いつも子供の憧れどおりに生きられるとは限らない」
「わたしは子供じゃない」
「15歳の子供だ」
「ノラン、このままではいけないわ。この戦いには裏がある。だから命令通りに動く、ただの兵士でいてはいけないのよ。自分の考えで戦う騎士でなければ――何がユスラさまにとってもっともよいことなのかを考えて」
「離してくれ」
ノランは少女の腕を振り払おうとするが、シェリルは離さない。
「騎士ノラン・ジュード、考えて。わたしが初めてシュテラ・アルタであなたを見た時、あなたは異色眼の少女を美しいといって、冷静で公正な視点で彼女を救った。今のあなたにはそれがない。それではいけないのよ。でも――もっともいけないのは、あなた自身が、もう真実をわかっているのに認めないこと」
その時、崖から降りてきた無数のグレイ・ガーディアンの雷球が魔王に命中した。
続けざまに十数発の雷球を受けて、魔王の身体が青く輝く。
うずくまる漆黒の男に、数体のI兵士が遅いかかった。
次の瞬間、何が起こったのか、機械化兵が真っ二つになって吹っ飛んだ。
身体を部分的に銀色に染めた魔王が、残りのI兵士を破壊して、凄まじい速さで崖を登っていく。
突然、魔王が周りの崖ごと吹っ飛んで、地面に落下した。
「あれを見ろ」
サンドルの言葉に振り向いたノランの眼に、信じられないほど巨大な兵器が映った。
今まで、秘密裏に崖をえぐった空間に隠されていたのだろう。
兵器の頂点には、サンクトレイカの旗が翻っている。
巨大兵器の上部からは無数の筒が突き出て、そこから一斉に煙が吐き出された。
不気味な音が近づき、ノランたちのいる荒野一帯が次々と爆発していく。
「あいつ、狙いをつけずに撃って、わたしたちもろとも、この辺り全部を吹き飛ばすつもりね」
ヨスルが叫ぶ。
がっ、と両肩を掴まれ、シェリルは我に返ってノランを見た。
少女の眼が大きく見開かれる。
シェリルの眼に映る彼の表情は、かつて放鳥の少女を助けた騎士の顔に戻っていた――
ノランは、辺りに轟く爆音に負けないように叫ぶ。
「シェリル、お前に俺の全権限を委譲する。硬化外骨格部隊の能力を最大限に使って深い塹壕を掘れ。そこへ、魔法使いとI兵士の頭部をすべて運び込むんだ。全速でやれ。サンドル、ヨスル、それでいいな」
塹壕は、敵の銃砲撃から身を守るため、地面に掘る溝である。
銃を知らなかったノランたちは、ニューメアの教官から座学で習い、塹壕堀りの演習もさせられていた。
「あなたは」
「俺は今から――騎士ノラン・ジュードとして行動する」
突然、シェリルが彼に飛びついて、口づけをした。
外骨格同士がぶつかって派手な音を立てる。
唇を離した少女が言う。
「行って、ノラン」
うなずいて走り出す騎士にシェリルが叫ぶ。
「死なないでね」
振り返ったノランは白い歯を見せて笑った。
そのまま走り去る。
シェリルは、近距離通信で硬化外骨格部隊に指示を出した。
ほとんどの兵士は荒野の外に逃げ出そうとしていたが、50名ほどが彼女の命令を受けて駆けつけて来る。
爆炎が吹き上がる中、彼らは重機とは比べ物にならない速さで塹壕を掘り、片っ端から意識のない魔法使いと機械化兵の頭部を投げ入れていった。
「全部集めた?」
塹壕に飛び込んできたシェリルの言葉に、ヨスルとサンドルがうなずく。
「どちらの部隊もIDビーコンを持っているから、間違いないはずだ」
「これで、しばらくは、しのげるはずよ。あとは――ノランがなんとかしてくれる」
信頼しきった表情で断言する少女を見て、ふたりの指揮官は、硬かった表情に笑顔を浮かべた。
「しかし、生きていると面白いものも見られるな」
サンドルの言葉に、ヨスルが爆音に負けないように大声で言う。
「あんな派手な音をさせて抱き合うのを初めて見たよ」
「わたしもだ」
ふたりを見てシェリルも笑った。
「わたしも、本当の口づけをしたのは初めて――」




