二つの命のための子守歌
「聞いたことあるよ。私が、ずっと羊水の中に入れたおまえに聞かせ続けたんだから」
「え?」
「私が、依子さんが入院してた時に、依入の為に歌っていたところを盗み録りをした。産後入院の時に歌っていた依入への子守歌を録った。たとえ依入のための子守歌でも、快里には一番だと思ったから……」
俊克はそのときの情景を語り始めた。
毎日、俊克には行くところがあった。勤務時間が過ぎても更衣室には行かず、白衣を着たままエレベータで病院の地下1階まで行く。ボイラー室がある地下2階に行くには階段を使わなくてはならない。
コンクリートでできた冷たい壁に手を触れながら暗い階段を下り、そのまま廊下を壁沿いにそろそろと歩いた。『EXIT』と書かれた緑色の非常口のランプのみが足下を照らす。長く伸びた影の元に足元だけで繋がったぼんやりとした人影。すらっとした白衣の形が蝙蝠の羽のような断片を広げて、乱反射する廊下に映りこむ。
唸るような音がするボイラー室。トランス音が響く電源室。その先を少し越えると、やがて壁沿いに這わせた指がスリットのような何かを見つける。
俊克は周りを見渡して誰もいないことを確認した。探るような指使いで金属板のパネルの先にあるスイッチを探す。指が突起に触れ、突起を一度だけ押して強く引き抜く。その瞬間、壁かと思えた一面がスライドして、隠し部屋の戸が開いた。
翻して滑り込むと、扉は音を立てずに元の壁に戻った。
唯一の光源であった緑のランプから、ほんの一瞬回折光が入り込むが閉ざされ、部屋は再び元の暗い部屋に戻った。俊克は手を伸ばして電灯のスイッチを探す。戸棚と戸棚の隙間にスイッチがあった。
蛍光灯が微かに瞬き、ふわっと突然部屋は明るくなる。暗さに慣れたために、光に感応しきれない。眉が寄ってしかめっ面になってしまう。片眼を薄く開き、開いて周りを見渡した。
流体が入った大きな機械が3つ。ガラスのような透明の素材で作られた、楕円に近い筒型の大きなケースがコンプレッサー音を唸らせながら、部屋の中心に居座っていた。音はほぼ遮断されているが、ボイラー室がすぐ近くにあるので、仮に外に漏れても不思議に思う人はいないだろう。
ケースの表面ガラスは数枚、重ね合わされていて、一番内側にはオイルかなにかの粘性が高い青緑の液体で満たされている。粘性の液体は0度以下に保たれているが、ガラスとガラスの間は真空になっているので、霜もつかず結露もしない。外から様子がよく見えるような構造だ。
液体には依入から切り離されて2ヶ月たったばかりの快里が浮いていた。快里の背中は依入から引き離された時の傷が生々しく残り、癒着していないようだ。ラバー状のチューブが、装置の下から快里の背中までつなげられ、ほとんど凝結直前の血液をわずかな速度で循環させていた。
コンプレッサーの音に混じり、強くミュートかかったような音質で人の声が聞こえる。依子の歌声だ。依子が依入に歌っていた子守歌を、こっそり録音したものだ。しかしその子守歌は依入のためだけの子守歌ではなかった。
「ねんねんね。ねんねんね。かぃりとえぃりはどこ行った?遠いお山の日が暮れても、かぃりとえぃりは寝られんよ。ねんねんね。ねんねんね。かぁかととぉとはどこ行った?明かりが消えても夢見ても、あなたの隣についてるよ」
子守歌は微かに繰り返し鳴り続けた。
俊克は優しそうな声で笑みを浮かべて快里に話しかけた。
「もう少し待っててくれ。すぐに返してやるからな」
もちろん胎児に反応はない。そういう自分を鼻で笑うと、さらに奥にある研究室に入っていった。
「そういうことだったんだ……」
克之が納得をした表情をした。
「いや?じゃあ何で快里の名前が入ってるんだ?」
「それは依子さんの思いだろうな。それでも自分は双子を生みたかった。そう思っていたことは間違いないからな」
「だけど、覚えているはずないよ。僕は凍ってたんじゃないの?」
「厳密に言えば、凍っていた訳じゃない。この前の話で……脳が成長してたと言ってたよな」
俊克が克之に言った。DIDになったきっかけの話だ。
「だとしたら、あり得ない話じゃないかもな」
「快里のオリジナルの記憶の話か……」
克之が話す。
「快里がDIDの類ではないかという話だよ。歌は快里のオリジナルに深く刻まれた記憶になってたんだ。そしてその想いが、いまホストであるお前まで伝わってきた」
「じゃあ……」
「過去はともかく。お前の精神的な問題はすでに解決したのかもしれないな」




