ネイの想い
「メイは?」
夕食を終えると快里はネイに数学の勉強を教えていた。試験前の毎度のイベントだ。
「今日はいいって、自分で勉強するって言ってたよ」
ネイは快里と向き合う形でテーブルに顔を向けたまま、ずっとシャープペンを走らせていた。
「そっか」
ネイは快里が話し始めたことで休憩かなと思い、そのまま顔を上げて快里の方をみた。シャープペンを置くと、持ってきたバックを膝の上に大事そうに抱え、小さな包みを出す。椅子から立ち上がると食器棚からティーポットを出した。
「お茶入れるね」
持ってきた小さな包みから紅茶の缶を出す。暫く開けようとしているが上手くあかない。ばつが悪そうに下を向いて、缶を快里の方に渡した。
快里は受け取って缶を開けてネイに渡す。優しい香りがふわっとした。
「良い匂いでしょ」
ネイは茶葉の匂いをかぎながら、うれしそうにそう言った。
ティーポットにお茶を入れ、ティーカップを二つ快里と快里の隣に置いた。ネイはスカートがしわにならないように、快里の隣に座った。
「でも、メイが本当にそう思ってるかはわかんない……一緒に行きたい!って感じがすごくしたんだけどな。今日はいいって」
「なんで?」
快里は、目の前に出された紅茶のティーカップを持っていただく。
「うん。なんかメイ、昨日からちょっとブルーなんだ。今も多分、いろいろ考え事してるんじゃないかな……なんとなく。そんな感じを受けたんだ」
ネイは両手でティーカップを持つと、紅茶の香りを楽しみつつ、少しづつ飲む。
「メイ、昨日からどうも情緒不安定みたいだから。メイがそうだと、なんとなく私も落ち着かないんだ。たぶん今頃、悔やんでるかも……メイがそんなだと、なんとなく私もね」
「いつも近くで見てるから?」
「う〜ん。こういうコトいうと、快里くんには非科学的って言われちゃうかもしれないけど、なんとなくメイが苦しいときとか、嬉しいときとかびっくりしてるときとか、わかっちゃうんだ。双子だからかもって思ってはいるんだけど」
「前も言ってたよね」
「快里くん、そんなことあり得ないって思うかもしれないけど、やっぱりあるような気がするよ……そう思うんだ。理由はないんだけど」
ネイはティーカップを置くと、隣に座っている快里の方を向いて、はにかみながらそう言った。理由がないということで、バカにされると思ったのだろう。
「うん、そう言うこともあるかもね」
「え?……珍しいね、快里くん」
「否定する理由もないからね」
「……やっぱり、快里くんらしいね」
ネイはそう言って苦笑いをすると、テーブルの反対側においてある数学の次の問題に取りかかり始めた。
「否定するならその裏付けも用意しないとね」
快里はそう言いながら、ネイの姿をぼうっと見ていた。
否定する理由か……快里は考え始めた。
遺伝子が一緒な一卵性双生児。ある意味自然界におけるクローンのようなものだ。同じ設計のプログラムに同じデータを入れたら同じことになる。自然界はそこまでデジタルじゃないけれど、同じ設計で生まれ、同じように育った人達なら、同じようなことを同じような瞬間に思ったって全く不思議はない。
それが、『双子だから意思が伝搬する』そういう言葉で語られるのだろう。言葉どおりじゃないが、結果は近しいところに落ちる。
なら、否定する理由なんてないよな。
メイがリーシャに興味を持つのははそういうことかもしれないな。快里はメイが言った言葉を思い出していた。
『二つのコンピュータに同じ人工知能のプログラムを動かして、同じようにカツユキが育てた場合、同じになるのかな?』
あれはメイが、ネイと自分自身のことを考えていたんだろう。
子供の時は違った。けれどある時からエゴができて、メイは自分らしさを求めていった。なるほど……。メガネをかけるのも髪型をかえるのもそういうことか……。
でも、そんなことで悩むのか?
2体のハードウエアが仮に同じだったとしても、人間はお互いに干渉しあって生活をする。仮にネイとメイの入れ物が全く同じであったとしても、そこに育まれる魂は全く別物だろう。
だいたい同じ時に同じ経験ができるはずがない。おばさんがネイとメイにおっぱいをあげる時だって、必ずどちらかが先であったはずだ。最初はほんのわずかな差かもしれないが、違いが違いを生む。カオス理論のバタフライ効果みたいなものだ。
そしてそれは別人格を育む。
メイはメイ。ネイはネイ。
他人も2人を別人として扱うのだから、メイはメイであってネイではないはずだ。
簡単なこと。そんなこと、悩む必要ないのにな……。
快里はそんなことを考えながら、体中の力がふっと抜けていく感じを覚えていた。水平感覚がだんだん失われてきて、自分がどんな姿勢をしているのかがわからなくなってきた……。
「快里くん……どうしたの、考え事?」
「あ……いや。ごめん。何かわからないことがある?」
「うぅん。快里くんの目がぼうっとしてたから。つい……」
「あぁ……。ごめんちょっとだけ考え込んでたんだ」
「やだな……」
「どうして?」
「快里くん、ときどき帰って来なくなっちゃうんだもん、やだよ」
下唇を噛みしめながらネイはいう。
「あぁ……。仕方がないよ。これは変われるとは思えないし」
快里は下手にネイを刺激しないように、少し言葉を選んだ。
「ネイさ……そんなに数学が嫌いなのに、どうして理系に入ったの?」
「ごめんね。いっつもテストの度に、快里くんには迷惑かけてるよね」
「いや、別にこのぐらいはたいしたこと無いから構わないけど。ネイが大変じゃないかなぁって。理系に興味があったの?」
ネイはちょっと驚いた顔をして快里を見つめた。少し考えた後に照れた顔をして話し始めると、少しして沈み込んだ顔になった。
「本当はね……。メイと快里くんと同じクラスになりたかったんだ……」
「でも、大学とかにいったら、結局は、別のクラスになっちゃうよ」
「それはわかってるの……。でも、あともう少しで良いから、みんなと一緒にいたいなって……」
「でもそれってネイのためにならないよ。ネイはネイの得意な科目があるんだから、そっちをがんばって勉強しないと」
「うん。頭ではわかってるんだ。なかなか妹離れできなくってね。それにそもそも得意な科目ってないし。メイはとっくに私から離れていっているのにね……」
「僕には、仲がよくていいなと思うんだけど」
「うぅん。仲が悪いわけじゃないの。ただ単にメイは偉いなって思うだけ。そういうとこ、ちょこっとだけメイにコンプレックス感じちゃうことがあるから。うん。それにメイは快里くんとは自然体でいるから。なんとなくいつも入りにくくなってしまう気がして……」
伏し目がちに話したあとで、ネイは快里の顔色を見た。快里は優しそうな顔をしながら話を聞いていた。
「ごめんね。メイが情緒不安定だと、私もなんだか気分がネガティブになっちゃうんだ。お互いネガティブだと喧嘩しやすいから、来たなって思うときは離れるの。あんまり衝突しないように、最近は……ごめんね……。なんか今日は変だね。私」
「いや、大丈夫。ときどきあるからね」
「いつもごめん、続きしよ……。ここ。このdtを、どうやって消して良いか……」
快里は数学は得意だ。ネイに微分方程式の解き方を教えながらそう思っていた。
もっとも数学が特別得意なだけで、苦手な教科はないのだが。なにしろ余計な概念を入れ込む必要はないし、つまらないことを考える必要がない。同じことをあまり多方面から考える必要もあまりない。目的がシンプルだから。
そんなことを考えながら、さっきのことを思い出していた。
ネイが言ってることはいつもシンプルだ。子供の時からあまり変わらない。おとなしくて、なかなか口を開いてくれないが、言うときは自分が思ったことをストレートに言う。一貫してスタンスが変わらない。
メイは……ある側面から見れば、自分に対してストレートじゃない。それをネイが言うように、メイは努力していると見るのか、あるいは素直じゃないと見るのか。
どちらも同じ遺伝子を持っている。そこが興味深いと言えば興味深い。
少し考えてみよう。
たとえば生まれた時は一人で、ある時点で二つに分かれたとする。すべての記憶を二つの個体が持っていて、すべての能力を同じように持っている。しかし分かれた段階で物理的に全く同じ場所に存在することはできないし、分かれた段階で得られる恩恵も変わってくる。つまり二つは物理的に区別され、おそらく二つには別の個体として名前をつけなくてはならない。
細胞分裂みたいなものだ。その瞬間まで一つだった物が二つに割れるのだから。これが人間のような意識がある物だったとしても、それらはきっと別の意識になるだろう。きっと分裂した二人は話し合う。一人の人間だって、心の中で会話することがある。解離性同一性障害(多重人格)のように心が入れ替わる例だってある。
だから、元々一人だった人が二人になったとしても、二人の意見が割れた瞬間に、どちらかがどちらを担うだろう。
リーシャだとどうなるのか。
ある状況でブランチを作って二つに割ってみたとする。彼、あるいは彼女には物理的な場所は存在しない。したがって物理的な区別はないことになる。
全く同じ入出力をつけたらきっと同じだろう。しかし入力が違えば異なる知能体になるだろう。
やはり仮に遺伝情報が全く同じでも、ネイがメイになることはあり得ないし、メイがネイになることもあり得ない。それらはどんなに同じようなことをしていようと、二つは違うものになるのは明確なのだから、そこに同一性の危惧をするのは、杞憂以外の何ものでもないな……。
快里はそう考えながら、自分自身が思考トランス状態に入りこんでいることに気がついていた。
渦のように。一度引きこまれるとなかなか出ることは難しいのだ……。
「快里くん……」
ネイは快里に勉強を教えて貰おうと声を掛けた。が、彼の反応がなかった。
「快里くん……」
再び声をかける。快里が静かに息をしていることがわかった。
『僕は人でなくなってしまうようなそんな気持ちがする時があるんだよ』
ふいに快里の言っていたことが浮かんできた。それがものすごくどきどきしてネイの不安を誘う。胸がきゅーんと締め付けられる気がする。
「ふぅ」
ネイは息を吐いた。
いままでもたくさんあったこと。良くあることだと思い込んで、その不安を追い払おうとした。
そう、子供の時からこんなことはたくさんあった。電車の中でも学校でも。最近ではあまり外でこうなることはなかったが、ここは快里の家なのだ。リラックスしているからだろう。
ネイは快里に近づくとその頬を優しくなでた。
「快里くん……嫌だよ、どっかにいっちゃ」
そう呼びかけながら優しく頬をなでるように叩く。
「二人っきりだと、いつもそうだよ……」
ネイは快里の隣に腰を下ろして快里の手を握った。そして目を緩やかに閉じ、少し考えてから目を開け、再び快里の頬、あごを細い指で撫でた。
「快里くん……私たち、いつも一緒にいたけど……兄妹じゃないんだよ……」
ネイは愛おしそうに意識を失った快里を抱きしめ続けた。ひとしきり抱きしめた後に、快里のあごを人差し指で寄せるようにひく。
目を閉じる……そして、そっと口づけた。
「いままで、ありがとう、快里くん。快里くんの言うとおりだよね。でも、もう自分で考えなきゃ……ね」
ネイはそう言うと快里の手をぎゅっと握りしめてからはなし、立ち上がって扉の方に歩いた。
「お兄さん。快里くんが……」
いつも通り控えめな大声で克之を呼んだ。




