残酷で意地悪な嘘
快里は家に着くと自分の部屋まで行き、鞄をいつもの場所においた。ネクタイを外して椅子の背もたれにとりあえずかける。制服はブレザーとはいえ、中はワイシャツだ。首を締め付けられる感じが嫌いなので、首周りが若干ゆるめのシャツを着てはいるが、長い時間、着ているとどうしても苦しい感じがしてくる。
加えて、ワイシャツは首の回りが汚れやすい。だから脱いだらすぐに漂白用のジェル洗剤を首の回りに塗って洗濯かごに入れる。こうしておけば、汚れはかなりおちる。朝、学校に行く前に、洗濯乾燥機のスイッチをいれておけば、家に着いたらすっかり乾いているから楽だ。しわくちゃにはなるが日々の衣服の清潔は保てるだけよい。ワイシャツはさすがにそのまま着れないので、アイロンがけが必須にはなるのだが。
兄ちゃんは今日は帰ってこないって言ってたから、洗濯機は今から回しちゃおう。
快里はそう思いながら乾燥機の中の乾いた洗濯物を抱えて、居間まで持っていった。そして、汚れ物のTシャツと靴下を脱いだ洗濯かごに入れ、乾燥機から出てきたばかりの衣服に着替えた。
衣服はまだ若干暖かい。暖かくなったとはいえまだまだ寒いこの時期には、幸せなぬくもりだ。風邪をひきそうなのでそのまま普段着を着る。普段ならそのまま部屋着を着るが、今日は佐々木家に、メイの勉強を教えに行きつつご飯をいただきに行くので、さすがに部屋着はまずい。
少しメイに対してきついことを言っちゃったかな。
快里はリビングで洗濯物をたたみながら考えていた。昔はこれが一番、嫌いな家事だった。しかし今はこれが一番楽に感じる。手を動かしてるから、そこまで意識が集中されることは少ない。さらっと物事を考えるのに非常に向いている。
ネイがいうには、メイはちょっとがんばりすぎだと言っていた。
なるほどそういうことか。
やっと話が繋がった。そういえばそうだ。人の前ではできるだけはしゃぐ。わがままで考えてないふりをしながら、結構、その場の雰囲気を崩さないように、あいつなりに努力してたんだな。
よく考えてみたらそういうことはいっぱいあったな。
そういえばメイは二人だけの時と、他に人がいるときでだいぶ雰囲気が違う。
ネイは誰の前にいてもいつもノンビリとしていて、マイペースなのだけど、メイはネイとの違いを表に出そうとする。
「そう考えると話しの流れがすっきりするな」
快里は独り言のようにそう言うと、洗濯物をたたみ終えて、それぞれの部屋に置く。1階の兄と父の部屋。2階の自分の部屋。
掃除は家政婦さんが定期的に来てくれるが、自分達でも分業してやっている。家の者は誰も掃除が好きではないし、どうもうちの男は全員、細かいところに気がつかない。無精な男たちだけの家はなかなか大変なのだ。
快里の家と佐々木家は、100メートル程度しか離れていないので、家を出たらすぐにつくだろう。7時まで後10分もある。出かけるのはまだ早いが、思ったよりも早く今日やらなくてはならない家事が終わってしまった。
英語を教えるぐらいなら、特別、持っていくものもないだろう。
サンダルでも十分に出れる距離だが運動靴を履いて、少し散歩がてら歩いた。
佐々木家。
インターフォンのボタンが、紫外線にやられて色褪せていた。
「こんばんは、本間です」
「快里くんね。いらっしゃい。開いてるわよ。入って」
おばさんの声だ。歳をとった女性の声は何となく優しい。そんな感じをいつも受ける。それは自分に母親がいないからなのかもしれない。
快里はドアを開けた。
「わ!びっくりした」
ドアを開けたところで、お風呂上がりで部屋着を着たメイが歩いていた。お風呂上がりなので眼鏡も掛けてないし、髪も降ろしているが間違いなくメイだ。快里は、なんとなく遠回しにメイを慰めるつもりで、あえて間違えて答えた。
「あぁ、ネイ。ごめんごめん。メイは?」
メイは目を一瞬大きく開いた後、伏せ目がちにして答えた。
「お……お風呂入ってる」
「そっか。あがらせてもらうよ」
快里は玄関に座り、靴を脱ぎながら伝えた。
「今日は、メイをちょっと傷つけちゃったかな」
背中越しに声を掛ける。すこし沈黙。
「ど……どうかしたの?」
「ネイが言ってただろ?メイはがんばり屋だってさ。言ってることがやっとわかったよ。あいつ、いつも一生懸命だもんな。場の空気をすぐ読もうとするし、結構周りに気をつかってはしゃぐところがあるだろ?ネイが言ってた。メイが無理に変わろうとしてくれてるから、自分は自分のままでいられるっていってたけど、そう言う意味だったんだな。だけどメイは、ネイから離れたいワケでもないし、あるいは自分だけがアイデンティティを得たいと思っているわけでもなくて。ネイのためでもあるのかもな」
メイがつばを飲む音がした。
「そう……で、メイを傷つけたって。何を言ったの?」
「メイはごまかすって」
「つまり……どういうこと?」
「僕が言った『ごまかす』っていうのは、メイが自然じゃないって意味だったんだけどね。それ以上の意味ではなかったんだけど、メイは自分自身のままで良いって意味だったのだけど。メイに謝らなくちゃね……」
「あのさ……」
ネイのふりをしたメイは、必死で言葉を探してるように見えた。
「ご飯の支度するから、とりあえず、私の部屋に行ってて」
「先に英語の勉強しないの?」
英語の勉強をしたかったのはメイだ。
「うん、あとでね」
彼女はそう言い放つと、振り返ってすぐにキッチンの方に走って行った。
「了解。先にメイの部屋で待ってるよ」
快里は優しそうな顔で微笑むと階段を上り、メイの部屋に入っていった。
階段を上がってメイの部屋に行った。綺麗に片づけてある部屋。
快里はメイの机の椅子に座ると、本棚に目を向けた。
相変わらず漫画ばっかり見てるんだな。
本棚に並んだ本を見てふと思う。
あれ?
本棚に飾ってあるビー玉のグラスに気がついた。懐かしい。本棚に飾ってあるビー玉の入っているグラス。黄ばんで傷があちこちに付いているけれど、大事そうに置いてあった。
そういえば、これで良くおばさんにカルピスを作ってもらったな。
それが、かなり昔のでき事のような気がした。
「快里〜ご飯だから下においでよ」
元気なメイの声だ。
快里はメイに呼ばれて、ダイニングまで行った。おじさんはまだ帰ってきてないらしい。久々におばさんが作る食事。
人の家のご飯は、なんとなく違和感を感じることが多い。だけど、普段、自分の家でメイやネイが作ってくれるご飯が、おばさんの味にそっくりのせいか、快里には何の違和感も感じない。
つまりそれだけ、それだけメイやネイに世話になってるってことだよな……
快里はそんなことを考えながら食事を頂いた。
食事が終わると、すぐにメイの部屋に戻ってきた。
「このグラス。えっと、昔これで……」
「カルピス?」
メイは穏やかに笑顔で質問に答えた。
「そうそう。このグラスといったら、やっぱりカルピスだね。懐かしいな。ネイとメイと僕と三人でおばさんに良く作ってもらって飲んだよね?あれ?これって3つ無かったっけ?」
「あたり。でも1つ、あたしが落として割っちゃったんだ」
苦笑いをしてメイが答える。
ひとしきり話したあとでとにかく英語の勉強する。
「さて。英語、英語〜」
メイが早速ノートを開いた。
「ここわかんないんだよね……」
My father wants to ( ) me a lawyer.
「あぁ、メイはなんだと思った?」
「become?かbe?」
「それじゃあ、意味が通じないよ。makeだろ?」
「?」
「make A B、あるいはmake B of Aで、AをBにするという意味があるでしょ」
「そんなのあったっけ?」
「あるんだって。辞書をひきなよ」
メイはそう言われると辞書を引いた。
「あった……(7)にあるぅ」
「makeは意味が多いからね。こう言うの使役動詞っていうんだよ」
「(7)番なんて数字だとわからないはずだよ……」
「いやメイ、数字は関係ないと思うんだけど……」
コンコン……
「私も教えてもらっていい?」
ネイがノートを抱えながら、恥ずかしそうに返事を待たずに扉を開けた。
「英語?」
「うぅん……数学」
「今、英語やってるけど……」
「あ、快里、アタシもう英語いいよ。ネイを見てあげなよ」
メイはそう言うと、急いで英語の本とノートを立ち上がった。
「まだ、全部、終わってないだろ?」
「うぅん、いいの。教えてくれてありがと。あとは自分で勉強するから」
メイはそう言うと、リビングの方に向かっていった。




