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第四章(2)

 月が天上に昇る頃、城の回廊を歩き回っていたディルスは、ようやく目的の人物を見つけた。少し足早になり、その背に向かって声をかける。


「マルファス」

「これは、ディルス殿」


 振り返った彼は、いくつかの書類を抱えていた。きっと今まで仕事をしていたのだろう。もうすでに初老の域に入ったというのに、マルファスの身長はディルスより少し低いぐらい。体格も若々しいものだ。

 先々代の御世に騎士団長を務めていた、と聞いているから、実力もあるのだろう。


「どうかなさいましたか、こんな夜更けに」

「あんたに、ちょっと聞きたいことがある」


 先代から宰相として王に仕え、幼いレイアを女王として教育してきた人物。他の大臣や騎士を差し置いて、レイアと同等以上にアレネスのことをよく知っている男だ。だからこそ、ディルスは聞きたいことがあった。


「あんた……いや、あんたとレイア。何か隠してないか?」

「はて、治世のことも、アフィルメスのことも、全て包み隠さず皆に報告しております。隠していることなど……」

「嘘だな」


 優しげな笑みを浮かべるマルファスを、ディルスは一刀両断した。

 アフィルメスとの会談から二週間以上経った。外界には隠密部隊を行かせ、何かと情報を探らせているが動きはなし。変わったことと言えば、レイアの様子だった。


「ここのところ、レイアは仕事だと部屋から出てこない」

「それはもちろん。アフィルメスの動きに対処せねばなりませんから。何かとやることも多いのです」

「魔王と神王の訪問を誰にも知らせてないのは? 最近頻繁に来るよな」

「アフィルメスの地下で犠牲になっていた者には魔族と神族の姿もありました。それに関することです。今はまだ王のみの話し合いとし、民達に騒ぎが広まらぬようにと考えてのこと」


 ディルスの質問に、マルファスは顔色一つ変えずさらりと返す。それが余計にディルスの不信感を募らせた。

 魔王と神王の訪問は、以前メラから聞いていた。それとなくディルスも注意を払っていると、確かに以前より多く彼らの魔力の残り香をレイアから感じ取れた。

 あの二人とて、それぞれの種族を統治する身。そう頻繁に訪れるなど、何か重要な事態があった時だけだ。


 それに、ディルスにはもう一つ引っかかっている部分があった。アフィルメスから帰る際、馬車の中でレイアが零した言葉。


『カルロ殿下の不安を負が増幅させたようなものだから』


 アフィルメスの王子、カルロの様子を彼女はそう言った。

 人間は感情に左右されやすい種族だ。負が増えれば、情緒不安定になることもある。だが、世界はその負を魔族が、そして正を神族が糧とし、ちょうど良いバランスを保っているはずだ。

 しかしそう聞いたディルスに、レイアは曖昧な笑みを返した。嫌な予感がする。


「秘密裏に俺の部隊を動かした。以前より、横暴な働きや、無意味な殺生をする人間。突然暴走する下級魔族が増えていると外界からの報告だ……」


 それは、今までならあり得なかったことだ。常に、原初の一族が均衡を守っていたから。


「もしかしてと思うが、正と負のバランスが崩れ始めてるのか? それならどうしてレイアは守護王であるストレカッツァを呼んで対処しない」


 時にバランスは崩れる時もある。そんな時は、アレネスの王たる者が守護王を呼び、一定の基準にまで戻す。これまでもそうやって役目を果たしてきたはずだ。だが、レイアはその行動をとろうとしない。


「まだ、その時期ではないのです」

「時期じゃない? だが、無闇に放っておけばこの世界が崩れるぞ! なあ、マルファス。お前何を隠してる!? レイアは何をしようとしてるんだ!」


 ここまで言ってもなお言葉を濁すマルファスに、ディルスは胸倉を掴んで詰め寄った。

 レイアのことも、マルファスのことも信頼している。だが、今は異常な事態に陥っている気がした。放っておけば、取り返しのつかないことになる。そんな不安があるのだ。


「ディルス殿……」


 マルファスが何か言おうとしたその時、別の気配を背後から感じた。咄嗟に手を離し、振り返る。


「ディルス……っと、マルファス、ちょうど良かった」

「リーファ殿。いかがなさいました」


 闇の中から姿を現したのは、金糸の髪を持ったリーファだった。かなり長い時間探していたのか、幾分疲れている。

 マルファスは何もなかったかのように笑顔を見せると、ディルスの横をすり抜けた。


「あ~、あのな。レイア……どこにいるか知らないか?」

「レイア様ですか?」

「ああ。ちょっと、話したいんだけど……最近避けられてて」


 言いにくそうにリーファは後ろ頭を掻いた。あのアフィルメスの時以来、レイアは極力リーファに会わないようにしていた。リーファが落ち込んでいた、というのもあるが、おそらく、またあの恐怖と怯えの目で見られるのが嫌だったのだろう。

 マルファスもそれを知っているからか、少し目を細めて彼を見返した。


「リーファ殿」


 先程とは違う、少し硬い声。それにリーファも思うところがあったのか、真っ直ぐマルファスと向き合い先を促す。


「貴方は、レイア様をどういう風に見ておられますか?」


 不思議な沈黙が回廊に流れた。マルファスはリーファを見、リーファはマルファスを見、ディルスも物音一つ立てずにその答えを待つ。


「色々……考えたよ。あの時見た力は、俺なんて足元にも及ばないぐらいの大きさだし、怖くないって言えば嘘になる。あんな力、見たこともなかった」


 リーファも魔導士としては優秀だ。一度手合わせしたが、魔力の保有量も魔法の力量も素晴らしい。原初の一族とはいえ、騎士でも戦い方によっては負けるだろう。ディルスがそう評するぐらいの男だった。

 そのリーファも恐れるレイアの力。正直、ディルスですら時にレイアの力に畏怖を抱く。


「ああ、やっぱりアレネスの女王を務めてるだけはあるなって思ったよ」


 その言葉に、ディルスとマルファスは小さな溜息をこぼした。やはり、外から来た者には恐れと怯えの対象にしかならないのか、と。


「でも、それだけだ」

「え?」


 続けられた言葉に、二人は顔を上げた。


「女王を務めてるだけはある、って思った。でもそれだけで、レイアはレイアだよな、って思い直した。あの時の力はアレネスの女王を俺に見せつけたけど、俺が初めて会ったのはただのレイアだったし」


 そう言えば、彼は当初レイアを女王と知らず接したと聞いた。


「女王でいる時の彼女より、普段見る彼女の方が俺にはしっくりくる。んで、最近それを見てないからさ」


 言い終わってマルファスを見る目は、『この答えじゃダメか?』と聞いているようだった。先程とは違う息をついたマルファスは、安堵したような笑みで口を開く。


「いつもの花畑におられます。これを案内として連れて行ってください」


 そう言って、懐から子猫のような召喚獣を取り出す。床に放たれたそれは、レイアのいる場所に向かって歩き出した。

 リーファも追おうとして、もう一度こちらを振り返る。


「あのな、今更だけど……俺が行っても良いのか?」


 本当に今更な疑問を口にして、彼はマルファスを困惑した目で見た。しかし、女王を娘のように見てきた宰相は、何の躊躇いもなく頭を下げる。


「レイア様を、よろしくお願いいたします」


 あまりに深々と頭を下げたものだから、リーファは困ったまま『わ、分かった』と返事をした。本当に分かっているかは謎だ。

 リーファが召喚獣を追って消えるのを見届けてから、マルファスは振り返った。自分の部屋へ戻るのか、足早に通り過ぎようとする。


「マルファス……」

「ディルス殿、今の私に言えることはほとんどありません。それがレイア様の望みです。ただ、一つだけ覚えておいてください」


 逆方向を向いたまま、二人して肩を並べる。

 マルファスは、小さな声で言った。どこか、悲しさと切なさを秘めた声だ。


「レイア様は、世界はもとより、アレネスのことを、民の幸せを第一に考えておられます」


 カツカツと去っていく足音に、ディルスは拳を握り締める。


「俺は!」


 足音が、止まった。


「俺は、レイアに幸せになって欲しいんだっ」


 アレネス国の騎士。民を守り、国を守るのがディルスの仕事だ。それでも、一番に幸せになってほしいと思うのは、あの妹のような若き女王。

 メラは自分が幸せにすると決めている。けれど、自分ではダメなあの少女にも、同じぐらいの幸せを感じて欲しいとディルスは思う。


 リーファといる時の顔を見たからか、彼女の幼少時の辛さを知っているからか、騎士にあるまじきと思っても願ってしまう。

 やるせなくなったディルスの背中に、哀愁を帯びた言葉が刺さった。


「私もです……」


 今度こそ止まらずに去っていく足音。ディルスの中にある嫌な予感は、より大きくなる。


「レイア……お前、何を考えてるんだ」


 回廊に響く声に、答えは返ってこなかった。


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