対峙
あるとき性善説と性悪説、どちらが正しいのか考えたことがある。
性善説が正しいとすれば「善き人になりなさい」とかいう神様からの教えなんてものは不要だし、性悪説が正しいとすれば「お人好し」や「優しい」という言葉はハナから存在しない。代わりに「愚か者」が幅を利かせているはずだ。
恵まれた環境で育っても残虐非道な快楽殺人者になることもあれば、どんなに落ちぶれて、蔑まれても人の道は決して踏み外さない浮浪者もいる。これを「魂に由来するもの」とするとロマンを感じるが、些か思考放棄気味な回答になっているとも捉えることができる。
個人個人が持つ善性が生まれ育った環境に起因しないとなると、一体何が人を導くのだろうか。
それは「きっかけ」ではないだろうか。
あらゆる事象には契機、あるいは因と呼ばれるものがある。
ナイフで木を削っているときに手を切ってしまった。
ある者は痛みに怯え、木を削る行為そのものから手を引く。
ある者はナイフの鋭さに魅せられる。
ある者は滴る赤に酔いしれ、またある者は構わず木を削り続ける。
何を思うのかは、その後何者になるのか。
それは誰にも分からない。
手にする刃が病巣を取り除く救いとなるのか、命を奪う凶器となるのか。はたまた色彩を操る筆になるのか、ノミと玄翁になるのか。
果は定まらない。
ならば人の善性も同じではないのか。
悪意を知らなければ無邪気な殺戮に気付くことは無い。
善意を知らなければ伸ばされた手を掴む意味を知ることは無い。
善も悪も、生まれ落ちた時から皆一様に持っている。
それをどのように扱うのか。
環境が教え、導くのは、ただそれだけである。
しかし現実はそう甘くない。
善意で悪意に立ち向かうことはできない。
貪り、奪うだけの膂力の前に、迎え、包み込む柔肌は成すすべなく蹂躙されるだけである。
悪意には悪意で返すしかない。
殺意には殺意で返すほかない。
優しさでは、人は救えない。
今になって後悔している。
他を憂う心などなければ。
もっと己だけを重んじる教えだけを知っていれば。
振り下ろされた悪意の前に、殺意を向けられる恐怖に、立ち向かうことなどなかったはずなのに・・・。
「くっ・・・」
錆びついた刃同士が激しく衝突する。
間一髪、間に合った。
獲物を支える左手に血がにじむ。毛皮は断てなくとも、人間のひ弱な皮ぐらいであればなんてことはないようだ。
こいつ、何者だ?
人の形はしている。
2メートルを優に超える背丈と細すぎる手足。
血色の悪い人肌を被った枯れ木が、人の真似事でもしているのか。
表情は見えない。いや、表情を構成するものがない。洞穴生物のように退化した鼻と目の丘陵があるだけの「のっぺらぼう」である。
「おりゃあっ!!!」
見た目通り獲物を押さえる力は無いらしく、余裕のある足で渾身の一撃をお見舞いする。
「・・・・・・」
呻き声すらなく、軽々と吹き飛ばされたのっぺらぼうは、水路へ真っ逆さまに落ちていった。
なんだ? この力・・・。
湿った墜落音がするも、自身の起こった異常に捕らわれる。
たしかにのっぺらぼうの体重は軽かった。
だがいくら軽いと言っても、負傷した左足で人の大きさの物が宙を舞うほどの蹴りができるとは到底思えない。
あの化け物犬、ゾンビのウイルスか何か持っていてそれが感染したのか?
異様な力を宿す左足に目をやるも、特に肥大化や発光はしていない。痛みは既に消えており、むしろ全身に力が湧き上がってくる。
俺の体に、何が・・・。
「ヨシさん! 早く逃げよう!!」
ヒロの喝声と袖を引っ張られる感覚と共に意識を取り戻す。
正面の水路から2本の白い紐が伸びている。
紐の先は一方が今にも折れそうな柵を掴み、もう一方にはノコギリ鉈を巻き付けていた。
あいつ腕伸ばせるのかよ!
「ああ、行こう!」
玄関の反対方向、居間を通り抜け勝手口へ急ぐ。
「ゼェ・・・ハァ・・・ゼェ・・・ハァ・・・」
「ハァ、ハァ、なんとかなった・・・みたいだな」
かなり長い時間走った気がする。
化け物犬に追われても呼吸が少し熱くなるだけのヒロがこのありさまだ。俺は左足から湧き上がる謎の力によってもう回復してしまった。
「ヒロ、少し休んでろ。周りは俺が見張っておく」
「ゼェ・・・あ、ありがとう・・・」
勝手口から外に出た後、右へ左へ民家の隙間を通り抜け、再び水路沿いの道に来ていた。
一度上がってきたのっぺらぼうが水路を通って俺たちを追いかけてくる可能性が低いという算段だが、おおよそ人ではない怪人に俺の思考を当てはめても無駄か。
ヒロが回復次第、すぐに移動したほうがいい。
あの水路から上がってこれるということは、あいつは屋根伝いに移動できる。この馬鹿げた迷路を通ることなく俺たちを追跡できるということだ。静かな空間だ、俺たちが走っている音は良い目印になる。今にでも上から強襲してくると考えれば、長居はできない。
「ヒロ、もう動けるか?あいつは犬どもと違って屋根伝いに移動できるかもしれない。早めに移動した方がいい」
「う、うん、わかった」
惜しむように水筒から手を放し、プラモデルの箱を抱えなおす。
ヒロの走る邪魔になるかもしれない、やはり俺が持っておこう。
「もう邪魔だろう。俺が持つよ」
「大丈夫だよ、これくらい。僕は戦えないから、ヨシさんが自由に動けた方が絶対いいよ!」
「そうはいってもなあ・・・」
ヒロの言うことは一理あるものの、今は多くを選択できる状況ではない。
後生大事に抱えているが、中身はただのプラモデルだ。このままでは遺作になるどころか死因になりうる。惜しいが、もう捨ててしまった方がいい。
「ヒロ、それはも・・・ぅ・・・」
僅かな風にたなびく白い布が焦げた木塀の隙間から伸びている。
木塀に人が通ることができる穴や亀裂は無い。
ならばあの障子紙のように薄い人形はなんだ?
次は足の形をした白い紙が音も無く這い出てくる。
「ヒロ行くぞ!来やがった!!」
「ええ!?」
「走れ!!」
のっぺらぼうの丸い紙がひらひらと隙間から顔を出す。
まさか体をぺらっぺらに引き延ばせるのか?!
現にそうでなくては説明がつかない。となると対処は困難だ。わざわざ家の上に登る必要すらない。ここに立ち並ぶ家々は隙間だらけだ。やつにとってここの民家は障害でもなんでもない。むしろ全方位からいつでも奇襲できる要塞だ。
「うわあっ!?」
「ヒロ!ひとつ前の角を曲がれ!!」
どこにでも忍び込める体を駆使し、行く先々で俺たちの前に立ちふさがる。
壁の隙間からいきなりノコギリ鉈を振り下ろしてくるわけではないが、紙の姿を見せてから3次元の存在に顕現するまでの猶予は短い。
俺はまだいいが、ヒロは抵抗する術を持っていない。もし俺が間に合わなければ、もし隙間の世界に連れ去られでもすれば、ヒロの命がどうなるのか想像するに難くない。
怖い。
自分が傷つくことにではない。
己の力不足で、守ることができたはずの命が消えることが、今は何よりも恐ろしい。
バダンッ!
「ヨシさん駄目だ!戻って!!」
先行しているヒロからの警告。
なにがあったんだ?
だがヒロを置いていくわけがない。
「今行くぞ!」
すぐ先の脇道を出たところだ。
正面には水路が見える。水路沿いの道は延々と繋がっているため、行き止まりは無い。
あののっぺらぼうはついさっき俺の前に全身を見せた。ならばヒロの前にはいないは――
バダンッ!バダンッ!
ヒロが叫ぶ直前に聞こえた何かを破断する音。
それが俺を囲む両脇の民家から聞こえた。
「くっ・・・!?」
突然空が崩れ落ち、数歩先に家だったものが雪崩れ込む。
俺が化け物犬の大群を退けた時と同じ戦術。
倒壊の範囲に入るまいと、なんとか全速力の勢いを殺す。
木材が軋み、押さえ石が転がり落ちる。大量の埃と地鳴りを巻起こし、正面の道を瓦礫の山が塞いだ。
もしやヒロが引き返せと言ったのは、水路沿いの道もこうやって塞がれていたのか?
「ヨシさん!大丈夫!?」
ヒロは無事のようだ。だがこれで俺が最も恐れていた状況になってしまった。
俺の手は、もうあの子に届かない。
どうすればよかったのか。
最初にあいつが姿を見せた時、破れかぶれでも立ち向かうべきだったのか?
プラモデルをさっさと捨てさせ、ヒロだけでももっと遠くに行かせるべきだったのか?
後悔ばかりが募っていく。
やはり俺は、誰も救えたりなんかしない。誰かの手を掴んでも、途中で離してしまうようなやつだった。ごめんよヒロ、こんな糞野郎に出会ったばっかりに・・・。
ザッ
!?
「・・・フフッ、なんだよ」
柄にもなく不敵な笑みを浮かべる。
自責の念に潰されるためのくだらない自己嫌悪は終了だ。
のっぺらぼうが今、俺の目の前にいる。なんて幸運なんだろうか。
「ヨシさーーん!!」
悲鳴混じりのヒロの声。
こいつが分身したり、化け物犬を従えていたりとかではなくて本当に良かった。
「大丈夫だー!ヒロー!!」
「ヨシさん!!」
「そっち、どうなってる!」
俺がこいつを足止めしている間、ヒロだけでも逃げてくれればそれでいい。
「家が崩れてて進めない!ヨシさんは!」
やはりか。だが諦めるには早い。
「こっちも崩れて進めない! 迂回するから水路沿いに戻ってろ!!」
「でもあいつは!こっちにはいないよ!」
そうだよな、でもよかったなヒロ。
「俺が押さえておく!!ヒロは戻ってろ!!!」
「でも!」
「なにかあったら!!その袋開けていいぞ!」
「えぇ?!」
「俺が5分後に戻らなかったら!その袋の中を見るんだ!いいな!!!」
「でも!ヨシさ――」
「早くいけ!!!約束破ってもいいのか!!?」
我ながらなんて非道な物言いだ。
でもいいんだ。
あれを武器と呼んでいいのか疑問だが、一応あの袋の中には刃物が入っている。
例え独りでも、ヒロならやっていけるさ。
「ヨシさん!!!」
なんて酷い鼻声だ。
「行け!!!!!」
ヒロからの返事は無かった。
そうだ、それでいい。
今生の別れ・・・にしないように努力するよ。
「さあてと・・・悪いな、待たせちまった」
のっぺらぼうは行儀よく、距離を取ったままその場に留まってくれていた。
改めてみると、なんとも貧相な体つきである。体を引き延ばすために余計な筋肉を省いていると言われても、渋谷の街頭インタビューで100人中98人は栄養失調を確信する体格だ。しかも服かと思っていた上着もズボンも、血色が違う皮膚をツギハギで身に着けている?縫い付けているだけである。
ゾンビ犬よりも清潔感のある見た目のため、今時の女性には人気が出そうだ。いや髪はともかく、耳まで無いのはさすがに不気味すぎるか。
冗談はここまで。
左手に羽織っていたウィンドブレーカーを抱え、右手の小指に力を込める。
両の眼でのっぺらぼうの目のくぼみを見つめ、対峙する。
刹那の沈黙。
力の湧き上がる左足で体を押し出す。
遅れてのっぺらぼうが獲物を持った右腕を引き延ばし、俺めがけて切りかかる。
距離はそう遠くない。あと5メートル、と言ったところか。
ノコギリ鉈の切っ先が向かう場所。
俺のどこを最初に攻撃してくるか。
致命傷狙いの頭か?武器を落とすための右腕か?
広い路地を薙ぐように、低い軌道で白い腕が伸びる。
どっちも外れだ。
再び左足で大地を蹴り、重力に逆らう。上半身を前傾させ、右足はまっすぐ前を向く。
走り幅跳びなんていつぶりだったか。
足を狙った下段の一撃は空を切った。
右足の着地と同時、全身のバネを使って切りかかる。
のっぺらぼうも左手で頭への一撃を防ぐ姿勢に入るが、一手先、黒い影がのっぺらぼうを覆う。左手に持っていたウィンドブレーカーを投げつけていた。これでのっぺらぼうが俺の一撃を予測する手立てが無くなった。
大振りな切りかかりは予備動作。
両の足が固い地面を踏みしめ、左脇腹めがけてノコギリ鉈をスイングする。
「フン゛ッ!!!」
薄氷を砕き、身のつまった袋を潰す確かな手ごたえ。
のっぺらぼうの体が宙を舞い、石積みに叩きつけられた。
ノコギリ刃の方で殴ったはずだが、血は一滴も出ていない。
ならば首が落ちるまで殴り続けるまでだ。
追撃のために再度飛び掛かる。
腕は視界の外まで伸び切り、次の一撃を防ぐものは何もないように見える。
今、ここで仕留める!
極度の興奮が引き起こす明確な殺意。現代社会では封じられた悪意の最たる表現をぶつける。
ノコギリ刃が生白い頭部へと向かう。
あと数十センチ、重力に従えば瞬きの間に到達する距離。
左足に違和感。
知るものか、これでおわ――
重力が加速する。
続いて肋骨への強烈な衝撃が加わる。
「ガフッ!?」
???
なんだ?なにが起こった?まあいい。これぐらいの痛み、数時間前に喰らったやつに比べればどうってことない。立ち上がってしまえば・・・。
足が動かない。
どうしてだ。切られたわけではない。まだ両方とも足の感覚はある。
圧迫感。何かが巻き付いている。早く切ってしまえ、ば・・・?!
腕も動かない。両方とも、何かに縛られている。
四肢だけじゃない、全身が包帯巻きのように白い布で縛りつけられている。
なんとか首を動かすと、昏い雲を背にのっぺりとした人皮の面に覗き込まれた。
のっぺらぼうは未だ健在で、俺はミイラよろしくぐるぐる巻きにされて地面に寝ている。表情は読み取れないが、両頬には小さな影が出来ている。
ノコギリ鉈で拘束を解こうとなんとか身を捩る。しかし万歳状態で両腕を縛られた俺は、調理寸前の鯉でしかなかった。
両目がゆっくりと振り上げられるノコギリ鉈に集中する。
凶刃が遠ざかるにつれ、心拍数も加速していく。
奥歯が砕けるぐらいに力を込めても、それはなんの抗力にもならない。
ここで死ぬのか?
ヒロを置いて?
突然訪れた終わり。
さっきまでの格好つけた威勢はどこに行ったのか。
くそっ!まだ何かあるはずだ。何か、反撃の手段が!
初めて化け物犬に襲われたとき武器が傍にあった。群れに襲われたときも体は満足に動けたし、ヒロの助けもあった。
だが今はどうだ。文字通り手も足も出ない。ヒロは自分で遠ざけた。
助かる術は、何もない。
ノコギリ鉈の動きが止まる。
ああ、そんな・・・。
人間、死ぬ寸前になると走馬灯を見るものだとよく言うが、俺にそれは無かったらしい。走馬灯が出てくるような充実した人生を送ってこなかったのか、それとも思い出したくない辛い過去があったのか。
もうどうでもいい。あと1秒もせずに、俺という存在は消えるのだ。
怖い。
やっぱり痛いのだろうか。
死にたくない死にたくない
即死とは言っても、数秒は意識が残ってるんじゃないだろうか。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
薄汚れた連刃がゆっくりと動き始めた。
とっさに目をそらし、未体験の恐怖に備える。
今ある真実から目を背ける。
怖い嫌だ怖い怖い死にたくない嫌だ痛い怖い死にたくない怖い嫌だ痛いのは嫌だ死にたくない怖い嫌だ誰か怖い痛い死にたくない死にたくない助けて痛いのは嫌だ
ゴッ゛
ガジャンッ!!
死ぬ寸前って、こんなにも時間が遅いのか?
いつまで経っても痛みが来ない。
いや、もう死んでるのか?即死って、思ってたより楽なんだな。
体の拘束は解かれたようだが、まだ心臓は痛いほどに鼓動し、肺も早すぎる呼吸に限界を示している。
くそっ、なんで死んでるのに痛いんだよ。
死んでもなお体に意識が残り続けるとかいう都市伝説を聞いたことがある。まさか本当だったとは。体験談を本にすればミリオンセラーぐらいいけるんじゃなかろうか。
『ヨシさん!大丈夫!!』
おお、死んでも耳はまだ生きてるのか。聴覚は長持ちするっていうしな。
『ヨシさん!目開けて!!』
体が揺れる感覚。
ん?なんか変だぞ?
死んだことは無いが、痛みは感じるし音は聞こえるし皮膚の感覚も残っているのは流石に変じゃないか?
「ヨシさん!!!」
「っは・・・!」
「ヨシさん!」
ヒロ・・・。
「あ゛~よ゛がっだぁ~」
くしゃくしゃになった顔のヒロが抱き着いてくる。
「ああ、ヒロ・・・」
思わず胸元の頭を撫でる。
頭が混乱している。何が起きたのかさっぱりわからない。なんで俺は生きてるんだ?
ヒロの背後には大きな茶色の破片が散乱し、その下には白い布切れが敷いてある。
まだ何もわかっていない。恐怖のあまり、脳が正常に視覚情報を処理出来ていないようだ。
「なあヒロ、これは一体・・・?」
ぼんやりとヒロに問う。
「・・・グスッ・・・上からね、おっきな瓶を落としたの。あいつの頭にちょうど当たったんだけど・・・スンッ、ヨシさんにも当たっちゃったかもって、それで」
涙と鼻水で汚れながらも答えてくれた。
やっと状況が理解できた。
俺の後ろにには崩れた民家。その隣はまだ健在。ヒロは家の残骸を登ってまだ崩れていない方の家に渡った。そして上からあのでっかい水瓶を落としたのか。
また命を救われてしまった。危険を顧みず、ただの同行者を助けることを優先した。小学生で、いやこれまで出会ってきた人間の中で、これほど勇敢な人間に出会ったことは一度もない。俺のようなその場限りの面倒ごとを避けるためのものではなく、勇気ある行動を伴った真のやさしさ。
「ヒロ・・・」
「・・・なに?ヨシさん」
かける言葉は1つしかない。心からの誠意と感謝をもって。
「ありがとう、ヒロ」
「・・・うん!無事でよかった!!」
このまま和やか時間を味わっていたいがそうワガママを言ってはいられない。
「ん、そうだヒロ、ちょっとどいてくれるか?」
「え、う、うん」
抱き寄せた腕をほどき、獲物を手にする。
狙いはのっぺらぼう。重量があるとはいえ、空っぽの水瓶に頭をぶつけて倒れてたとなると、弱点は頭部だ。胴体への一撃は効かなかったが、頭に渾身の一撃を叩き込めればこいつも仕留めきれるだろう。
いつ気を取り戻すか分からない現状、この状況を利用するほかない。
曝け出さされた色白の後頭部には大きな凹みが出来ている。鉈側で何度か殴れば完全に潰せるだろう。
獲物を大きく振りかぶる。怒りはなく、人を殺すという罪の意識がちらついたが、殺されるわけにはいかない。
「悪いな」
両腕に力を込めると同時、両脇から火柱と黒煙が噴き出した。
「なっ!?」
爆発?!ガスはあるのかよ!
爆発は連鎖し、正面から巨獣となった炎が襲い掛かる。
「ヒロッ!!!」
あっけにとられるヒロを抱きしめ、両腕でしっかりと包み込む。
前門から迫りくる爆炎、後門に立ちふさがる瓦礫。
炎と衝撃はすべてを激しく包み込み、あらゆる感覚を消し去った。
堕ちている。
真っ黒な水の中を。
堕ちている。
苦しい。
堕ちている。
誰か、助けてくれ。
堕ちている。
誰か、俺を・・・
トスンッ
背中に軽い衝撃。
底に着いたようだ。
辺りを見回すも黒一色。
闇はまだ消える気配を見せない。
俺にまだ、見せたいものがあるみたいだ。
遠くに扉が現れる。
何の変哲もない、丸いドアノブの付いた木製の扉。
どこかで見たことがあるような、ないような。
闇は早く行けと背中を叩く。
分かってるって、ちゃんと向き合えってことだろ?
あの扉の先に何があるのか。
俺は知っている。
誰が待っているのか、何を言われるのか。
全部、覚えている。
嫌でも忘れるなんてできない。
一歩ずつ、扉に歩みを進める。
靴の裏に闇がへばりつく。
歩きにくいったりゃありゃしない。
俺に見せたいんだか、見せたくないんだか。
靴を脱ぎ捨て、靴下のまま歩き続ける。
再び足に纏わりつく。
まったく鬱陶しい。
お前だって、見るのが怖いんだろ?
辛いんだろ?
分かるよ。だって、お前は俺だもん。
纏わりつく力が強まる。
でもさ、逃げてばっかりじゃ、いられないだろ。
靴下を持っていかれたが、なんとか扉の前まで来れた。
こいつも、俺も、覚悟は決まったみたいだ。
ドアノブに手をかける。
ガチッ ガチッ
まだ、怖いのか。
そうだよな、めっちゃ凹んだもんな。
笑っちまうよな。
自分と向き合うのが、こんなにも怖いだなんて。
全部、自分のことなのに。
全部分かってる、はずなのにな。
ドアノブの震えが止む。
右手に誰かが触っている。
隣
俺がいた。
今よりも結構若い、学生服を着た俺だ。
「心強いぜ」
「何言ってんだ、俺だって怖いぜ」
「「あっはっはっはっは!!!」」
「・・・。じゃあ、開けるぞ」
「ああ」
右手に力がこもる。
「「せーのっ!!!!」」




