火花
ぎゃウ!ぎャう!!ばガうヴぁ!!!
ヴゃがッ!!ぎゃぶいア!
ビやヴ!!ギュがヴ!!!グぃヴあ!!
ぎゅう!ギャウば!!
背後で縺れる死の波をはっきりと知覚し、懸命に足を動かし続ける。
コンマ1秒でも動きが止まれば飲み込まれる恐怖の中、今はただ転ばないことだけを祈るしかない。
ヒロは俺の様子を伺いながら、20mほど先を走っていた。
前方から化け物犬の大群が来ていないことには安堵するも、到底気を緩められる状況ではない。
このままではいずれ追いつかれる。
やつらは疲れを知らない、感じることが無いのかもしれない。
何度か殺戮の波に押しつぶされる絶命の声の断片が聞こえたが、勢いは一切衰えない。
何かこの波を防ぐものがあれば一番いいが、パルクールのパの字も知らない人間が背丈を越える木塀やコンクリートブロックを越えることは不可能だ。
行き当たりばったりで蛇行する道を選び、勢い余って潰れた獣肉になるよう仕向けているものの、うねりは次から次へと増えていく。
どうすればいい?
考えても吐き出す熱息と共に使い物にならなくなる。
あの大群を止めるには、ただの障害物じゃ駄目だ。
もっと質量のある、石積みや家にぶつけてしまえれば・・・。
・・・1つだけある。
だが本当にできるのか?
失敗した途端、生きたまま狂犬どもに貪り食われるんだぞ?
ただでさえ早い鼓動が加速する。
仮定と楽観的思考の産物。
現実的に考えてどんな理論を当てはめても絶対に実現不可能である。
賭けるしかなかった。
そうでなくては、迫りくる恐怖に飲み込まれるだけだ。
・・・やるしか・・・ない!
右手の獲物を振りかざす。
「うおおおおおお!!!!!」
全速力の加速がついたノコギリ刃が、立ち並ぶ民家の軒を支える柱に触れる。
ギャダン!!!
荒んだ断面、しかし足を止めることなく断ち切った。
支えを失った木材の塊が狭い一本道に雪崩れ込む。
やばいやばいやばいやばいやばい走れ走れ走れ走れ走れ走れ!!
粉塵を巻き上げ、倒壊は連鎖する。
もう化け物犬どもの息使いは感じられない。
代わりに大質量の地響きがすぐそばまで迫っていた。
目前には石積みの曲がり角。
あそこまで行ければ・・・。
踵に木片の一部が触れる。
くうぅっ!!!
両足が揺れる大地を蹴り上げ、宙を舞う。
「い゛っ!?」
肋骨が固い土と激突する。
息ができない。
肺が無言の叫びをあげるも、全体重が集中した衝撃に体が耐えられなかった。
「・・・ぁ・・・くぁ・・・」
「ヨシさん! げほっ、大丈夫!?」
ヒロの声がノイズ交じりに砂埃の嵐を震わせる。
「・・・大・・・じょぶ・・・・・・はやく・・・上に・・・」
あれで全部仕留めたとは思えない。
この背丈ほどの石積みの向こう側に行けば、少なくともやつらの追跡は断てるはずだ。
まだ気を保て義行、死にたいのか?
「ヨシさ、うわっ?!」
心配するヒロを掲げ、石積みの上へ。
息が苦しいなら、いっそのこと止めてしまえ。
酸欠で視界がぼやける。
「ヨシさんも早く!」
つま先を石積みの隙間に差し込み、一歩、二歩。
「ヨシさん!!!」
背中を引っ張られ、足への負荷が軽くなる。
脇腹が最上段に乗る。
あと一歩・・・っ?!
左足が雷に打たれる。
筋組織が断ち切れ、抉られる感覚。
見なくても分かる。
あいつらが、まだ・・・。
力を吸われるように霞んだ視界に暗幕が降り始めた。
もう・・・・・・。
『ヨシさんから離れろ!!!』
『ねえねえ、次あっち行ってみたい!』
『これおいし~! あ、ヨシ君のも、一口ちょーだい♡』
『今日は楽しかったね! また行こーね♪』
彼女はいつも笑顔だった。
ひとつ下の彼女は笑顔が似合う女性だった。
愛想は良いし運動もできるし話は面白いし、勉強の方は・・・まあ普通ぐらいか。
しかしジャンルは違えど二次元オタクときたものだ。
友達の少ない俺からすると、出来過ぎる人だった。
始まりは高校の生徒会で、図書委員の副委員長に任命された時だった。
あの時の俺は2度目の恋に破れ、何に対してもぶっきらぼうに振舞っていた。
そんな俺に嫌な顔一つ見せず、役割以上の仕事をこなして見せた。
年下の女の子に格好悪い姿を見せてはいけないと心機一転、今まで以上に積極的に生徒会の運営に携わった。
近所の保育園での読み聞かせイベントが終わった帰り道、2人きりになった彼女は秘めた想いを打ち明けてくれた。
まさに青天の霹靂、脳天に雷が落ちたくらいには衝撃的だった。
彼女の想いを無下にする理由は皆無であり、俺は2つ返事で了承。
晴れて恋仲となった。
本当にいい子だ。
どこに行っても、何を食べても、何を体験しても、彼女はずっと笑顔だった。
このまま結婚しちゃおっか?なんてふざけたことを言い合う仲にまでなった。
18年生きてきて、最も幸せな時間だった。
・・・・・・・・・。
本当にそうか?
あまりにも都合が良すぎやしないか?
人間の記憶とは、何が要因であれ簡単に改竄される。
しかも都合のいいように都合が悪い部分だけが塗り替わる。
現実という醒めぬ悪夢から、逃れられぬ過去から目を背けるために人間に備わった、一種の防衛反応のようなものだろう。
実際、辛いことは忘れるに限る。
失敗を引きずるよりも前を向いて歩いた方が建設的だし、精神衛生にも良い。
だが俺の場合は・・・。
・・・・・・。
もう一度、彼女の表情を振り返ってみる。
俺の手を引く彼女。
クレープを頬張り、ホイップを口元に付けたままの彼女。
水平線の夕陽に照らされ、振り向く彼女。
みんな笑って・・・。
笑って・・・?
表情は、見えない。
顔だけが黒く塗りつぶされている。
そんなはずはない。
他の記憶を探してみる。
水族館デートの時。
中華街に行ったとき。
花火を見に行ったとき。
彼女はみんな笑顔だった。
なんだ、ちゃんと笑っているじゃないか。
額縁に飾られた沢山の思い出たち。
さながら記憶の美術館。
どれも値千金の1枚だ。
ほら、これなんか。
額装された1枚を手に取る。
博物館デートの時だ。
お土産コーナーでアノマロカリスのぬいぐるみを抱く彼女。
このなんとも言えないはにかみが可愛いんだよ・・・な・・・?
絵画には不自然な線が入っている。
『嫌だ』
彼女の顔を覆い隠すように、笑顔の彼女が写された紙が貼ってある。
『見たくない』
恐る恐る、その紙をつまむ。
『止めろ』
剥がす力を入れずとも、紙は重力に引かれていった。
紙の下は真っ黒だった。
他の写真からも次々に紙が落ちていく。
『ほら、言ったのに』
俺は走った。
全然前に進まない。
左右に並ぶ写真だけが、俺の両脇を通り過ぎていく。
背後には闇。
『なに無視してるんだよ』
俺は走った。
崩れゆく美術館の中を。
無駄だと分かっていても。
目を背けていたかった。
『早く認めたらどうだ?』
俺は走った。
そうだ、思い出したよ。
『勝手に封じていたくせに』
俺は走った。
ちゃんと、彼女の顔を見なくちゃ。
『お前は今もできっこない』
俺は走った。
だって、彼女のことが大切なんだから。
『この嘘つきめ』
俺は走った。
だって彼女のことを、愛しているんだから。
『こ の 糞 野 郎 が』
足は止まった。
迫る闇に身を任せ、俺は深淵に飲み込まれた。
なぜ彼女の顔が見えなかったのか。
振られたショックで忘れてしまったから?
No。
答えは呆れるほど単純明快。
そう、それはまさに!
『彼女の表情なんて一度たりとも気にしたことがなかったからだろ?』
・・・・・・。
ああ、そうだよ。
彼女は奥手だった。
いや、拒否されることを恐れたのかもしれない。
「どこに行きたい?」の返事はいつも「ヨシ君が行きたいところならどこでも」だった。
こういうのは字面通りに受け取らず、相手の楽しめる場所を探すのが当たり前だろう?
それなのに馬鹿な俺は自分の楽しめるところばかり選んで。
勝手に楽しんで。
勝手に楽しませた気になって。
彼女の反応に目もくれずに、勝手に幸せになって。
全部がそうだった気がする。
そうじゃない気もする。
でも確かめる術はもうない。
だって周りに漂う記憶は、全部真っ黒なんだから。
どこまでもどこまでも。
堕ちていった。
「・・・・・・」
なんて酷い目覚めだ。
こんな場所に閉じ込められ、しかもあの化け物犬の大群に追われ、終いには悪夢ときたもんだ。
「こんな時ぐらい、いい夢見せてくれよ・・・」
未だ冴えない頭を抱える。
そうだ、ヒロは?
しょぼくれた目では周囲が確認できない。
目を強くこすり、無理やり視力を復活させる。
視界にヒロの姿は無い。
まさか、独りで外に?
暗い不安が押し寄せるも、杞憂に終わった。
背後に気配。
そっと壁との隙間に顔を向ける。
そこには俺と壁に挟まれ、スヤスヤと寝息を立てるヒロの姿があった。
特段、怪我は見受けられない。
よかった・・・。
見ず知らずの子供を命がけで守る。
戒名にはさぞ立派な位が与えられることになるであろう行いだ。
・・・馬鹿なことをしたもんだ。
だがあの一瞬の判断は間違いじゃなかった。
ヒロを避難させていなければ、今頃2人仲良く腹の中だ。
人助けはしておくもんだな。
それはそうと、なんで俺は無事なんだ?
酷い睡魔と苦痛の耐えきれなかった体は目を閉じた。
最期に感じたのは左足の痛みぐらいだが・・・。
スラックスに開いた穴から白い生地が覗いている。
痒みのようなピリピリする痛みを冷たい質感が覆っていた。
足首からふくらはぎ全体に巻かれた包帯。
足元には緑十字が描かれた木箱が開かれ、中からガーゼやら消毒液やらが無造作に詰め込まれていた。
自分で巻いた記憶は無い。
そもそもこんなに丁寧に巻けるような知識や腕は俺には無い。
というかここは?
今更ながらに辺りを見渡す。
穴だらけの障子と崩れかけの漆喰に囲まれた昔ながらの居間。
丸いちゃぶ台の上にはノコギリ鉈と梱包材に包まれたプラモデルが置かれていた。
少々埃っぽいが、少し前の爆音とは無縁のもの静かな部屋だ。
実家に帰ってきたような安心感すら覚える雰囲気が漂っている。
もしやヒロが、ここまで運んでくれたのか?
ヒロの掌は心なしか荒れているように見えた。
60キロある完全に脱力した人間を動かすなど、大人でも難しい。
肘や膝に傷跡が目立つ細い手足のどこにそんな力が宿ったのか。
そんなことをする義理もないというのに、なぜ・・・。
自然と髪に手が触れる。
感謝と労い。
俺が親であれば好きなものをなんでも買ってやりたいぐらいには、この子の勇気に魅せられた。
「んん・・・」
む、流石に起こしてしまったか。
撫でる手をそれとなく引っ込める。
「おはよう。怪我は、なさそうだな」
「んう、あ! ヨシさん! 大丈夫?足痛くない?」
目覚めて早々人の心配か。
「ああ、足はもう平気だ」
「ほんと?よかった~~! はぁ~これも人助けだね」
ヒロは背伸びと共に安堵のため息をつく。
「すごく綺麗に巻かれていてな、どこで習ったんだ?」
「学校だよ!体育の授業で習うんだ! まあ僕の場合は、お母さんから教わったことの方が多いけど」
もう小学校を卒業してから10年以上経っているが、今時はそんなことも教えるのか。
素直に感心だ。
「僕怪我すること多くってさ。ほら、膝のこことか脛のこの辺とか」
指さす皮膚は局所的に変色し、薄皮が引っ張っている。
外で遊び、転び、また立ち上がった者だけが授かる勲章が幾つも刻まれていた。
「お母さんがさ、自分の怪我くらい自分で治しなさい!ってうるさくてさ」
「だが役に立ったじゃないか。お母さんには感謝しないとな」
「うん、そうだね。ここ出たら一番に自慢しに行こーっと!」
「その時は、俺も頭を下げさせてもらおうかな」
「そんなんしなくていいのに~。ぼくのお母さん怖いよ?前に火遊びで火傷したときにさ、もうあれは鬼だね鬼!鬼ババ! すっっっごい怒られたもん」
「ははっ、そりゃ当たり前だろ。お前を心配してのことさ」
「そうだけどさ、夜ご飯まで抜きはひどくない?自分はあんなに泣いてたのに~」
「なんだ?お母さんのこと嫌いか?」
「ううん、嫌いじゃないよ。でももうちょっと怒り方ってもんがさ、しゃもじでお尻叩かれたんだよ?もう痛くて痛くて」
「あっはっはっは!」
俺もいたずらした後はよく母親に叩かれたっけか。
今となっては良い思い出だ。
話を聞く限り、この子は古風だが愉快で、温かい家庭に生まれたらしい。
叱られた話をこんなに楽しそうに話す子は中々いないだろう。
ぐぅ~
「あっ・・・」
ヒロの腹の虫が鳴く。
無理もない、化け物犬の大群に追われ、気絶した俺をここまで運んだんだ。
俺も口元寂しい。
時間はあるんだ。ここでゆっくりするのも悪くない。
「食べるか?」
「柑橘餅! いいの?」
「命の恩人へのささやかな御礼さ。遠慮するな」
「じゃあ、いただきまーす!」
1つ摘み上げ、続けて1つ分軽くなる。
残り4つ。
「う~ん変わらない味」
「フッ、お前何歳だよ」
「あははは!」
人肌に火照った壁を背に2人、一時の安らぎを得る。
「なあヒロ?」
「なに?ヨシさん」
食後の一杯も終わり、のどかな時間が過ぎていく。
御礼がこれ1つだけでは流石に親父に殴られる。
・・・そうだ、何か欲しいものはあるだろうか。
「ここ出たらさ、なんか、買ってやろうか?」
「え?なんでもいいの?」
「ああ、なんでもいいぞ」
果たせぬ約束になるかもしれないのに何を言ってるんだか。
「やた~。そうだな~映画は今度見に行くから~う~ん・・・」
思ったより真剣に悩んでいる。
頼むから車が欲しいとかは勘弁してくれよな。
そうだ!
「ダンガーのプラモデルなんかどうだ? ダンガーZとか」
「そっか!それでもいいのか!」
よしよし誘導成功、プレミアムモデルとかじゃなければいけるな。
「う~んザザビーとNEWダンガー、どっちにしようかな~」
「お、いいチョイスだな。俺もミディアムクラスのやつなら持ってるぞ」
「いいな~。ヨシさんはさ、どっちがかっこいいと思う?」
「そういわれても、難しいな・・・」
ザザビーは大銀河帝国軍のリーダー、ジョアの機体。
赤を基調とした曲線美のデザインは21世紀の現代美術にも通じるものがある。
NEWダンガーは地球防衛軍のエースパイロット、主人公ゼロの機体。
ザザビーとは対照的に青と白をメインカラーとしており、試作機であることをアピールする無骨な工業的デザインが特徴だ。
カッコよさについては甲乙つけがたい。
どちらも人気投票常時トップの機体だ。
子供たちは地球防衛軍側を正義の味方として扱っているからか、シリーズを通して
ダンガーの方が好きという割合が多いと聞いたことがある。
正直帝国軍も防衛軍もやることはやっているのでどっちが悪いかは議論の余地だらけだ。
ここは周りの評価は気にせず、個人的に好きな方を言っておくか。
「どちらかといわれれば・・・ザザビー、かなあ?」
「おおー、ヨシさんも! 僕もザザビーの方がかっこいいと思ってるんだ~」
「珍しいじゃないか、帝国側だなんて」
「トモ君もカズ君もみんな防衛軍側だからさ。ヨシさんが初めてだよ!」
小学生にしては見る目があるじゃないか。
将来有望だな。
「じゃあここを出たら、ザザビーを買ってやろう」
「ほんとにいいの?」
「さっきも言ったが、ヒロは命の恩人だ。これぐらいはしないとバチが当たっちまうさ」
「わ~ありがとう!ヨシさん!」
笑顔が眩しい。
子供にこんな目で見つめられたのはいつぶりだろうか。
「じゃあ、約束だよ?」
「ん?ああ、約束だ」
差し出された小さな指を硬い皮膚で包み込む。
「せーのっ」
「「ゆーびきーりげーんまーん」」
生きて帰る保証もない空間で、あまりにも脆い繋がり。
「「うそつーいたーらはーりせんぼんのーますっ」」
それでも、交わさずにはいられなかった。
「「ゆーびきった!」」
どんなに稚拙でも、脆弱でも、俺たちが生にしがみつける何かが欲しかった。
「さぁてと、そろそろ動くか・・・」
上半身を右へ左へ軽くひねる。
胸から飛び込んだが特に折れたりはしていない。
左足も特に異常はない。
かなり深々と噛まれてた気がするが、なんともなければそれでいい。
感染症やらの心配は、ここを出れなかった時にまた改めて考えよう。
「はい!ヨシさん」
「ああ、ありがとう」
唯一の武器を受け取り、状態を確認する。
取扱注意のノコギリ刃に乾き切っていない肉片が挟まっている。
「それすごいね。上から投げただけでワンコがスパッ!って切れてたよ」
なるほど、ヒロにこいつを渡してから担いだのか。
あの時の記憶はほとんどが苦痛で埋め尽くされ、自分が何を考えて何をやったかまではちゃんと思い出せない。
ただ言えるのは、またこいつに助けられたってことだけだ。
いやまて、今回はヒロが恩人だ。
「妙なものでな、こっちのノコギリの方が刀みたいによく切れるのさ」
「僕は、ちょっとそれ怖いな・・・」
「あの化け物共にこいつを投げれたんだろ? 上出来も上出来よ」
向こう側が見える障子戸を開け、出入口らしきところへ向かう。
かなり大きな造りだが、通る部屋は相変わらず人気が全く感じられなかった。
特に汚れやほこりがひどいという訳ではない所を見ると、やはり家の中までも異常な空間に侵されていることを実感する。
「ヨシさん待って、冷蔵庫に何か入ってるかも!」
「そうだな。水か、出来れば非常食とか入っていれば御の字なんだが」
冷蔵庫を漁ろうと寂れたキッチンに寄り道する。
「なにかあるかな~」
今の時代はもう見かけないざらついた緑色の扉。
張り付いたゴムパッキンが開けた途端、中からいくつもの瓶詰めが転げ出てきた。
「おっとっと!」
「大丈夫か?」
「ヘーキヘーキ! これなんだろう・・・」
足元に転がる1つを手に取る。
液体に浸された中に塊が浮いている。
漬物ではなさそうだが、暗い部屋ではよく分からない。
冷蔵庫の明かりもついていないため、手を冷やしながらうっすらと光が差し込むシンクまで持ち歩く。
・・・。
・・・!??
ガシャンッ!
思わず手を放してしまった。
「ヨシさん?! 大丈――」
「ヒロ!早くここを出るぞ!」
「え?うわっ!」
戸惑うヒロの意を介さず、半ば引きずるように玄関へ急ぐ。
見間違いじゃない。
できれば見間違えであって欲しい。
割れた瓶から揮発する薬品の香り。
瓶に入っていた塊。
人体の図鑑でよく目にする形。
拳ほどの大きさで、太い管が4本生えている。
心の臓
振り向きざまにヒロが手にしていた瓶には大きなそら豆。
横たわる瓶にはぎっしりと詰められた白濁色のピンポン玉。
冷蔵庫から顔を出していた瓶には2つのヒレが伸びた小さな壺。
全身の毛が逆立ち、脳が危険信号を発し続ける。
なんだこの家、何でここだけ。
もしや他の家もそうなのか?
異常な空間だからと言えば済む話ではある。
食い散らかされた少女も、死してなお動き続ける犬もそれで説明がつく。
吐き気を催す臭いだって覚えている。
だからこそノコギリ鉈と同じ邪な意思が、身を潜めていた恐怖が、より実体を伴った現実として姿を見せた。
細木で組まれた戸口。
力をかけてもガラスが揺れるのみ。
鍵がかかっているのか?
2枚の引き戸の中心に黄銅色のピンが刺さっているが、引っ張ってもびくともしない。
なんだこの鍵、初めて見る形だ。どうすればいいんだ?
「ヨシさん貸して!僕が開けるから」
戸口をヒロに明け渡すと、慣れた手つきでピンを回し始めた。
10回ほど回して引っ張ると、中からヒンジの付いたねじが出てきた。
「開いたよ!」
なんだか分らんがとにかく開いたらしい。
いつこんな家の主が帰ってくるか分からない。
さっさとおいとまさせて――
ガラガラガラッ
人影だ。
ひょろりとした細いシルエット。
自分よりも頭一つ高い背。
振り上げられた右手には俺と同じ。
悪意と殺意の塊を握りしめて。
とっさに構えた。
火花が散る。




