第八話
黒い吹雪がようやく凪ぎ、世界が息を潜めたような静寂に包まれた頃。
刀は、スノーにぐいぐいと腕を引っ張られ、半ば強制的に家の外へと連れ出されていた。
「ちょっと待ってって、スノー! 急に何なんだよ!」
「うるさい。ほんとに龍を倒せるって言うなら、口だけじゃなくて証拠を見せてよ」
スノーはすまし顔のまま刀を玄関のドアの前まで引きずっていくと――。
「ほいっ」
「うわっ!?」
小さな身体からは想像もつかない力で、刀は勢いよく外の世界へと放り出された。
ずさささーーーっ! と派手に雪原をダイブし、顔から雪に突っ込む。
刀が「ててて……」と鼻を押さえている間に、スノーはひょいっと身軽に屋根の上へと飛び乗り、悪戯っぽく唇を吊り上げた。
「ほら、頑張って。私の“刀”になってくれるんでしょ?」
「おう、任せろ! 俺はスノーの――」
刀が胸を張って言いかけた、その瞬間だった。
視界の端を、鋭い純白の影が横切った。
グルルルル……。
「……お、お前……また出たのかよ!?」
かつて遭遇した、あの獰猛な魔獣――白虎。しかし今回は様子が違っていた。その双眸は血のように赤く濁り、どす黒い殺気を放ちながら刀を睨みつけている。
白虎は短く威嚇すると、爆発的な脚力で地を蹴り、一気に刀へと飛びかかってきた。
左右から繰り出される、岩をも砕く鋭い爪の猛撃。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
刀は右へ左へと、地面を泥臭くゴロゴロと転がりながら、必死の思いでそれを回避する。
屋根の上から特等席で見物しているスノーは、くすくすと笑いながら声をかけた。
「何それ、新しいダンスか何かのつもり?」
「踊ってる場合じゃねぇだろ! あいつ、前より格段に早くなってやがるっ!!」
「はぁ……」
スノーは呆れたように小さいため息をつくと、屋根の上から鋭い指示を飛ばした。
「無駄に動かないで。身体じゃなくて、“目”に集中して。相手の動きをよく見るの」
「そんなことでどうにかなるかよ!!」
叫びながらも、刀は直感的にスノーの言葉に従った。脳裏の“器”がドクンと脈動し、全神経を「視覚」へと引き上げる。
その刹那――世界が、劇的にスローモーションへと変わった。
猛スピードで迫るはずの白虎の爪が、まるで静止画のようにゆっくりと見える。それどころか、攻撃の軌道が光の線となって、あらかじめ刀の脳裏に浮かび上がってきたのだ。
(……見える! これなら……!)
刀は紙一重の体捌きで爪をすり抜けると、一気に白虎の懐へと飛び込んだ。手元にあるのは、スノーが作った仮初めの氷の剣。
刀はその剣を逆手に握り直し、渾身の力で虎の首元を鋭く切り裂いた。
「ガゥッ……!」
白虎は短い悲鳴を上げ、大地に倒れ込むと、そのままサラサラと黒い霧となって消え去っていった。
それを見届けたスノーが、屋根の上からパチパチと小さく拍手を送る。
「ふーん。やればできるじゃない」
「へへん、言ったろ? 余裕だっての!」
刀は得意げに鼻をこすり、氷の剣をガキ大将らしく肩に担いだ。
――パキッ。
小気味いい音を立てて、刀の手にある氷の剣が、真っ二つに折れて雪の上に落ちた。
「……あ。……やっぱり、ちゃんとした武器が欲しいなぁ……」
折れた剣の柄を情けなく見つめる刀の後ろ姿を、スノーは屋根の上から、どこか愛おしそうに、けれど少しだけ寂しげに見つめていた。
「……やっぱり、全然なってない。力の使い方が根本的に分かってないよ」
戦いが終わり、家に戻る道すがら、スノーは腕を組んで手厳しく批評した。
刀は悔しそうに眉を寄せ、ぶつぶつと文句を言う。
「俺の肉体が強くたって、武器がそれについてこねぇんだよ! 頑丈な武器さえあれば、俺だって……!」
その言葉を聞いた瞬間、スノーの表情がふっと翳った。
「……武器、か……」
まるで、触れてはならない遠い記憶の箱を開けてしまったかのように、彼女は小さく、切なく呟いた。その様子に気づいた刀は、慌てて話題を切り替えるように声を張り上げた。
「あ、いや! 今はスノーが魔法で作ってくれるから十分だし! ほら、氷の剣とか、すぐ出せて便利だしさ!」
そう言いながら、刀は自分の腹をさすってみせる。
「……それより腹減った。スノー、なんか食べるものない?」
「ふふっ、本当にマイペースね」
スノーはくすりと笑った。その笑顔はいつもの少女のものだったが、やはり、その瞳の奥には拭いきれない哀愁が隠されているようだった。
翌朝。
刀がパチリと目を覚ますと、ベッドのすぐ前にスノーが立っていた。
いつになく真剣で、どこか思い詰めたような横顔。彼女の持つ、冷徹な「魔法の天才」としての空気が室内を満たしている。
「……行きましょう」
スノーはそれだけ言うと、刀の手首を掴み、有無を言わさずに家の外へと連れ出した。
「ちょ、ちょっと待てって! まだ起きたてで頭が回ってないんだって!」
刀の抗議など聞こえていないかのように、スノーはスタスタと街外れに向かって歩いていく。刀は慌ててその小さな背中を追いかけた。
辿り着いたのは、街外れにある、完全に屋根が崩れ落ちた廃墟だった。
室内は容赦なく吹き込んだ雪で覆われていたが、奇妙なことに、部屋の中心だけはぽっかりと円形に雪が溶け、大地が露出している。
そこに、スノーが静かに立ち止まった。
「……スノー?」
刀が歩み寄ると、その視界に、圧倒的な質量を持つ『影』が飛び込んできた。
大人の背丈ほどもある、真っ白な大剣。
それはまるで極北の永久氷壁をそのまま削り出したかのように美しく輝き、周囲の空気そのものをガチガチと凍らせるような、凄まじい存在感を放っていた。
スノーはその大剣を、静かに指差した。
「……あなたの、武器よ」
刀は息を呑んだ。「これ……俺に、くれるのか?」
スノーは小さく、肯定するように頷いた。
刀は唾を呑み込み、一歩前へ踏み出す。両手でその純白の柄をしっかりと掴み、大地の底から引き抜くようにして、ゆっくりと持ち上げた。
その瞬間。
刀の脳裏に、どこか遠くから、穏やかで優しい男の声が直接響いた。
『……スノーを……頼んだぞ……』
刀は驚きに目を見張ったが、その声に宿る強い意志に呼応するように、自然と言葉を返していた。
「――任せろ……っ!」
だが、格好良く決まったのはそこまでだった。
「うおっ……ととと……重っっっ!?」
大剣の想像を絶する重量にバランスを完全に崩し、刀はそのまま前にのめり込んで、派手に雪の上に転がった。
「もう……何やってるのよ、せっかく格好良かったのに」
スノーは呆れたように小さいため息をついた。
けれど、彼女は転んだ刀を見つめながら、胸の奥で、静かに、本当に静かに祈りを捧げていた。
(……あの人。あなたの剣を、この子に託すね。刀は、バカだけど……本当はとっても強い子だから。きっと私を、守ってくれる。だから……どうか、私たちを見守っていて)
スノーの切ない祈りは、刀の手の中で鈍く輝く、白い大剣の光の中へと、優しく吸い込まれていった。




