第九話
スノーはパンッ、と小気味よく両手を叩いた。
「よし、武器は揃ったわね。……さあ、行きましょう」
刀は大剣を抱えたまま、間抜けな顔で聞き返す。「へっ? 行くって、どこに――」
言い終わる前に、スノーが刀の手首を無造作に掴んだ。
そして次の瞬間、何のためらいもなく、彼を廃墟のドアの外へと力任せに放り投げた。
「うわあああああああああ――っっ!?」
ずさささーーーっ! と本日二度目の雪原ダイブをキメる刀を置き去りに、スノーはひょいっと壊れた屋根の上へと飛び乗った。冷たい風に柔らかな白い髪を揺らしながら、彼女は悪戯っぽく微笑む。
「心の準備なんていらないわ。せっかくいい武器を手に入れたんだもの、あなたの本気、見せてもらうから」
スノーがその瞳に魔力を込めた、次の瞬間だった。
ピキィィンと空間が鳴動し、吹雪の向こうから地を揺るがすような無数の魔獣の咆哮が響き渡った。
「スノーさん!? ちょっと、いくらなんでも多すぎるって!!」
刀が泣きそうな声を上げるのと同時に、スノーが冷徹に前方を指差した。そこには、先ほどよりもさらに巨大な、血の目をした白虎が猛然と爪を振り下ろそうと迫っていた。
「くそっ、やるしかねぇ!」
刀は無我夢中で大剣を横一文字に振り抜いた。
凄まじい風切り音。重厚な純白の刃は、巨大な白虎の身体をいとも簡単に真っ二つに一刀両断した。……が。
「うおおおおおおおおお!!?」
今度は大剣のあまりの質量と遠心力に身体が振り回され、刀はそのまま雪原をゴロゴロと転がっていった。
ドガシャァンッ!! と派手な音を立てて、崩れた壁に背中から盛大に激突する。
「いっっっってぇ……!」
背中をさする刀だったが、戦場に休む暇などない。狂った魔獣の群れが、次々と彼を目がけて殺到してくる。
屋根の上から、スノーの凛とした指示が飛んだ。
「力の使い方よ! さっき“目”に集中させた感覚を……今度は、右手にやってみて!」
「右手に……集中……っ?」
刀が直感的に、大剣を握る右手に全意識を向けた。その瞬間、彼の右手が淡い光を帯び、あれほど重かった大剣が、まるで鳥の羽のように信じられない軽さへと変化した。
「おおっ……軽い……!」
「次は右足!」
「えっ、右足!?」
「次は左足!」
「ちょっ、待っ――」
スノーは息もつかせず、容赦なく矢継ぎ早に指示を出す。
しかし、刀はその指示に従って意識を回すたびに、身体の重苦しさが消え失せ、爆発的なスピードを手に入れていった。
大剣の白い軌跡が、迫り来る魔獣たちを次々と一瞬で斬り伏せていく。
斬って、斬って、斬り崩す――。
やがて周囲の魔獣が死に絶えたとき、刀はその場に大の字になって倒れ込んだ。
「もう無理ーーー!! 疲れた、一歩も動けねぇーーー!!」
完全に子どもの駄々だった。スノーは屋根の上から呆れたように溜息をつく。
「もー……何言ってるのよ。あなたは私の“刀”なんでしょ?」
「魔獣が多すぎるんだよ! 動けないっての!!」
「……しょうがないわね」
スノーがやれやれと手をかざした。
刹那、周囲の空気が一瞬で凍りつき、残っていたすべての魔獣の脳天から巨大な氷柱が突き刺さった。文字通りの一撃必殺。
静寂が戻る中、刀は地面に寝転がったまま、ぼそっと呟いた。
「……なぁ、スノーがそれだけ強いなら、俺いらないじゃん……」
その弱音が、戦場に響いた直後だった。
ズゥゥゥン……!! という激しい地鳴りとともに、白虎をも遥かに凌ぐ、丘のような巨体を持つ「魔熊」が姿を現した。
スノーの表情が初めて緊迫に染まり、小さく舌打ちする。「チッ……」
彼女が迎撃の魔法を向けようとしたが――魔熊の突進の方が、コンマ数秒速かった。
(やばい、間に合わない――!)
刀が本能的にそう察知した、その瞬間。
彼の手にある白い大剣から、キィィィンと耳を劈くような、高くて鋭い金属音が響いた。
大剣の中心から、刀の心臓へ向かって一本の目映い「光の線」が走る。
次の瞬間、光は一気に彼の全身へと広がり――世界から、すべての音が完全に消え去った。
身体が、あり得ないほど軽い。
刀が強烈な違和感を覚えてスノーの方を見ると、彼女は魔法を発動しようとした姿勢のまま、完全に制止していた。風にたなびいていた髪も、舞い散る雪の結晶さえも、空間にピタリと固定されている。
まるで、世界そのものから置いていかれたような、圧倒的な「静寂」。
刀は首を傾げ、目の前で静止している魔熊を見上げた。
(……これ、今、斬っちゃっていいのかな)
まるで午後の雪原を散歩でもするかのように、刀はのんびりと熊の懐へと歩み寄り、軽く大剣を振り抜いた。
重みすら感じなかった。
直後――世界の色が元に戻ると同時に、凄まじい疲労感が襲いかかり、刀はそのまま意識を失って倒れ込んだ。
スノーは、驚愕にその目を限界まで見開いていた。
「……え? なんで、刀がいつの間にか熊の後ろに……?」
彼女の視線の先で、つい先ほどまで突進してきていたはずの魔熊が、音を立てて真っ二つに割れ、雪原へと崩れ落ちていく。
地面に倒れた刀は、消え入りそうな声で弱々しく笑ってみせた。
「どんなもんだ……スノー……」
それだけ言うと、少年は満足そうに深い気絶へと落ちていった。
刀がベッドの上でゆっくりと目を覚ましたとき、最初に見えたのは、すぐ近くで心配そうに自分を覗き込んでいるスノーの顔だった。
「……起きた?」
刀はまだぼんやりとする頭で、あの戦いの最中に発現した、奇妙な“静寂の力”のことを思い出していた。
(あの力……一体なんだったんだ?)
そう尋ねようとしたが、スノーのいつになく優しい、けれどどこか張り詰めた表情を見て、彼は言葉をそっと飲み込んだ。
スノーはすぐにいつもの悪戯っぽい微笑みに戻り、刀の布団を引っぺがす。
「さあ、いつまで寝てるの。今日も特訓に行くわよ」
「はいはい……わかったよ……」
刀は投げやりに答えながらも、愛銃ならぬ愛剣を手に取り、その白い柄を優しくポンと叩いた。
(今日もよろしくな)
その瞬間、大剣がほんのりと、少年の意志に応えるように輝いた気がした。
――それから、何日も、何日も同じような日々を繰り返した。
スノーがどれだけ広範囲に魔力を込めても、もう周囲からは魔獣がほとんど姿を現さなくなっていた。
刀は「右手・右足・左足」への意識の集中を完全に肉体に馴染ませ、今やスノーと軽口を叩き合いながら、襲い来る魔獣を一瞬で一掃できるほどに成長していた。
ただ――あの時に発現した“静寂の力”だけは、あれ以来、どれだけ意識しても一度も発現することはなかった。
刀は夕暮れの廃墟で、大剣を見つめながらぽつりと呟く。
「……なぁ、大剣。お前、あの時の力、どうやったらもう一回出せるんだよ……」
当然、大剣が言葉を返してくれることはなかった。
その夜、暖炉の火を囲む夕食の時間。
スノーがコトコトと煮立つ鍋を大きめのスプーンでかき混ぜながら、不意に静かな声で言った。
「そろそろ……あの門へ、行きましょう」
刀はスープをすするスプーンを置き、わざとらしく大げさに溜息をついてみせる。
「そうだな。そろそろ毎日毎日、魔獣の肉の味にも飽き飽きしてきたところだ」
その言葉に、スノーはむくっと両頬をリスのように丸く膨らませて怒ってみせた。
「……私の味付けがまずくて悪かったわね!」
その表情があまりにも年相応で愛らしく、刀はスープを吹き出しそうになりながら慌てて手を振る。
「ち、違うって! 料理がまずいんじゃなくて、肉の種類の話だってば! ほら、スノーのスープはいつも最高だし!」
「ふふっ……嘘よ。冗談」
刀の必死の弁明を見て、スノーは堪えきれずに吹き出した。
真っ赤になってスープを一気に煽る刀を見つめながら、スノーはすぐに真剣な、騎士のような顔つきに戻り、少年の目をまっすぐに見つめた。
「いよいよ、龍退治よ。……わかっていると思うけれど、本当に強いわ。かつて、私一人の魔法では、鱗一枚に傷一つ、つけることすらできなかった」
刀は静かに息を呑み、スノーの視線を受け止める。
スノーは小さく作った右の拳を、刀の胸の前へと、まっすぐに突き出した。
「あなたは、あの龍を倒す、世界で唯一の“私の刀”なんでしょ。……期待してるわよ」
刀の瞳から、ガキ大将の軽薄さが消えた。彼は一切の迷いなく、自らの大きな拳をスノーの小さな拳へと、カツンと力強く合わせた。
「ああ、任せろ。俺はスノーの刀だからな。どんな龍だろうが、ぶった斬ってやるよ」
二人の拳が触れ合ったその瞬間。
足元に立てかけられた純白の大剣が、二人の行く末を祝うかのように、静かに、そして力強く青白い光を放った。




