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白と黒の物語  作者: あると


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第五話

次の日も、その次の日も――アリスは欠かさず雪のもとへやって来た。

小さな足で一生懸命に森を駆け、息を弾ませて洞窟の入り口に現れるたび、雪の凍てついた胸の奥はほんの少しだけ温かくなった。

気づけば、そんな穏やかな日々が一週間が経とうとしていた。

その間、アリスは村の現状をたくさん話してくれた。

「黒の国と白の国が、また戦ってるの」

「若い男の人はみんな兵士に取られていっちゃって……」

「だから、みんなすごく気が立ってるの。……お姉ちゃん、もし意地悪されても、許してあげてね……」

アリスは小さな胸を痛めるように、悲しげに長い睫毛を伏せた。雪はそっとアリスの柔らかい髪を撫でる。その小さな身体が、どれだけ大きな不安を健気に抱え込んでいるかが痛いほど伝わってきた。

(……この子は、こんな残酷な世界で、必死に生きているんだ)

きゅう、と胸が痛む。アリスはさらに声を潜め、周囲を警戒するように囁いた。

「それにね……最近、村で“手配書”が配られたの。黒の国と白の国の騎士団ができて……戦いがいっぱい起きてるんだって……」

雪の指先が、ぴたりと止まった。

「……手配書?」

アリスは言いにくそうに小さな唇を噛んだ。

「……『刀』って男の人と……『雪』って名前の女の人……」

その名を聞いた瞬間、雪の全身の血がすっと引いていく感覚に襲われた。

(……私たち……もう、世界の最前線でそんなことになっているの……?)

アリスは雪の不安を察したのか、必死に笑顔を作って見せた。

「でもね、お姉ちゃんが悪い人じゃないって、私はちゃんと知ってるよ!」

真っ直ぐな信頼の言葉が、雪の心に深く、鋭く刺さった。雪は静かに冷たい息を吸い込み、決意を込めてアリスの頭に手を置いた。

「……アリス。私、そろそろ……ここから出ようと思うの」

アリスの表情が一瞬で曇り、瞳に涙が溜まっていく。

「……え……?」

「大丈夫、あなたのせいじゃないわ。でも……私がここにいたら、あなたにまで危険が及んでしまうから」

「行かないで……お姉ちゃん、行かないで……!」

アリスは今にも泣き出しそうな顔で、雪の泥に汚れた服を小さな手でぎゅっと掴んだ。その時だった。

――カサッ。

洞窟の外から、不自然に乾いた枝を踏みしめる音が響いた。

雪は反射的に立ち上がり、アリスを自らの背後に庇いながら、凍てつく外の世界へと飛び出した。

そこに広がっていたのは、最悪の光景だった。

洞窟の周囲を、松明や武器を手にした無数の村人たちが不気味に埋め尽くしていた。その顔に張り付いているのは、剥き出しの怒りと、恐怖、そして異様な緊張感。

その中心で、アリスと同じくらいの年齢の男の子が、勝ち誇ったように胸を張っていた。

「毎日どこかに行くアリスの後をつけたら、本当に見つけたんだ! 凄いでしょ!」

自慢げに大人たちへ触れ回る男の子の声に、アリスの顔が真っ青に染まる。

雪は息を呑んだ。

(……見つかった。もう、あの静かな日々には戻れない)

村人たちは、雪の姿を捉えた瞬間、一斉に弓を引き絞った。

怒り、恐怖、狂信――そのすべてが綯い交ぜになった無数の銃口ならぬ矢先が、一斉に雪をロックオンする。

「やめて――!!」

アリスが震える足を震わせ、雪の前へと飛び出した。

「お姉ちゃんは悪い人じゃないの!! 誰も傷つけてない!!」

その悲痛な叫びが、静かな森に木霊した。だが――。

――ドスッ。

あまりにも軽く、乾いた音がした。

雪の目の前で、一本の冷酷な矢が、アリスの小さな胸を容赦なく貫いていた。

「……え?」

アリスの小さな身体が、まるで糸の切れた操り人形のように、どさりと雪の上に崩れ落ちる。

「アリス――っ!?」

雪は我を忘れて駆け寄り、震える手でその身体を抱きしめた。

腕の中のアリスはあまりにも軽く、そして、急速に冷たくなっていく。

村人の誰かが、恐怖をかき消すように金切り声を上げた。

「こいつは魔女だ! あの子供を洗脳しやがったんだ!!」

「殺せ!!」「器を殺せば、俺たちの国が救われるんだ!!」

狂ったような怒号が飛び交い、村人たちは再び雪に向けて武器を構え直す。雪はアリスをきつく抱きしめたまま、溢れ出る涙を止められなかった。

「ごめんね……ごめんね、アリス……っ! 私のせいで……っ」

アリスは苦しそうに、浅い呼吸を繰り返しながら、それでも雪のために微笑もうとした。

「……みんなは……悪くないの……。お姉ちゃん……早く……逃げて……っ」

その小さな呟きを最後に、アリスの瞳から完全に光が消失した。

「……アリス……? 嘘でしょ、アリス……!」

雪の胸の奥で、何かが音を立てて完全に崩壊した。

次の瞬間――雪は、人間のものではないような、喉をむしり取るほどの絶叫をあげた。

「うあああああああああああああああああ――っっ!!」

涙と泥でぐしゃぐしゃになった顔を跳ね上げ、目の前の村人たちを猛烈な殺気で睨みつける。

「私が……何をしたっていうのよ……っ!? 私が……あなたたちを何か傷つけた!? 答えてよ!!」

村人の一人が、恐怖に顔を歪めながら叫び返した。

「お前が“器”だからだ!! 生きているだけで罪なんだよ! 死ねぇっ!!」

放たれる無数の矢。

雪はただ、世界への呪詛を込めて叫んだ。「なんなのよ、それ……っ!!」

その刹那、世界の空気が一瞬で完全氷結した。

パキ……パキパキパキッ――!!

洞窟の周囲の空間が、目にも留まらぬ速さで絶対零度の氷に覆われていく。飛来した無数の矢は空中でガチガチに凍りつき、自重に耐えかねて粉々に砕け散った。

それだけでは止まらない。荒れ狂う極大の冷気は津波のように広がり、悲鳴を上げる村人たちの足元を、容赦なく大地ごと凍りつかせていく。

「ひっ……!」

「やめろ、化け物!!」

「助けてくれ、足が、足が動かない――っ!」

絶望的な悲鳴が響き渡る中、雪はただアリスの亡骸を抱きしめ、壊れた人形のように涙を流し続けていた。

その時、雪の赤い視界の隅に、逃げ遅れて腰を抜かしている小さな男の子の姿が映った。アリスの後をつけて、この場所を密告した、あの子供だ。

冷気がその男の子の足元にまで達しようとした瞬間、雪の脳裏にアリスの笑顔が過った。

(……この子まで、私のせいで殺すの……?)

雪はハッとして、自らの意志で猛烈な冷気をピタリと停止させた。

しかし、その一瞬の慈悲が、命取りとなる。

「今だ!! 怯むな、撃てぇっ!!」

氷の拘束を免れていた村人の一部が、狂気的な声を上げた。

放たれた数本の矢が、無防備な雪の身体を正確に捉える。

ドスッ、ドスッ、ドスッ。

鋭い衝撃とともに、数本の矢が雪の胸や肩に深く突き刺さった。

激痛が走るはずだった。しかし、雪はもはや痛みすら感じず、ただ無表情のまま、ぽつりと虚空に呟いた。

「……なんなのよ、これ……」

そのまま糸が切れたように、雪の身体はゆっくりと雪原へと倒れ込んでいく。

それを見た村人たちは、一転して狂喜乱舞の声を上げた。

「やったぞ!! 化け物を仕留めた!!」

「器を倒したぞ! これで俺たちの村は、国は救われるんだ!!」

勝鬨を上げる彼らの声を、突如として鳴り響いた天をも割るような大音響が圧殺した。

―――ドォオオオオォンッッ!!!

大地が激しく揺れ、周囲の氷柱が衝撃波で一斉に弾け飛ぶ。

倒れた雪の目の前、爆煙を割って姿を現したのは、凄まじい質量を持つ「巨大な黒い大刀」を無造作に肩に担いだ、一人の男だった。

背中に感じる圧倒的な、そしてどこか懐かしい「黒の国」の気配。

雪は、急激に薄れゆく意識の底で、その圧倒的な背中を見つめた。

「……刀……なの……?」

消え入りそうな声で、かつての最愛の少年の名を呟き、雪はそのまま意識を失った。

凄まじい風圧を纏ったその男は、足元で気絶した雪を見下ろし、酷く低く、冷え切った声で呟いた。

「……ふん。見慣れた気配がしたから来てみれば……。人違いか」

男は忌々しげに舌打ちをすると、大刀を握り直し、周囲の村人たちを冷酷な瞳で睨み据えた。

「なぁ――“白い器”よ」

狂気渦巻く戦場に、ただ、冷たい風だけが吹き抜けていった。

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