第四十五話
異形の創造神が巨大な手を天へと掲げると、引き裂かれた虚空から無数の漆黒の雷霆が、執拗に刀を目がけて降り注いだ。轟音とともに床が次々と爆砕していく。
しかし、刀は虹色に染まったその瞳に静かな力を込めた。まるで数秒先の未来をあらかじめ視ているかのように、狂暴な黒雷の軌道を完全に見切り、紙一重の最小限の動きで避けてのけていく。
『……チッ、これじゃあ埒が明かねえぞ』
精神世界の奥から炎が忌々しげに呟く。神殺しの力を以てしても、絶え間ない猛攻を回避するだけで精一杯だ。このままでは決定打に欠け、互いに体力を消耗し続けるだけの泥沼の膠着状態に陥ってしまう。
その不意だった。
激しい雷雨の中、刀はふっと、世界を拒絶するようにその目を固く瞑った。
それと同時に、彼の全身を包み込んでいた絶対の黄金の力が、嘘のように霧散して消え去っていく。
『おいバカっ、死ぬつもりか!? 』
炎が驚愕の声を上げて叫んだ――が、その制止の声はすぐに、息を呑むような沈黙へと変わった。
目の前で起きている現象が、あまりにも奇妙で、あまりにも神秘的だったからだ。
無数に降り注ぐ黒雷が、まるで刀という存在を恐れて自ら避けるように、不自然に逸れていく。一発たりとも、彼の肌をかすめることすらできない。刀はただ、目を閉じたまま、静かな庭園を散歩でもするかのような泰然とした足取りで、ゆっくりと創造神の元へと近づいていった。
(視覚というノイズに頼るから、本質が何も見えなくなるんだ……。そうだったよな、バーン)
脳裏に鮮烈に蘇るのは、かつて己を鍛え上げてくれた師・バーンとの過酷な修行の記憶。目を閉じ、五感の先にある「気配」と「魂の波動」だけを研ぎ澄ませる――その泥臭い泥中での教えが、神殺しの極限状態にある今、完璧な本能となって結実していた。
刀は迷いなく創造神の正面に立つと、虹色の炎の大剣を流麗な所作で横に薙ぎ払った。
凄まじい光の線が走り、神の首が鮮やかに切り裂かれる。だが、その頭部は漆黒の闇の靄を噴き出しながら、すぐさま磁石のように元の肉体へと繋ぎ合わされてしまった。
「無駄なことを。私は不死、この世界の理そのものだ」
首を繋ぎ止めた創造神が、嘲笑うように低く笑う。
「……くそっ、どうすれば完全に殺せるんだよ!」
刀が焦燥を滲ませて叫んだ、その時だった。
『……スフィアさん、ルナ……。分かってる、魔力を一点に集中させるのよね』
倒れ伏していたスノーが、祈るように呟いた。
彼女の魂が器の深淵と完全に同調した瞬間、創造神の禍々しい胸の奥底に、淡く、しかし確実に脈打つ『光り輝く核』が透けて浮かびあがった。
「刀、あれが核よ! あそこを叩き潰してっ!!」
スノーが残った力を振り絞り、神の胸元を指差して叫ぶ。
「――任せろッ!」
刀は目をカッと見開き、虹色の炎を極限まで爆発させた大剣を頭上高くに振りかぶった。
「やめろ……! 私はこの世界の生みの親、唯一無二の神なんだぞ……っ!? 私という楔がいなくなれば、この世界は光もろとも完全に崩壊するんだぞ!!」
創造神の、威厳を失った見苦しい悲鳴がホールに木霊する。
だが、その脅迫じみた狂言に、刀の瞳が揺らぐことは万に一つもなかった。
「お前が創った世界なら、俺たちが新しく守り抜くだけだ。――終わりだ、化け物」
冷徹にそう言い放つと同時に、刀は渾身の力で大剣を振り下ろした。
――ズバァァァァァンッッッッ!!!!
光の刃は空間ごと、創造神の胸の奥で脈打っていた核を、完璧に真っ二つへと切り裂いた。
「ああ……、あ、あああ……っ」
核を失った異形の神は、断末魔の叫びを上げる間もなく、足元からボロボロと灰のような黒い霧となって崩れ落ちていく。しかし、その完全に消滅する直前、残された霧が不気味に歪み、呪詛に満ちた声を残した。
「まあいい……。お前たちも、ここで終わりなのだからな……」
勝ち誇ったようなその言葉を最後に、世界の害悪たる創造神の姿は、今度こそこの世から完全に消え去った。
戦いは、終わった。
刀はすべての力を使い果たし、肺を焼くような荒い息を吐きながら、その場にどうと両膝をついた。
――ピシッ。
静寂に包まれたホールに、冷酷で、不吉な乾いた音が響き渡る。
刀が手にする炎の大剣の剣身に、網の目のように細かなヒビがみるみる広がっていった。
「……あっ……」
その不穏な音でようやく意識を取り戻したスノーと雪は、眼前の光景にそれぞれ息を呑んだ。
「嫌、嘘よ……。行かないで、炎……っ! せっかく、せっかくまた再会できたのに……っ!!」
スノーは大剣に向かって狂ったように駆け出した。その黄金の瞳からは、止まることのない大粒の涙が溢れ、頬を伝って冷たい床へとこぼれ落ちていく。大剣のヒビは、内に宿る炎の魂が完全に消滅しかけている証拠だった。
一方、雪もまた、ふらつく足取りで刀の元へと必死に走った。
だが、駆け寄った彼女の視界に映ったのは、絶望的な現実だった。刀の、優しく自分を見つめるその顔にも、大剣と同じように『光のヒビ』が、皮膚を裂くようにして侵食を始めていたのだ。神の力をその身に受け止めた代償が、彼の肉体と魂を内側から崩壊させていた。
「嘘、刀……。せっかく、せっかくまた会えたのに……! 私、あの時の返事も……まだちゃんと、あなたに言ってないのに……っ!!」
雪が刀の身体縋り付き、引き裂かれそうな声で叫ぶ。
刀は全身を襲う崩壊の激痛に耐えながら、彼女の涙を拭うように微かに、どこまでも愛おしそうに笑ってみせた。
「……ごめんな、雪。……その返事は、あの世まで……気長に待ってるから……」
そう静かに告げて、刀の虹色の瞳から、ゆっくりと光が消え失せていった。
「やだ……やだよ、刀っ! お願いだから目を覚まして! 目を開けてよぉっ!!」
雪は、光を失って崩れ落ちていく刀の冷たい身体に、狂おしく泣き叫びながら抱きついた。
悲痛な絶望が、世界を支配した――その、瞬間だった。
――グサッ……!!!
唐突に、雪の胸の奥へ、肉と骨を無慈悲に断ち切る鋭い激痛が走った。
「え……?」
あまりの衝撃に、雪の涙がピタリと止まる。呼吸の仕方を忘れたように、彼女はゆっくりと首を巡らせ、前を向いた。
そこには――。
感情のすべてを削ぎ落としたような、底知れぬ無表情のまま佇む、スノーが立っていた。
スノーの手には、ヒビ割れた炎の大剣が、冷酷に握り締められている。
そしてその残虐な刃は、息絶えた刀の肉体を無慈悲に貫き、そのまま、彼に抱きついていた雪の胸の最奥までも、深く、狂おしいほどに貫通していた。
「あ……、が、は……っ……」
雪の口から、鮮烈な赤がこぼれ落ちる。
世界を救ったはずのホールの中心で、二人の血が混ざり合い、静かに床を赤く染めていった。




