第二十七話
黒い靄が激しく渦を巻き、凝縮し、悍ましい形を成していく。
その中心から現れたのは――かつて刀が死闘を繰り広げた、見覚えのある白銀の龍鱗を纏った巨大な龍だった。鱗は冷徹な月光のように輝き、その縦長の瞳は獲物を見下ろす絶対的な捕食者の光を宿している。
ベノムがその巨体に力を込めた瞬間、周囲の重力が狂ったかのように空気が重く沈み込んだ。
「ぐっ……!?」
刀たちは全員、目に見えぬ巨大な質量に押しつぶされるようにその場に膝をついた。全身の骨が悲鳴を上げ、指一本すら動かすことができない。
ベノムは喉の奥で酷薄に笑い、傲慢に吠えた。
「我は魔獣の王。最強と謳われし龍の力すら――我が肉体に顕現できるのだ」
白銀の腕が天高く振り上げられ、空気を爆裂させるほどの凶悪な衝撃波が放たれた。直撃すれば、全員が消し飛ぶ。
「動け……! 動けぇ、俺の身体ァ!!」
バーンが血を吐くように叫ぶが、鉛のようになった肉体は無情にも動かない。
――ドゴォォォォンッ!!
凄まじい轟音が森を揺らし、土煙が爆発したように舞い上がった。ベノムは勝利を確信したように、不快な高笑いを上げる。
「ハハハハハ!! 人間など、所詮はこの程度――」
だが、その笑いは途中で引きちぎるように止まった。
立ち込める土煙が晴れたその先。まばゆい金色の闘気を全身に纏い、平然と大剣を構える刀が立っていた。
その神々しいまでの姿に、バーンは驚愕に目を見開く。
刀は首を小さく回し、ゆっくりとバーンへ視線を向けた。
「バーン。こいつは……俺たちに譲ってくれないか」
金色の光が刀の身体から奔流となって溢れ出し、大剣の刃が共鳴するように低く唸りを上げる。
「あの白銀の龍とは、ちょっとした因縁があるんだ。……なあ、スノー」
刀の言葉に、隣に並び立つスノーが静かに、けれど強く頷いた。
「ええ。あの時の借り……ここで一括で返しましょう」
刀は首の後ろを掻きながら、不敵に苦笑する。
「いやさ、あの時は勝ったとはいえ、明らかに手加減されてただろ? あれじゃどうにも寝覚めが悪くてよ」
「当たり前でしょ、見逃してもらったんだから」
「ちげーよ! だからこそ、この龍の姿をしたこいつを叩き潰して――俺たちの力を証明してもらう。二人同時に、リベンジマッチだ!」
その啖呵を切った瞬間、スノーがふいに頭を僅かに横へ避けた。
直後、彼女の背後の空間から、極限まで圧縮された巨大な氷嵐弾が射出された。
――ドバァッ!!
超高速の氷弾はベノムの左肩を正確に、そして深く貫いた。白銀の鱗が砕け散り、鮮血が舞う。
「ぐああああっ!? 我が絶対防御の……龍鱗が……破られただと……!?」
ベノムが驚愕と苦悶の声を上げる中、刀はスノーを見てガナり立てた。
「おまっ、不意打ちはずりーぞスノー!!」
「これが連携でしょ! 行きなさい、刀!」
「よっしゃあ!」
刀は金色の光の尾を引き裂くようにして、爆発的な速度で走り出した。その先には、因縁の白銀の龍鱗を纏う魔獣の王が、狂気的な怒りを宿して待ち構えていた。
龍の咆哮が衝撃波となって森を震わせた。
刀は大剣を前に構え、その真正面からの突進を受け止めようとするが――。
「ぐっ……お、重ぉっ……!」
防ぎきれず、大剣ごと強烈に弾き飛ばされ、地面を何度も転がりながら後方へ吹き飛ばされる。さすがは魔王の顕現させた龍の怪力、一筋縄ではいかない。
ベノムは追撃の手を緩めず、その身に纏う龍鱗を無数に射出した。鋭い光を放ちながら空を裂く鱗の弾幕が、刀の周囲へ容赦なく降り注ぐ。
「クソッ、さすがに……強えぇ……! 近づけねぇ!」
刀が歯を食いしばり、大剣で鱗を叩き落とす。その窮地に、今度はスノーが前に出た。
「任せて!」
彼女の周囲に小さな氷弾が無数に生成され、螺旋を描きながらベノムへ向けて一斉に放たれた。弾幕と弾幕が衝突し、龍鱗が砕け、ベノムの肉体に新たな血飛沫が飛び散る。
スノーはさらに視線を後方へ送り、スフィアに向けて手を伸ばした。
「スフィアさん、魔力を借ります!」
スフィアは頼もしい弟子の成長に妖艶に微笑み、自身の膨大な魔力を惜しみなく譲渡する。「好きに使いなさい」
スノーはその純度の高い魔力を即座に極氷へと変換し、かつてスフィアが見せたあの巨大なバリスタの矢を形成した。寸分の狂いもなく狙いを定め――。
「――行けっ!」
解き放たれた巨矢は一直線に飛び、先ほどスノーが穿ったベノムの左肩の傷口へ、深く容赦なく突き刺さった。
瞬間、傷口から凄まじい速度で凍結が広がり、ベノムの巨体の動きが目に見えて鈍っていく。
「今よ、刀!」
「おうっ!」
刀が地面を蹴り、一気に勝負を決めようとしたその時――。
「……調子に乗るなよ、人間どもが……!」
ベノムの引き裂かれた口から、どす黒い靄が大量に噴き出した。
その靄は瞬く間に質量を持ち、ベノムの身体から分離して、もう一頭の巨大な『黒龍』へと姿を変える。そしてその黒龍は、まだ魔力縛鎖から完全に脱しきれていないバーンへ向けて、残虐に爪を振り下ろした。
「バーンさん!!」
刀とスノーが同時に叫び、そちらへ向かって駆け出そうとする。
だが、その制止の声を、バーンの怒号が遮った。
「来るな!!」
片膝をつき、血を吐きながらも、バーンは不敵に笑って大剣を突き上げていた。黒龍の巨大な爪を、真っ向からその刃で受け止めてみせる。
――ドゴォォォンッ!!
地面がクレーター状に砕け、凄まじい衝撃が森を揺らす。だが、バーンの刃は微塵も押し負けていなかった。
スフィアがその横に静かに立ち上がり、スノーを見て誇らしげに微笑む。
「ふふ、ずいぶんと偉くなったわね、スノー。師匠を心配するなんて百年早いわよ」
「……けっ、弟子に助けられるほど……落ちぶれちゃいねぇよ」
バーンは大剣を押し返し、ゆっくりと、しかし圧倒的な威風を纏って立ち上がった。そして刀とスノーを振り返り、鋭い眼光で言い放つ。
「お前らはその不細工な本体をぶち倒せ。ここは――俺たち『師匠』が抑えてやる」
スフィアも黒龍を見据え、その手に冷徹な魔力を収束させながら不敵な笑みを浮かべた。「ええ。こいつの相手は任せなさい」
二人の絶対的な師匠が、襲い来る黒龍へと向き直る。
その背中に守られながら、刀とスノーは、互いに視線を交わして強く頷いた。狙うはただ一つ、凍結に苦しむベノム本体。
二人の『器』の、真のリベンジマッチが始まる。




