第二十二話
スフィアは茫然と立ち尽くすスノーの前に立ち、小首を傾げた。
「……今の、わかった?」
スノーは困惑に顔を歪め、勢いよく首を横に振った。
「……全然……! 何が起きたのかすら見えなかった!」
「はぁ……やっぱりね。じゃあルナ――」
スフィアが言い終わるより早く、地面から跳ね起きたルナがすでに拳を振りかざしていた。
「いっくよぉ!!」
風の鳴動とともに、ルナの連撃が嵐のように降り注ぐ。一撃一撃が岩をも砕く威力を秘めていた。
だが、スフィアは一歩も動かない。まるで春先のそよ風でも避けるような軽やかさで、首を傾け、身を翻し、そのすべてを最小限の動きでいなしていく。
スノーはその圧倒的な光景を凝視しながら、ある奇妙な事実に気づいた。
ルナの魔力は、視覚を灼くほど強烈に輝いている。――なのに。
対峙するスフィアからは、魔力の波動が一切感じられないのだ。
まるで“そこに存在しない”かのように、彼女の気配だけが世界から完全に消えている。
「……どうして……?」
スノーが戦慄混じりに呟いた瞬間、スフィアがまた退屈そうにため息をついた。
「こうやるのよ」
スフィアの掌が、吸い込まれるようにルナの胸元へ軽く触れた。
――ドンッ。
硬い破裂音とともに、ルナの身体がその場に崩れ落ち、膝をついた。
スノーは息を呑んだ。
触れた、まさにその瞬間。スフィアの手のひらは――ルナの放つ輝きを遥かに凌駕する、眩いばかりの魔力を爆発させていたのだ。
ルナは胸を押さえ、悔しそうに顔を歪めて蹲る。
スフィアはスノーに向き直ると、冷徹な響きを帯びた声で静かに言った。
「凡人には凡人の戦い方があるのよ。魔力をただガムシャラに回すだけじゃ、いつか必ず限界が来る」
スノーの唇が、恐怖と憧憬で小さく震える。
「……怪物め……」
「あら、最高の褒め言葉ね」
スフィアは楽しそうに妖しく笑った。
「さあ、スノー。本当の“魔力制御”を教えてあげるわ」
「スノー、こっちに来て座りなさい」
スフィアが細い指先で無造作に床を示すと、スノーは素直にルナの横へと歩み寄り、ちょこんと腰を下ろした。
二人は並んで正座し、まるで処刑台を前にした罪人のように背筋をぴんと伸ばす。
スフィアは二人の頭に優しく手を置き、いたずらっぽく微笑んだ。
「さあ……行くわよ?」
その瞬間――。
スノーとルナの体内で、ドロリとした“何か”が不気味に蠢き始めた。
「っ……!? な、なにこれ……っ!」
「う、うわぁぁぁぁ!!」
二人は同時に悲鳴を上げ、本能的にその場から逃げ出そうとした。だが、身体が金縛りにあったように一ミリも動かない。
内側から強引に魔力を逆流させられ、神経を直接炙られるような、筆舌に尽くしがたい不快感と激痛が全身の回路を駆け巡る。
暴れる二人を抑え込みながら、スフィアは容赦なくその手に力を込めた。
「もう時間がないの。荒治療でいくわよ」
あまりの苦痛に二人の悲鳴が途切れ、やがてスノーとルナは、同時にぷつりと意識を失った。
「よいしょっと」
スフィアは気絶して白目を剥いている二人を両脇に手荷物のように抱え、ずるずると地面を引きずりながら家へと帰ってきた。
「ただいまー」
木製の扉を足で押し開けると、正面のテーブルには、すでにボロボロになった刀と、その向かいにバーンが座っていた。
刀の顔面はアザだらけで、衣服は裂け、今こうして椅子に座っていること自体が奇跡のような満身創痍の状態だった。
その様子を見たスフィアは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「あら、今日はまだ意識があるのね、刀?」
刀は腫れ上がった顔で歯を食いしばり、正面のバーンを鋭く睨みつけた。
「……明日は……絶対に勝つ」
「ふん」
バーンは鼻で笑い、分厚い腕を組んだ。
「お前に俺の“虚実の剣”を真似るのは無理だ。……だが、お前にはお前なりの、泥臭い剣がある。それなら、届くかもしれん」
刀は血の滲む拳を強く握りしめ、魂を絞り出すように力強く言い放った。
「任せろ。意地でもモノにしてやる」
若き剣士たちの不器用で、けれど熱いやり取りを見届けながら、スフィアは引きずってきた二人を床に転がし、ふっと満足そうに微笑んだ。
「……いいわね。器って、本当に面白いわ」
床に転がる少女たちと、限界を超えてなお牙を剥く少年。
それぞれの「器」が新たな形へと変貌を遂げる瞬間は、すぐそこまで迫っていた。




