第二十一話
その頃、刀から離れた修行場でも、スノーの身に明確な変化が現れ始めていた。
相変わらず、ルナの容赦ない拳に捉えられては吹き飛ばされる。
だが――以前と決定的に違ったのは、倒れてから立ち上がるまでの速度だった。
「……こう? 違う……いや、こうか……?」
泥にまみれたスノーは、ぶつぶつと呪文のように呟きながら、自身の内側を巡る魔力の奔流を確かめていた。感覚を研ぎ澄まし、体内の回路を組み替えていく。
そして突然、弾かれたように顔を上げて叫んだ。
「――こうだ!!」
次の瞬間、スノーの身体が一瞬で加速した。
風を切り裂く鋭い音が響き、彼女の姿がルナの視界からブレる。
「わっ!? は、速っ!」
予想以上の急加速に、ルナは本能的にカウンターの拳を放った。
まともに衝撃を浴びたスノーの身体が吹き飛び、無惨に地面を転がる。だが、スノーは痛みに眉をひそめることもなく、バネのようにすぐさま立ち上がった。その瞳は爛々と輝いている。
「……わかったわ、ルナ。あなた、風を纏って加速したり、攻撃の威力を底上げしたりしてるのね」
「えっ、それがわかったとして――」
言いかけて、ルナは言葉を失った。
スノーが静かに息を吐き出すと同時に、彼女の全身に凄まじい密度の魔力が循環し始めたのだ。肌のすぐ下を光の脈動が走り、銀髪が重力を無視してふわりと舞い上がる。
「……行くわよ」
冷徹な宣言とともに、スノーの姿が完全に掻き消えた。
「っ!?」
ルナの戦闘勘が働き、即座に拳を突き出す。
しかし、スノーはまるで陽炎のようにひらりとそれをかわし、無防備になったルナの顔面へ拳を突き出した。
――ドガッ!!
重い衝撃音が響く。だが、スノーの拳はルナの肌に触れる直前でピタリと止まっていた。ルナの周囲に、目に見えぬ暴風の壁が展開されていたのだ。
「残念でしたー」
ルナは悪戯っぽく笑いながら、さらに魔力を練り上げる。
風は凶悪な渦を巻き、足元の砂を激しく舞い上げた。一触即発のその瞬間、二人の間にひらりと影が滑り込む。
「はい、そこまで!」
小悪魔のような笑みを浮かべたスフィアだった。彼女は戦意を滾らせるスノーをじっと見つめ、妖しく目を細める。
「次は……私の番ね?」
その声音に込められた絶対的な格の違いに、スノーの背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。
「さあ、やりましょうか」
スフィアが優雅に微笑むと、スノーは荒い息を整え、力強く頷いた。
「お願いします!」
スノーは体内の全魔力を一気に引き出し、身体能力を極限まで引き上げる。
だが――対峙するスフィアの姿を見た瞬間、彼女は驚愕に目を見開いた。
スフィアの細い手には、いつの間にか巨大な氷の弓が握られていた。そこに番えられているのは、およそ矢と呼ぶには凶悪すぎる、城壁破壊用のバリスタ(弩砲)かと思まがうほどの巨大な氷塊だった。
「えっ……ちょ、ちょっと待っ――」
「待たないわよ?」
スフィアは容赦なく弦を引き絞り、解き放った。
空気が爆裂するような轟音。
巨大な氷塊の矢は一直線にスノーへと肉薄し――。
――ドガァンッ!!
凄まじい爆音とともに、広大な砂煙が巻き起こった。
やがて煙が晴れると、そこにはスノーが咄嗟に展開した巨大な氷の盾があった。スフィアの放った矢は、その盾の芯深くまで突き刺さり、ミリ単位のところで止まっている。
「はぁ……はぁ……っ!」
盾の陰で、スノーは肩を大きく上下させながら、辛うじて踏み止まっていた。防ぐだけで全精力を使い果たすような一撃。
「まあまあね」
不意に、すぐ耳元で冷ややかな声がした。
「っ!?」
いつの間にか、スフィアが背後に立っていた。気配すら感じさせない神速。
スノーは戦慄しながらも前に転がり、必死に距離を取る。体内の魔力をさらに高め、限界のその先へと手を伸ばす。
スフィアはいたずらっぽく首を傾げた。
「準備はできた?」
スノーは強く頷き、拳を固く握りしめる。
「これが……私の全開の魔力。行くよ!」
スノーが地面を蹴った瞬間、その足元で空気が爆ぜ、爆風を残して彼女の姿が消えた。
ドカッ! ドガッ! バンッ!
目視できない速度の攻防。鈍い衝撃音が連続して周囲の空気を震わせ――やがて、唐突に静寂が訪れた。
スフィアは先ほどスノーが防いだ巨大な氷の矢に、まるでベンチにでも腰掛けるように優雅に腰を下ろし、深くため息をついた。
「これだから嫌なのよね……天才って」
その視線の先では、スノーが息も絶え絶えになりながら、地面に膝をついていた。
スフィアはゆっくりと腰を上げ、限界を迎えたスノーの元へ歩み寄る。
「スノー。あなたが進めているのはただの“魔力循環”よ。私たちが言う『制御』とは、似ているようでまったく違うの」
スノーは血の気の引いた顔を上げ、掠れた声で問う。
「……違う……?」
「見せてあげるわ」
スフィアはパチンと小気味よく指を鳴らし、少し離れた場所にいたルナを呼んだ。
「ルナ、おいで」
「本気で行くよ、スフィア!」
待ってましたとばかりに、ルナは嬉しそうに拳を握りしめる。
「どうぞご自由に」
スフィアは両手をだらりと下げたまま、一切の構えをとらない。
ルナが満を持して高速の突撃を仕掛けた。風の渦が大地を削り取り、狂暴な突風がスフィアを襲う。
次の瞬間――ドサッ、と気の抜けた音が響いた。
「……へっ?」
スノーと、そして地面に顔面から突っ込んでいたルナが、同時に呆けた声を漏らした。
ルナは何が起きたのかも分からず、ただ地面に転がされている。スフィアは一歩も動いておらず、魔力の残滓すら感じさせない。
呆然とする二人に向けて、スフィアはくすりと艶やかに微笑んだ。
「これが“魔力制御”。あなたたちが本当の意味で目指すべき魔術師としての力よ……基本的な」




