第十九話
バーンは気絶して泥のように眠る刀を無造作に肩へと担ぎ、割り当てられた家の扉を足で押し開けた。
室内では、すでに模擬戦を終えて戻っていたスフィアとルナがテーブルを囲み、皿の上の“何か”を不審そうにつついていた。
「ただいま戻った。……スノーの姿が見えんが、どうした?」
バーンが重々しく尋ねると、ルナがスプーンをくわえたまま、短髪を揺らして部屋の奥を指差した。
「寝てるよー。さっき、広場で倒れたままピクリとも動かないから、ここまで運んできたの」
「そうか……。大事はなさそうだな」
バーンはひとまず安堵の息をつき、ふとテーブル中央に鎮座する悍ましい物体に目を留めた。それは炭を通り越して、どす黒い怨念の塊のように歪んでいる。
「……ところで、怪訝に思うのだが。これは一体、何だ?」
ルナは満面の笑みを浮かべ、小さな胸を張った。
「ご飯!」
「…………」
スフィアは気まずそうに顔をそむけ、バーンは深く額を押さえた。
「……お前たちは、戦場でのサバイバルは一流のくせに、家庭料理の一品すら満足に作れんのか……」
皿の上の黒い塊は、もはや料理という概念を冒涜しているとしか思えない代物だった。
次の日も、その次の日も――白銀の村には、凄絶極まる地獄のルーティンが定着していった。
刀は昼下がりの広場でバーンの見えない斬撃によって盛大に吹き飛ばされ、完全に気絶しては肩に担がれて帰ってくる。
一方のスノーは、夕暮れまで魔力を限界のさらに先まで絞り出して昏倒し、ルナに引きずられるようにして雪原をずるずると運ばれてくる。
常人であれば、確実に精神か肉体のどちらかが崩壊していてもおかしくない過酷さだった。
だが奇妙なことに、翌朝になると二人は何事もなかったかのようにケロッとした顔で起き上がり、またしても貪欲に特訓へと赴くのだ。
バーンはその様子を毎朝見送るたび、腕を組んだまま不思議そうに呟いた。
「……『器』の肉体とは、すべからくそういうものなのか……?」
常識を遥かに逸脱した超常的な回復力と精神の頑強さに、白銀騎士団の面々はただ首を傾げるしかなかった。
胎動する魔力、不変の剣
一週間が経ったある日の午後、バーンは特訓の合間にスフィアたちへ歩み寄り、尋ねた。
「スノーの様子はどうだ? 少しは手応えがあるか」
ルナがけらけらと笑いながら、楽しそうに答える。
「相変わらず、私の速度について来れなくて吹っ飛んでるよ!」
だが、その横にいたスフィアは、いつになく深い含み笑いを口元に浮かべていた。バーンはその戦士としての直感で彼女の機微を察知し、わずかに眉をひそめる。
「……スフィア? 何かあったのか」
スフィアは、スノーが今まさに瞑想しているであろう部屋の扉を静かに見つめながら言った。
「ちょっとね……面白くなりそうなんだよね、あの子。……魔力が、変わり始めてる」
言われて感覚を研ぎ澄ますと、確かにスノーの部屋の隙間から、微かに揺らぐ魔力の気配が漏れ出していた。それは一週間前のような、ただ暴力的で巨大なだけの光ではない。密度を増し、深く、どこか底知れない“異質”な輝きを帯び始めた、洗練された魔力だった。
「ルナ、あんたもスノーを見習って、少しは緻密な魔力制御を覚えなさい」
スフィアが釘を刺すように向き直ると、ルナは先ほどの“黒い塊”を何故か平然ともぐもぐと咀嚼しながら、他人事のように言った。
「えー? 私は今のままで十分強いからいらないよー」
「……はぁ。ほんとに、自覚のない天才ってのは厄介ね」
スフィアは盛大なため息をつくと、今度はバーンへと視線をスライドさせた。
「それで、刀の方はどうなの?」
バーンは肩をすくめ、あえて呆れたような口調で答えてみせる。
「相変わらずバカ正直に、力任せに大剣を振り下ろすだけだ。剣筋の鋭さと速さだけは上がっているが……それだけだな」
だが、厳格な副団長の声には、隠しきれない微かな期待の響きが混じっていた。
その日の夕方。刀とスノーが、それぞれの限界を迎えて深い眠りについている小さな家の中で、バーンは二人の寝顔を見下ろしながら静かに息を吐いた。
「……根性と、負けず嫌いなところだけは、二人とも一人前だな」
その声には、呆れと、そして確かな誇らしさが混じっていた。
スフィアは暖炉の前の椅子に腰かけ、くすりと妖艶に笑う。
「スノーも負けてないわよ。どれだけルナに打ちのめされても、次の瞬間にはもう立ち上がろうとするんだから」
「まったく……器というのは、どうしてこうも似たような強情な奴ばかりが集まるのか」
バーンが苦笑すると、スフィアは窓の外に広がる、白銀の雪原を赤く染める美しい夕焼けを見つめながら、どこか楽しそうに目を細めた。
「でもね、バーン。そういう、理屈抜きで泥をすすれる子ほど、誰も追いつけないくらい伸びるのよ。……見ていて本当に飽きないわ」
バーンは少しだけ目元を和らげ、眠る刀の硬い頭を、大きな手で不器用に向こう見ずな子供を労るように軽く撫でた。そして、誰も傷つけない静かな声で呟く。
「……強くなれよ、刀。お前も、スノーも」
窓から差し込む美しい夕暮れの光が、静かに二人を照らし出す。暖炉の火が爆ぜる音に混じって、未来を背負う二人の“器”の、規則正しくも力強い寝息だけが、部屋の中に優しく響き渡っていた。




