第十二話
くぐり抜けた門の先は、世界が真っ白に塗り潰されていた。
そこは、一面が白銀の雪に覆われた静寂の森だった。木々の枝葉から足元に至るまで、すべてが純白。風の音すら途絶え、ただ降り積もった雪が、どこからともなく差し込む淡い光を反射してキラキラと瞬いている。
「……ここは、どこだ?」
張り詰めた冷気に息を白く染めながら、刀は思わず息を呑んだ。隣に立つスノーも、不思議そうに周囲を見回して首をかしげる。
「さあ……? 私にも見覚えのない場所ね」
違和感を覚え、二人は同時に後ろを振り返った。しかし、そこにあるのは延々と続く雪の足跡だけ。さっきまで確かに背後にあったはずの『門』は――まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく消え去っていた。
「……消えてる……」
呆然と呟いた、その時だった。
――ザッ……ザッ……ザッ……!
――はぁ……はぁ……はぁ……!
静寂を切り裂くように、荒々しく雪を踏みしめる足音と、切羽詰まった人々の息遣いが遠くから急速に近づいてくる。
ただならぬ気配に、刀とスノーは即座に身構えた。
次の瞬間。
「きゃあああああっ!!」
悲鳴と共に、雪の斜面を転がり落ちてくる二つの影があった。母親と、小さな男の子だ。母親は我が子を庇うように必死に抱きしめ、雪まみれになりながらも震えていた。
無理もない。彼らの目の前には――何十体もの黒い狼の魔獣が、白銀の雪の上に不吉な影を落として群がっていたのだ。
飢えに満ちた赤い双眸が不気味に光り、鋭い牙から涎が滴る。
「刀――!」
スノーが叫び声を上げるより早く、突風が吹いた。
刀はすでに走り出していた。雪を深く蹴り上げ、一直線に親子と魔獣の間へと飛び込んでいく。
「間に合えッ!!」
親子の前に立ちはだかったその広い背中は、まるで『守護』という言葉そのものを体現しているかのようだった。
後れを取ったスノーは、素早く膝をつき、両手を冷たい雪原に押し当てた。
彼女の手のひらから放たれた魔力の光が、白い雪の下を這うようにして魔獣たちの足元へと走る。次の瞬間、鋭い轟音と共に地面を突き破り、無数の巨大な氷柱が林立した。
しかし――。
「こいつ……速い!」
スノーは息を荒げ、目を見開いた。黒い狼たちは、まるで重力を持たない風のように軽やかに跳ね、致命傷となる氷の刃を悉く躱してのけたのだ。
「わかった!」
刀が咆哮を上げ、親子の盾となりながら大剣を猛然と横薙ぎに振り抜く。だが、巨大な刃が捉えたのは虚空だけだった。魔獣はその一撃すらも、影が揺らぐような不可解な軌道で滑るように避けてみせる。
「マジで速ぇ……!」
刀の口から、焦りと驚愕が入り混じった声が漏れる。このままではジリ貧だ。後ろには守るべき親子がいる。
その状況を打破するため、スノーはもう一度、両手を深く雪に沈め込んだ。限界に近い魔力を、命を削るようにして全身から絞り出す。
「……逃げ道は……これで塞いだわ……!」
眩い光が弾け、魔獣たちの周囲を囲い込むように、分厚く巨大な氷の壁が円状にそそり立った。逃げ場を失い、魔獣たちが壁の中で動きを止める。
だが、すべてを出し尽くしたスノーは限界を迎え、そのまま雪の上へと力なく崩れ落ちた。
「スノー!!」
刀は背後を振り返り、悲痛な声で相棒の名を叫んだ。
氷の檻に閉じ込められた魔獣たちが、好機とばかりに一斉に凶悪な牙を剥き出しにする。
その瞬間――刀の瞳から焦りが消え、氷のような冷酷な殺気が宿った。
「……来いよ」
地を這うような低い声。刀は倒れたスノーと親子を背に庇うように一歩前へ踏み出し、重厚な大剣を静かに構え直した。
飢えた黒き群れが、四方八方から一斉に跳躍する。
しかし、刀は一歩も引かなかった。
――閃刃。
舞い散る雪煙。空を裂く鋼の音。
刀は大剣を嵐のように振るい、襲い来るすべての牙を、爪を、悪意を、一切の容赦なく斬り裂いていった。
凄惨な黒い影が、次々と雪原に叩きつけられ、沈黙していく。
やがて、最後の一体が地鳴りとともに崩れ落ち、動かなくなった。
刀はゆっくりと息を吐き出し、血濡れた大剣を肩に担ぎ直すと、倒れたスノーと震える親子の方へと振り返った。
「……大丈夫だ。全部、倒した」
いつしか魔獣の咆哮は消え失せ、白銀の森には再び、雪の降る音さえ聞こえぬほどの深い静寂が戻っていた。




