手足
手の甲で涙を拭い、座り込みそうになる自分を叱咤して、リアナは正面をにらみつけます。泣いていても何も変わりません。ここにいては、皇子に会うことは絶対にできないのです。泣いて、自分以外の誰かのせいにして、私は悪くないと言い訳をして、それが何の役に立つでしょう? ルシアン殿下に会う、それ以外のことは全て、今は考えなくてよいのです。
リアナはまず、身をかがめて慎重に窓に近付くと、外の様子を窺いました。部屋の扉が塞がれていても、窓は自由に開け閉めできます。貴婦人に相応しいとはとても言えませんが、窓から出て皇子の許へ――しかし窓の外には、そんな甘い期待を裏切る光景が広がっていました。そこには、まるで戦争でもしているかのように、完全武装した兵士たちが槍で周囲を威圧していました。その恐ろしい光景に、リアナは思わず窓から身を隠しました。
(いったい何が起きているの?)
心臓が震え、呼吸は早く浅くなります。兵士たちの身に着ける鎧は確かに帝国兵のもの。限られた身分しか帯剣を許されぬ皇宮内で、大勢の兵士が完全武装で歩くなどあってはならぬことです。あってはならぬことは起きている、それは、もはや昨日までの当たり前が通用しなくなっているということでした。
何度も深呼吸をして、自分で肩を抱いて震えを抑え、リアナはもう一度窓の外を見ました。扉から出ることはできないなら、窓から抜け出すしかありません。兵士たちの様子を観察すれば、隙を見つけられるかも――
(あれは、確かザンデ殿下の――?)
先ほどよりも少しだけ冷静に兵士たちを観察したリアナは、兵士たちの服装に一つの共通点を見つけました。皆、鮮やかな青色の飾り帯を巻いています。その青は第二皇子のみが使用を許される禁色。つまり、この兵士たちは第二皇子ザンデに仕える者たちなのです。でもどうして第二皇子の兵が皇宮内に? たとえ第二皇子であっても、皇宮内に武装した兵士を踏み込ませるなどできないはずです。
――なんと強引な
――もはや野心を隠すつもりもなしか
ひそひそと話す声が聞こえ、リアナは口に手を当てました。どうやら壁の向こうで、兵士たちに追い立てられた文官が話をしているようです。何か役に立つことが聞けたら――リアナは耳を澄ませます。
――マグダリア様の葬儀の手配もまだだというのに
――死の穢れを払うに兵を動かすなど理屈が通らぬ
――陛下御親征のこの折に
――陛下御親征なればこそよ
――ルシアン殿下も御可哀そうに
――我らも身の振り方を考えねば
文官たちの最後の言葉に、リアナは息を飲みます。ルシアン皇子は今、文官たちに『可哀そう』と言われる状況にある。そして、文官たちは『身の振り方を考え』ている――ルシアン皇子は、文官たちが仕えるべき主の立場を失う。
第二皇子の兵が皇宮内にいる。陛下は不在。『ルシアン殿下は可哀そう』。それが意味するところは、きっと――
溢れそうになる涙をこらえて、リアナはきゅっと口を引き結びました。もはや一刻の猶予もありません。立ち止まっている時間の分だけ、ルシアンに危機が迫っています。考えろ。どうやってこの部屋を出る? いえ、出るだけでは足りません。どうやって殿下をお救いする? 今ここにあるのは、剣を振るうこともできない、賢者のような知恵もない、十歳の、手足だけです。兵士たちを蹴散らしルシアン皇子を颯爽と助けに行くなどできません。諦める? 冗談じゃない! 謝ることもできないままお別れなんて、絶対に嫌だ!
「考えろ!」
リアナは自分の頬をピシャリと打ちます。鋭い痛みが少しだけ、恐ろしさを和らげてくれました。




