不穏
翌朝になり、リアナが目を覚ますと、皇宮内は昨日よりもさらに強い不穏な空気に包まれていました。昨日と違い、多くの人々が行き来する慌ただしさはありません。それなのに、まるで皆が息を潜めて互いの動きを見定めようとしているかのような、静かな騒めきに満ちています。リアナは急いで身支度を整えると、部屋の扉を開けました。ルシアン皇子に会わねばなりません。会って、謝らなければ。
「どちらに?」
扉を開けた途端、冷たい声がリアナの頭上から降ってきます。リアナの部屋の扉の両脇に、槍を持った兵士が立っていました。昨日までいなかったその兵士は、感情のない目でリアナを見ています。リアナは大きく息を吸うと、ぎゅっと両手の拳を握り、はっきりとした口調で言いました。
「ルシアン殿下に会いに行きます。それでは、ごきげんよう」
「なりませぬ」
足を踏み出そうとしたリアナを兵士の槍が遮ります。リアナはハッと息を飲みました。まがりなりも第三皇子の婚約者であり、属国とはいえ王家の血に連なるリアナを一介の兵士が槍で制する異常性は、何かが決定的に変わってしまったのだということをリアナに理解させました。リアナはスールの言葉を思い出します。
ルシアン殿下のお立場は危うい
あの言葉はきっと、今日のことを予見していたのでしょう。リアナは必死に動揺を抑え込むと、薄く微笑んで、知っている限りの大人の言葉を連ねて、兵士に尋ねました。
「殿下の婚約者たる私が、殿下を訪ねることに何の不都合がありましょう?」
兵士は面倒そうに小さく舌打ちをすると、槍を傾けたまま答えます。
「昨夜、殿下の母君が死んだのです。皇宮内の死の穢れを払うため、しばらくの間、皆さまにおかれましては部屋からお出にならないようお願いいたします」
兵士の言葉にリアナはわずかに目を見開きました。殿下の母君が薨去なされた――つまり、ルシアンに味方する大人が、いなくなった。リアナは昨日のルシアン皇子の言葉の意味を理解しました。
――私のことが、お嫌いですか?
それは、母君を失うかもしれない恐怖の中で、必死に助けを求める悲鳴だったのではないか。絶望的な孤独の淵に立ち、世界の全てが自分を嫌っているのではないかと怯えていたのではないか。そして今、ルシアン皇子は真っ暗な奈落の底で独り、震えているのではないか――リアナは唇を噛みます。もしあの時、私が言葉を届けられていたら――
「お部屋にお戻りください。穢れを受ければ御身も冥界に引き込まれます」
脅しのように兵士は槍の石突で床を打ちます。感情を抑え、リアナは大人しく部屋へと戻りました。兵士は先ほど、『殿下の母君が死んだ』と言いました。そのわずかな敬意もない言葉は、兵士がルシアン皇子の味方ではないことを告げていました。
扉を閉める音がやけに大きく聞こえます。外から鍵を掛ける音が響きました。リアナは奥歯を噛み締めます。
(殿下に会わなければ。でも、どうすれば――)
焦りばかりが降り積もり、何も思い浮かばぬ自分を呪って、リアナの目から涙がこぼれました。




