鬼神
――ガギィンッ!!
硬質な金属音と共にうめき声が聞こえ、リアナは目を開きました。リアナを切り裂くはずの刃は半ばから折れ、遥か遠くの地面に突き刺さっています。隊長は血の気の引いた顔で右手を押さえ、森を凝視していました。隊長の手を離れた剣の柄が地面に骸を晒しています。
「――理解しておるか?」
地獄の底から響く重低音が耳朶を打ちます。確かな怒りをはらんだ声が周囲を凍てつかせていきます。
「その御方に剣を向けることの意味を、理解しておるか?」
魔女の木を包囲していた敵の兵士たちが声の主を振り返りました。森から姿を現した声の主は、手に持った弓を放り、背に抱えた大剣を片手で軽々と持って鞘を払います。敵兵たちは皆、一様に剣を持つ手を震わせていました。一瞬にして空気を絶望に塗り替えた声――しかしそれは、リアナには聞きなれた、温かい――
「この儂を敵に回すことの意味を、本当に理解しておるか、小僧!!」
「爺っ!」
リアナの声に応えるように、スールは颶風を纏って一気に距離を縮め、隊長の胴に鋭い突きを放ちました。隊長はとっさに身体をひねってかわし、足をもつれさせながら後ろに下がります。スールは大剣を翻して隊長の右肩に振り下ろします。隊長はさらに下がり、スールは大剣を横薙ぎに払います。隊長は地面を蹴って後方に跳躍しました。大剣の殺傷範囲を脱し、隊長の顔にびっしりと汗が浮かびます。スールは威迫するように中空を斬ると、隊長を厳しく見据えたままで言いました。
「よう頑張られましたなぁ、姫様。じゃが、もう頑張る必要はない」
スールの瞳が獲物を見定めた猛禽の光を宿します。敵兵が喉を鳴らしました。スールを追ってスールの配下の兵が次々に姿を現します。スールは大剣の切っ先を隊長に向けました。
「かつて背負いし『最強』の名の由縁、その魂に刻んでくれよう」
隊長がギリリと奥歯を噛み、
「蹴散らせ!」
「撤退しろ!」
スールの憤怒と隊長の焦燥が重なりました。
スール配下の兵士たちが、解き放たれた猟犬のように敵兵に襲い掛かります。彼らの瞳には冷酷さと激しい怒りが同居していました。
――我が姫君の涙、安くないものと知れ!
その想いを共有する猟犬たちは、獲物の退路を正確に削り、確実に追い詰めていきます。部下から剣を受け取り、隊長は悲鳴のように叫びます。
「散開しろ! 仲間は見捨てろ! 生き残ることだけを考えろ!!」
幾人かの部下が奥歯を噛み、隊長に背を向けて森へと逃げ込みます。隊長は迫る包囲網の最も厚い場所に向かって駆け出しました。猟犬が三方から隊長を迎え撃ちます。空を裂く正面からの突きを剣で弾き、左から来る斬撃を小手で弾いて――右から迫る刃が陽光を鈍く反射します。隊長が刃をにらみ、刃が光跡を描いて、
――ガキンッ
斬り上げた剣が致死の斬撃を阻みました。割って入った隊長の部下が体当たりを喰らわせ、猟犬たちの隊列を崩します。隊長は正面の猟犬に蹴りを見まい、さらに二人の部下が追い付いて、四人は背中合わせに四方に対峙します。
「王族は生きることが責務なんじゃなかったんですか?」
部下の一人が油断なく剣の切っ先で猟犬たちを牽制しながらからかうように言いました。隊長は顔を引きつらせて怒鳴ります。
「うるさい! 命令違反だぞお前ら!」
部下たちは肩をすくめて「手厳しい」とつぶやくと、軽い口調に似合わぬ真剣な表情で言いました。
「お願いしますよ。あんたの肩にゃヤイユールの未来が乗っかってんだ」
「分かってんだよそんなこたぁ!」
幾分冷静さを取り戻し、隊長は短く命じます。
「突破するぞ」
「了解!」
できぬなどと微塵も思わぬ四様の笑みを浮かべ、隊長たちは猟犬に斬りかかりました。
鬼神の憤怒相を浮かべて配下の兵士と共に駆け出そうとしたスールの背に、
「爺っ!」
リアナの涙声が届きます。思わず振り返ったスールの目に飛び込んできたのは、今にも倒れそうになっている我が姫君の姿でした。
「姫様!」
大剣を投げ捨て、スールはリアナの身体を支えます。顔も髪も土埃に塗れ、服には無数のかぎ裂きがありました。いったいどれほど苛酷な道だったのでしょう――スールが悔しげに奥歯を噛みます。スールに抱き止められたリアナは、朦朧とした様子で再びスールを呼びました。スールは何度もうなずきながら答えます。
「爺はここにおりますぞ、姫様!」
リアナはスールの服を掴み、絞り出すように言いました。
「ルシアンを、助けて――!」
え? と目を丸くして、そしてスールはせわしなく目を瞬かせます。リアナはうわごとのように「ルシアンを助けて」と繰り返しました。スールはルシアンに目を遣ります。ルシアンは魔女の木に背を預けたまま、力尽きたように目を閉じていました。リアナとルシアンを交互に見つめ、何か期待したものと違ったように肩を落とし、スールは頭を掻いて息を吐きます。
「……ルシアン皇子の立場は危うい、から距離を取れ、と言ったつもりだったんじゃがなぁ」
もはや完全に意識を失いながら、リアナはなおスールの服を離さず、「ルシアンを助けて」と言い続けます。リアナをそっと横たえ、服を握る手を解いて、スールは誇るべき主の頬の涙を拭います。
「万事、この爺にお任せあれ」
スールはルシアンの傍らに膝をつき、額に手を当て、傷口を確認し、呼吸を聞きます。そして振り返ると、丘の隅々にまで届く声で言いました。
「逃げる者は追うな! 追う気力を奪えばそれでよい!」
リアナもルシアンも、もう限界を超えている。二人を一刻も早く休ませることが最優先と見定め、スールはルシアンとリアナをひょいと担いで立ち上がりました。




