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「貴女との婚約を破棄する」 そう言ってあなたは柔らかく微笑んだ  作者: 曲尾 仁庵


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意志

――ああ、そうか


 ルシアン皇子の微笑を見た瞬間に、リアナは理解しました。

 このひとは『義務』だと思っているんだ。私がここにいる理由を。婚約者だから。国同士の約束だから。本当は嫌で仕方ないのに、立場に縛られ、見捨てることもできずに。自分の運命に巻き込んでしまった、可哀そうな女の子――


「……冗談じゃない」


 リアナの口から小さな呟きがこぼれます。よく聞こえなかったのでしょうか、ルシアン皇子はリアナの答えを待つようにこちらを見つめていました。リアナは皇子の手を離し、背を伸ばし、両手を膝の上に置いて目を閉じます。心の中に湧き上がる感情が、彼女の思考を冷たく晴らしてくれました。

 帝国への服従の証として、三年前に帝都に赴いてからずっと、婚約破棄を望んできました。婚約者として紹介された美しい面立ちの男の子は、いつも穏やかで優しい仮面を被っていました。皇子として完璧なその男の子の心が、リアナには分かりませんでした。分からない相手との婚約だなんて、とても受け入れる気になれませんでした。


――私のことが、お嫌いですか?


 その男の子がリアナにそう言ったとき、初めて胸が痛みました。傷付けた、傷付けていたのだと、初めて知りました。謝らなければと思いました。嫌ってなどいないと、伝えたいと思いました。その男の子のことを、もっと知りたいと思いました。


――私は、殿下のことを、嫌ってなどおりません


 リアナがそう言うと、その男の子は目を丸くしました。


――ルシアン殿下に、万一のことがあったら、嫌です!


 そう言うと、その男の子は吹き出すように笑いました。


――彼らを使い捨ての駒にするつもりか!


 そう言って怒りを露わにして、


――生きよ!


 そう言われて唇を噛みました。


 その男の子は噓をつきます。大丈夫と微笑み、平気だと表情を隠します。苦しいと言いません。悲しいと言いません。寂しいと言いません。痛いと、泣きません。だから――


 リアナは今、ようやく答えに辿り着きました。あのときリアナが離された手を掴んだ理由。離してはならないと思った理由。手を離せばすぐに、その男の子は閉じてしまう。世界の冷酷さを、大人たちの理不尽を全て自分のせいにして、独りで引き受けて勝手に消えようとしてしまうのです。自分が犠牲になれば世界が幸せになるとでも言うように。

 けれど、そんなのは間違いです。その男の子が追われるのは彼の責任でしょうか? その男の子を守ろうとした人々は『仕方なく』戦ったのでしょうか? いいえ、違います。彼が追われるのはただの理不尽です。彼を守ろうとした人々はただ願ったのです。その男の子が生きることは、間違いではありません。間違っているのは世界のほうです。


――貴方の生を、この私が肯定する


 そのためにリアナはあのとき、彼の手を掴んだのです。


 リアナは目を開け、静かにルシアンを見つめました。ルシアンの瞳は穏やかな諦念を帯びて笑います。リアナは軽く息を吸うと、はっきりとした口調で言いました。


「婚約破棄、慎んでお受けいたします」


 安堵と絶望にうなずき、ルシアンは自分不在の未来を語ります。


「貴女一人ならきっと、スール殿に合流することも叶いましょう。さあ、行ってください」


 優しさを装うルシアンをリアナは冷たい怒りを湛えた眼差しで見下ろしました。


「お断りいたします」

「え?」


 あまりにはっきりと示された拒絶にルシアンは目を丸くしてリアナを見上げます。抑えた声に抑えきれない感情を滲ませ、リアナは言いました。


「誤解があるようですから申し上げます。私がここにいるのは、私が貴方の婚約者だからではありません」


 リアナの声がはらむ不穏な気配にルシアンが視線をさまよわせます。怒りに対する戸惑い、そしてリアナの言葉の意味――答えはもう出ているはずなのに。そんな混乱が伝わってきます。リアナは語気を強めました。


「私が『義務』でここにいるとおっしゃるなら大した侮辱だわ。自らの意志で考える力もないと、そういうことでしょう?」

「そ、そんなことは――!」


 思わず身を起こそうとして、ルシアンは痛みに呻き、固く目を閉じました。リアナは慌ててルシアンの肩に手を置きます。


「動かないで。傷に障ります」


 動かず痛みが去るのを待ち、ルシアンは大きく息を吐きました。再び目を開けたルシアンは弁明するように声を上げます。


「貴女を侮辱するつもりはありません。私は」

「ならばなぜ、独りで勝手に終わらせようとするの?」


 それは、とルシアンは言葉を詰まらせます。リアナはキッとルシアンをにらみました。


「貴方が足を怪我して歩けない。だったらもう終わりなのですか? 私は歩けます。なのに何もできませんか? 私は貴方に手を引かれるだけの子供だと、侮っていらっしゃるのではありませんか?」

「違います。そうじゃない」

「いいえ、そうです。貴方はいつも年上ぶって私を子ども扱いしている」


 話を聞かないリアナに、ルシアンが初めて苛立った表情を浮かべます。眉間にシワを寄せ、ルシアンはリアナを見つめました。


「……事実、私は貴女より三つ年上で、貴女は子供です。貴女は現実が見えていない」

「現実を見た結果が『諦める』なら、そんなものに意味はないわ」


 ふん、と鼻を鳴らすリアナに、ルシアンはカチンときた様子で顔を引きつらせます。


「ならばどうせよと? 歩けぬ私を貴女が抱えてくれるとでも?」

「方法など如何様にでもなります」

「なるはずがない。だから子供だと言っているのです。具体的な目当てもなく行動したところで成功することはありません」

「行動する前に諦めていたら何も為しようがないわ。貴方はいつも考えすぎです」

「貴女のほうこそ、考えなく行動するのはやめたほうがいい。急に蓮の上に飛び乗ったときには心臓が止まるかと思いました」

「うまくいったではありませんか」

「結果論です。二人で沼に沈むことも充分あり得た」

「慎重と臆病は違います」

「勇気と無謀もね」


 二人の視線が火花を散らせます。しばしにらみ合い、感情を抑えるように息を吐いて、ルシアンは言いました。


「十歳の女性が十三歳の男性を抱えて丘の上に辿り着くことはできない。それが現実です」

「やってみなければわかりません」

「わかります。そして『やってみた』結果は、共倒れです」

「今必要なのは不幸な未来の予測ではなく、私たちの意志です」

「違う! 今必要なのは、冷静な状況の分析だ!」


 ついに声を荒らげ、ルシアンは苦しげにリアナを見つめました。


「なぜ分からない! 私は貴女に死んでほしくないんだ!」

「ならば貴方は、私が『貴方など死んでもいいと思っている』と、そうおっしゃるの!?」


 ハッと何かに初めて気づいたように、ルシアンが言葉に詰まります。リアナの憤りを宿した瞳がルシアンを射抜きました。


「私は、死ぬつもりも、死なせるつもりもありません。貴方を必ずスールの許に連れていく。私たちに、それ以外はない」


 静かな、揺らがぬ宣言にルシアンは視線を逸らせました。戸惑い、怖れ、迷い、ルシアンは首を振ります。


「いいえ、いいえ! それは無駄死にだ。命を無駄にすることだ! 二人で生き延びる確率は限りなく低い! けれど貴女一人なら――」


 悲鳴のように言葉を紡ぐルシアンの襟を掴み、力づくで半身を起こして、リアナはその唇を塞ぎました。ルシアンの目が驚きに見開かれます。唇を離し、鼻が触れる距離で、リアナはルシアンを鋭く見据えました。


「貴方は、生きるの。私を信じなさい、ルシアン!」


 信じられないものを見るようにルシアンはリアナを見つめ返します。言葉の意味を理解できないのか、表情は変わらぬまま――ただ、涙だけが目から溢れ、頬を伝い落ちていきました。


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