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「貴女との婚約を破棄する」 そう言ってあなたは柔らかく微笑んだ  作者: 曲尾 仁庵


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大丈夫

 着替えを終え、髪を梳かし麻紐で後ろに一つで括って、リアナはルシアン皇子のいる場所に戻りました。麻のごわごわした感触は初めてで、慣れないような、何かが変わったような、不思議な感覚がします。皮製の丈夫な靴は少し重く、リアナはつま先でトントンと地面をたたきました。リアナが戻ってきたことに気付いてルシアン皇子が微笑みを向けます。先ほどの醜態を思い出し、リアナは思わず顔を背けました。


「皇領森林までのルートは大きく二つある。一つは街道を通るルート。こちらを使えば馬で三日ほどの行程になる。もう一つはこのまま森を川沿いに進むルートだ。こちらは川筋が南に蛇行していることと馬が使えないことを考えて七日ほど掛かると見ている」


 ホウリが腰ほどの高さのある大きな岩の上に地図を広げ、ルシアン皇子たちにこれから進むべき道を説明しているようです。リアナに顔を背けられたルシアン皇子は一瞬固まり、気を取り直すようにホウリのほうを向き直りました。地図を囲むのは他に、側近の騎士と兵士たちの代表――兵長の青年です。リアナはこっそりホウリの横に移動して地図を覗き込みます。


「どちらを選ぶべきとお考えですか?」


 ルシアン皇子がホウリに問います。ホウリはよどみなく答えました。


「森を行くべきだ」

「根拠は?」


 側近の騎士は鋭く刺すように問い返します。ホウリは間を置かずに答えました。


「俺たちがどれだけ急いでも、伝令が各所に伝わるほうが早い。早ければ今日中、遅くとも明日には街道筋に検問が張られると見ている」

「強行突破は?」


 兵長がさらりと提案を口にします。ホウリは首を横に振りました。


「論外だ。張られる検問は一つじゃない。それらといちいち戦っていたらあっという間に全滅だ」


 しかし、とルシアン皇子はホウリを見据えます。


「ここにいる全員で森を進むのは難しいのでは?」


 五十人余りの人間が七日、森の中を進む。それは、五十人それぞれ七日分の食料を調達しなければならない、ということを意味する。ルシアン皇子はそう言いました。ホウリはうなずき、固い声で言いました。


「二手に別れる」


 ルシアン皇子が眉を顰めます。ホウリは地図を指でなぞりながら淡々と言葉を続けました。


「ルシアン殿下、リアナ殿下、俺、騎士殿、兵士の中から選りすぐった六名。この十人で森を小川伝いに進む。残りは街道を使って皇領森林を目指す」

「待ってください」


 少し低くした声でルシアンがホウリを制止します。ホウリは構わず話し続けます。


「ルシアン殿下にはこちらで用意した服に着替えていただく。兵士の中から背格好の似た者に殿下の服を着てもらう。リアナ殿下の服を着られる者はいないだろうから、人形にでも着せるしかないだろうな」

「待てと言っている」


 感情のないホウリの言葉を拒むように、ルシアン皇子の声が重く鋭い色を帯びました。ホウリはまるで動じていないようです。


「街道組はなるべく人目に付くように隠れながら進んでくれ。検問が張られたら姿を見せつけてから逃げろ。森に逃げ込むなよ? 逃げるなら反対方向――」

「彼らを使い捨ての駒にするつもりか!」


 常にない大きな怒声でルシアン皇子はホウリに詰め寄りました。リアナがビクリと肩を震わせ、ホウリはじっとルシアン皇子の目を見つめます。ルシアン皇子は強く奥歯を噛んでホウリをにらみつけました。


「落ち着いてください、殿下。貴方が怒るところじゃありません」


 一触即発の空気をなだめる冷静な声が聞こえ、ルシアン皇子は声の主に顔を向けました。声の主――兵長は少しだけ嬉しそうな顔をしています。


「目的を忘れてはいけません。俺たちの目的は、殿下とリアナ様をスール森林官の許へ届けることだ。それ以外のことは考えなくていい」

「そういうわけにはいかない!」


 荒く息を吐き、ルシアン皇子は再びホウリをにらみます。


「私を助けるために私に付いてきてくれた皆を、私が使い捨てることはできない!」

「街道組には――」


 兵長はあくまで冷静に、ゆっくりとした口調で言いました。


「――クランフォート兵の二人も入っていますよ」


 ハッと息を飲み、ルシアン皇子の瞳が揺れます。ホウリはバツの悪そうに頭を掻きました。密偵の男が先導役としてルシアン皇子たちに付けた部下は三人。ホウリを除く二人は街道組として残るのです。


「本来なら、クランフォートはリアナ殿下だけを連れて逃げてもよかったはずだ。そうすればもっと容易く逃げることができただろう。だがそうしなかった。殿下を逃がし、俺たちを逃がした」


 ルシアン皇子は視線を落としました。諭すように兵長は言いました。


「彼らも犠牲を払っている。俺たちの命を惜しむのは、殿下、あまりにクランフォートへの信義を欠く態度ではありませんか?」

「……しかし――!」


 納得できないと言うようにルシアン皇子は唇を噛みます。うめくような沈黙が広がりました。冷たい風が吹き、葉擦れの音が聞こえます。ルシアン皇子を見ていた兵長は、やがて穏やかな様子で言いました。


「俺たちは、大丈夫だ」


 ルシアン皇子は弾かれたように顔を上げて兵長を見上げます。兵長はニッと笑い顔を作りました。


「大丈夫だよ、殿下」


 ルシアン皇子は両手の拳を強く握ります。リアナは小さくホウリの名を呼びます。ホウリは首を横に振りました。リアナはうつむき、口を閉ざしました。


「……殿下をお守りする六人を選抜する。準備が整い次第、出発するぞ」


 側近の騎士がそう言って、会議は解散になりました。兵士たちに駆け寄る兵長の背にホウリは頭を下げます。側近の騎士は森を歩くための準備をするためにその場を離れました。ルシアン皇子だけがうなだれ、肩を震わせて立ち尽くしていました。リアナは何もできぬまま皇子を見つめていました。

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