森林官
「姫様!」
大げさなほどの大声を上げ、皺だらけの顔に満面の笑みを浮かべて、白髪の老人が両腕を広げます。リアナは飛びつくように老人に抱き着きました。
「爺、元気だった?」
「当然じゃぁ。まだまだ、姫様に心配されるほど耄碌してはおりませんぞ」
大柄な身体を縮めるように老人はリアナを抱きしめます。齢七十を超えながらまるで衰えを感じさせぬこの老人こそ、クランフォート王国最強の武人、スール・ラムゼンそのひとでした。
ルシアン皇子と別れてからほどなく、自室にいたリアナに皇子からの使いが現れ、スールとの面会の時間と場所を伝えてくれました。時刻はお昼過ぎ、場所は帝国の誇る皇宮内の庭園です。面会時刻の前に再び皇子からの使いがリアンを迎えに来て、庭園まで連れて行ってくれました。庭園は大陸各地から様々な花が持ち込まれ、四季を通じて咲き誇ります。今は西方に咲く花が満開で、微かな甘い匂いと共に鮮やかな色彩を楽しませてくれています。
「ずいぶん会えなくてさみしかったわ」
もっとすぐに会えればいいのに、とリアナは頬を膨らませます。孫の我儘を注意するように、スールはリアナの頭にぽんと大きな手を乗せました。
「仕方がありませぬ。姫様と儂が頻繁に会えば、要らぬ疑心を招くことになりましょうからな」
スールの武勇は帝国内でもよく知られており、彼がリアナと頻繁に会っているとなれば、もしやスールはリアナを連れて本国に戻ろうとしているのでは、などという憶測を呼びかねません。リアナが本国に戻るということは、クランフォート王国は帝国に叛意があると宣言するのと同義です。リアナはルシアン皇子の婚約者である以前に、人質だからです。
「ルシアン殿下には感謝せねばなりません。儂らがこうして会えるのは、殿下のご配慮あってのことなのですからな」
そう言いながら、スールはちらりと庭園の木の陰に視線を遣りました。そこには密かに様子を窺う庭師らしき男の姿がありました。しかし実際は庭師ではなく、帝国側の監視なのでしょう。監視も置かず二人を会わせてくれるほどルシアン皇子は甘くありません。むしろ監視を離れた場所に配置したことが、ルシアン皇子の可能な範囲内での最大の配慮なのです。
抱きしめた腕を解き、スールは庭園に置かれた白い丸テーブルへとリアナを誘導します。そこにはティーセットと焼き菓子が用意されていました。リアナの目がキラキラと輝きます。スールはリアナに、丸テーブルに似合いの小さな椅子に座るよう促すと、自らもその対面に座りました。大柄なスールにはその小さな椅子はいささか窮屈なようで、座りの悪そうに身体をもぞもぞとしています。
「姫様のほうは、お変わりありませんかな? しばらく会わぬうちに、すっかり大きくなられて――はおらぬようじゃが」
椅子に身体を預けることを諦め、膝を広げて踏ん張るような態勢のまま、スールはからかうようにそう言いました。リアナはむっとした表情でスールをにらみます。
「確かに、背は、あんまり伸びておりませんけれど、きっと、これからです!」
「同じようなことを、前に会ったときにも言っておられたような……」
とぼけた顔をしてスールは自らのあごを撫でます。「意地悪だわ!」とリアナは怒り心頭です。タイミングを計ったように給仕が現れ、ティーカップに紅茶を注ぎました。花の香とは違うふくよかな香りが漂います。スールはリアナに焼き菓子を勧めました。一瞬だけ不服そうな表情を作った後、リアナはクッキーを頬張ります。先ほどのお怒りはどこへやら、リアナの顔が幸せそうに緩みました。
「爺はどうなの? 森林官のお仕事は順調?」
甘さの余韻に浸るように目を閉じ、リアナは頬に右手を当てます。スールは苦笑しつつ、密かに給仕の顔を盗み見ました。この給仕もまた、二人の会話に耳を澄ませ、ルシアン皇子にその一言一句を報告するためにいるのでしょう。追い払いたいところですが、ティーポットを持って待機している給仕を追い払うのは、今からやましい会話をするぞ、と言っているようなものですし、リアナを過剰に心配させる結果にもなりかねません。スールはカカカと豪快に笑ってみせると、ひらひらと右手を振りました。
「何も変わりませぬよ。森におるのはシカとイノシシとならず者。そやつらを日々、追っかけまわしておりますわい」
森林官とは、帝国内に複数ある、皇族専用の狩猟場の森を管理する役職です。皇族が狩りをするために林道を整備、保守したり、密猟者からシカやイノシシを保護したり、あるいは増えすぎないよう調整したりするのが主な任務ですが、一方で森は町で犯罪を起こした者たちが逃げ込む場所でもあります。そうした森に逃げ込む犯罪者を捕縛し、衛士に引き渡すのもまた、森林官の重要な仕事です。
ティーカップを両手で包むように持ち、リアナは複雑そうな表情を浮かべました。森林官は皇帝に直接仕える身分であり、決して低位の役職ではありません。しかし実態は林道の倒木を片付けたり、落ち葉を払ったりするような、かつて大将軍と呼ばれた人間に見合うものでもありません。スールが森林官に任ぜられたのは、いわば見せしめなのです。帝国はお前の国の大将軍を雑用に使うこともできるのだと、無言の内にそう知らしめているのです。
スールがあと二十年若ければ、クランフォートが帝国に膝を折ることはなかっただろう
近隣諸国にそう言わしめた天下無双の勇士の、それが今の現実でした。
「なに、儂も歳を取り申した。シカを追うて生きるのも悪くないと、そう思うておるのですよ」
スールが気づかわしげにリアナに言います。しかしリアナはしょぼんと視線を落としました。いつも元気なスールの気弱な言葉に、寂しくなってしまったようです。「ありゃりゃ」とスールは頭を掻きました。
――リン
少し遠くから鈴の音が聞こえます。それは楽しい時間の終わりを示すベルでした。リアナは顔を上げ、何かをこらえるように口を引き結びます。スールは椅子から立ち上がると、高い高いをするようにリアナの身体を持ち上げました。
「そんな顔をなさいますな。また会えます」
リアナは口を結んだままうなずきます。スールはリアナを抱えなおして抱きしめました。リアナもスールの背に手を回し、ぎゅっと力を込めます。スールは名残を惜しむように目を閉じ――
「――ルシアン殿下のお立場は危うい。どうぞ、お気を付けを」
すぐ横にあるリアナの顔にしか届かない小さな声でそう言って、リアナを地面に下ろしました。リアナはぱちくりとスールを見上げます。軽くリアナの頭を撫で、スールは庭園を出ていきました。




