別れ
開いた門の向こうには、真紅の記章――すなわち第一皇子の禁色を身にまとう兵士の一隊が立っていました。ルシアン皇子たちの表情が強張ります。密偵の男は右手でルシアン皇子たちを制すると、門の向こうの兵士たちの先頭にいる男に目配せをしました。男は真紅の記章を自ら剥ぎ取ると、地面に投げ捨てます。ルシアン皇子たちがホッと息を吐きました。
「直轄部隊の鎧を、どうやって」
側近の騎士が驚きと怖れが混在した視線を密偵の男に向けます。密偵の男は答えず、ルシアン皇子たちを振り返って声を張りました。
「敵はすぐに戻ってきましょう。皆様は急ぎ帝都を離れ、皇領森林に向かっていただく。皇領森林にはスール将軍がいる。将軍と合流すれば、もはや殿下の御身に不安はありますまい」
門の向こうの兵士がルシアン皇子たちの前に馬を引きます。密偵の男の馬がないことに気付き、ルシアン皇子が声を上げました。
「貴方の馬は?」
一瞬目を逸らし、密偵の男は誠実な表情を作ってルシアンに答えます。
「我らはここに残り、戻ってきた敵兵を食い止めます」
「え?」
リアナが驚きの声を上げて密偵の男を見つめました。「しまった」とでもいうように密偵の男は顔をしかめます。
「一緒に来てはくださらないのですか?」
「殿なら我らが」
リアナと側近の騎士が左右から密偵の男に詰め寄ります。密偵の男はリアナの頭に手を置いて押し止めると、側近の騎士に向かって言いました。
「誰が隣でルシアン殿下を守る? 我らが? 違うでしょう?」
側近の男は目を見開き、拳を握ります。密偵の男がわずかに表情を緩めました。
「殿下は『クランフォートと共に』とおっしゃってくださった。ならば我らはその言葉に、言葉ではなく行動でお応えいたしましょう。その代わりと言っては何だが――」
密偵の男は視線を足元の十歳の女の子に向けました。
「――我らが姫を、貴方に託します」
側近の騎士は固く目を閉じ、目を開けて一歩下がると、剣を胸の前に掲げて密偵の男を見据えました。
「騎士の誇りに賭けて、リアナ王女殿下をスール将軍の許にお連れするとお誓い申し上げる」
感謝いたします、とつぶやき、密偵の男は表情を改めました。
「行ってください。あまり時間はない」
ルシアン皇子がうなずき、馬の鐙に足を掛けます。側近の騎士や他の兵士たちも、用意された馬に乗り、あるいは荷を抱えます。全員が乗るだけの馬はないのです。ルシアン皇子が馬上からリアナに手を差し出しました。
「リアナ殿下、こちらに」
リアナはルシアン皇子を見上げ、迷ったような表情を浮かべると、密偵の男を振り返って言いました。
「あの、お名前を、教えて。まだ聞いていません」
密偵の男は驚いたように目を見張り、ふと笑って、膝をついてリアナと視線の高さを合わせました。
「……密偵に名前はないよ。人生も、未来もね。もし俺が戻らなくても、最初からいない人間がいなくなったってだけだ。だから殿下、俺のことは明日にはお忘れなさい」
他の誰かに聞こえないように言ったその言葉に、リアナは身体を強張らせます。両目から涙の粒が盛り上がり、頬を伝いました。密偵の男は少しの間真剣な表情でリアナを見つめ、こらえきれなくなったように吹き出しました。
「言ったでしょ? ひとの言うことをそんなに簡単に信じちゃダメだよ」
「ウソだったのですか!?」
リアナの顔がみるみる赤くなり、リアナは涙を手の甲でぬぐって密偵の男をにらみつけました。密偵の男は「はっはっは」と笑うと、リアナの頭を軽く撫で、そっと肩を押しました。
「さ、行って。スール将軍によろしく」
知りません、と頬を膨らませ、リアナは密偵の男に背を向け、ルシアン皇子の手を取ります。ルシアン皇子はリアナを前に抱えるように座らせると、密偵の男に言いました。
「ご武運を。皇領森林で会いましょう」
密偵の男は敬礼でルシアン皇子に答えます。皇子は馬首を西に向けました。真紅の記章を付けた兵士が三騎進み出て、先導するように走り始めます。側近の騎士が密偵の男に敬礼し、皇子の背を追いました。遠ざかる姿を見送りながら、密偵の男は小さくつぶやきます。
「さようなら、リアナ殿下。どうか久しく健やかにあれ」




