決断
「槍を下ろせ! この御方は間違いなくリアナ殿下だ!」
ルシアン皇子の側近の騎士がそう言うと、周りを囲っていた兵士たちは一斉に槍の穂先を空に向け、囲みを解いて背筋を伸ばしました。側近たちが道を空け、リアナはルシアン皇子に駆け寄ろうとして自制し、静かに歩みを進めて彼の前に立ちます。密偵の男はリアナを追おうとして、ルシアン皇子の側近の視線を受けて止まりました。
「なぜこのようなところに? 貴女にはあまりにも危険な場所です」
戸惑いと、若干の咎める様な色を帯びた声音でルシアンが問います。リアナはルシアン皇子の目をまっすぐに見上げました。
「申し訳ありません。どうしても殿下にお伝えしたいことがあって参りました」
リアナの『伝えたいこと』に心当たりのなさそうに、ルシアン皇子はわずかに眉を寄せました。側近の騎士が小さく顔をしかめます。リアナは勇気を振り絞るように息を吸うと、はっきりと聞こえるように言いました。
「私は、殿下のことを、嫌ってなどおりません」
虚を突かれたようにルシアン皇子は目を丸くしてリアナを見つめます。周囲にいるルシアン皇子の側近の騎士も、兵士たちも、瞬きをしてリアナを見ていました。奇妙な静けさが広がります。しばらくの時間が経ち、ルシアン皇子はぽつりとつぶやくように言いました。
「それを、言うために、ここに?」
「え?」
ルシアン皇子の表情から決定的な違和感を読み取り、リアナは不安げな表情で周囲に目を走らせます。何か、そう、明らかにこの場にそぐわない言葉だったのでしょう、皆が初めて見る生き物を前にしたときの目でリアナを見ていました。私、間違えた? でも、それでも――
「た、大切なことだと、思ったのです! とても、大切なことだと!」
少し顔を赤くしてそう言ったリアナに、ルシアン皇子はふっと表情を和らげました。
「ありがとうございます、リアナ殿下。とても心強く思います」
以前と同じように、ルシアン皇子は優しい微笑をリアナに向けました。ほっとしたように、でも少し不満そうに、リアナは息を吐きます。以前と同じ、優しく微笑んで、線を引く――
「リアナ王女はこの危機にあってルシアン殿下、貴方様と歩みを共にせんと仰せです。そしてその言葉は我らクランフォートの言葉でもある。お望みであれば、我らは殿下と共にこの皇宮を脱する用意がございます」
緩んだ空気を引き締める様な密偵の男の声が響き、ルシアン皇子が表情を改めます。側近の騎士も鋭い視線を密偵の男に向けました。
「クランフォートの申し出に感謝いたします。なれどこれは帝国内部の問題にて、皆さまを巻き込むは道理に反すること」
ルシアン皇子は穏やかに、しかし明確に言葉を返します。密偵の男は表情を変えずに答えました。
「我らは信用に足らぬと仰せか?」
「そうではございませぬ。ただ――」
ルシアン皇子はリアナに視線を向けました。
「リアナ様を危険に晒すは私の本意ではない」
ルシアン皇子はすぐに視線を密偵の男に戻します。密偵の男は値踏みするように皇子を見つめています。建前か、本音か――互いに意図を探り合う張り詰めた空気の中、
「わ、私は構いません!」
リアナが重くまとわりつくものを吹き散らすように声を上げました。
「ルシアン殿下に、万一のことがあったら、嫌です!」
あまりに素朴な、飾りのない声に、皆は言葉を失ってリアナを見つめます。リアナは言葉の続きを持たずに、一生懸命にルシアン皇子を見つめました。ルシアン皇子はリアナをじっと見つめ返し、やがてこらえきれなくなったように吹き出しました。リアナは心外そうに口を尖らせます。
「どうして笑うの!?」
ルシアン皇子は手で口を覆い、必死に笑いを抑えようとして、叶わずに肩を震わせています。
「申し訳、ありません。不意を、突かれて――」
納得のいかない顔で、しかしリアナは顔をほころばせました。さっきまであったルシアン皇子との間の線が、すこしだけ薄らいでいました。側近の騎士が意外そうにルシアン皇子の横顔を見つめます。なかなか笑いが収まりそうにない皇子の代わりに、側近の騎士が密偵の男に言いました。その声は先ほどより幾分棘が取れているようです。
「どうやってここから殿下をお連れする? 容易いことではないぞ」
密偵の男は平然として答えました。
「門を開け、堂々と」
冗談と思ったのでしょうか、側近の騎士が表情を厳しくします。密偵の男は人差し指を立てて天をさしました。
「先ほどまで騒がしかった罵声と鐘が消えた、その手腕を評価していただきたい。塀の外にも我らの仲間はおります。彼らと呼応し道を開く。もちろん、皆さまにもご協力をお願いすることになりますが」
周囲の兵士たちが空を見上げて耳を澄まします。罵声と鐘の代わりに聞こえていた悲鳴や混乱のざわめきは徐々に収まりつつあるようでした。密偵の男は少し低い声で続けます。
「この混乱はすぐに収まるでしょう。動くならすぐにでも動き出さねばなりません」
側近の騎士が苦々しい表情を浮かべます。急かせて決断を迫る。冷静に検討する時間を与えないまま言質を取るための、詐欺師の手管です。畳みかけるように密偵の男は言葉を続けました。
「我らが示せるのは、我が姫君の御意思のみ。それを信じられぬとあらばもはや言葉もございませぬ。されど、このまま三ノ宮に籠っておられたとて未来は拓けぬ。どうぞ、ご決断を」
冷たい言い回しの裏に、「断れば生きる道はない」という脅迫めいた真実が潜んでいます。何か言おうと口を開きかけた側近の騎士を制し、ルシアン皇子は軽く息を吸うと、華奢な身体に堂々と背を伸ばして密偵の男を見据えました。
「承知しました。これより我らは、クランフォートの皆様と共に」
「ご英断に感謝いたします、殿下」
敬意を示すように胸に手を当て、密偵の男は深く頭を下げます。リアナは安堵の深いため息を吐きました。




