拘束
「え?」
「あ?」
二人は同時に動きを止めます。互いに、どうして相手がここにいるのか分からない。頭が真っ白になって、どう動けばいいか、分からない。兵士が困惑を抱えたままリアナから視線を外し、周囲を見渡しました。リアナはハッと我に返ります。交代、ということは、この兵士はリアナを追いかけて来たのではない。この兵士はリアナが逃げようとしていたことを知らない。でも、それを使ってこの場を切り抜ける方法が思いつかない!
リアナは奥歯を噛んで強く地面を蹴ります。行く先は、兵士のいる方向。背を向けて逃げれば追いかけてくるけれど、こちらが向かって行けば身構えて動きを止める。たぶん、きっと。状況をようやく理解した兵士が腕を広げてリアナを迎えます。リアナは身を低くして兵士の手を掻い潜り――兵士の伸ばした足に引っかかり、廊下に強く身体を打ち付けました。
「ざーんねん。どうやって部屋を出たのか知らんが、運がなかったな」
兵士はリアナの腕を後ろ手に捻ると、身体を床に押さえつけました。転倒と押さえつけられた痛みにリアナの顔が歪みます。
「悪いね。でも、あんたを逃がすとおじさん殺されちゃうからさ。こわーい上司に」
軽薄な言葉と裏腹に、その声音は侮りも油断もありませんでした。何とか抜け出そうと身体を動かしたリアナの腕に鋭い痛みが走り、食いしばった歯の間から呻きが漏れます。
「動かないほうがいい。下手に動くと腕がイカれるよ」
どこか、本当に心配するような声で兵士が言います。敵意も憎しみもない。感情の揺れがない。つまり、付け入る隙がない。リアナは首をひねり、兵士をにらみます。兵士はバツの悪そうに眉を寄せました。
「怖い顔しなさんな。おとなしくしてさえくれれば、悪いようにはせんよ。おじさんだって十歳の子供をいじめる趣味はないんだから」
腕をひねる力が緩み、リアナはふぅと息を吐きました。罪悪感を覚えていたのでしょうか、兵士の表情が少しだけ柔らかくなります。
「無礼者。私はクランフォート王国の第二王女よ」
精一杯厳めしい口調でリアナは言葉をぶつけます。兵士は小さく首を横に振りました。
「属国のお姫様のお転婆を笑って許すほどこの国はおおらかじゃあないよ。あんたの立場は第三皇子あってのもの、だが第三皇子はもう詰んでる。おとなしくしとくのがあんたのためだ」
哀れむような響きに、リアナは目を見開きます。
「殿下は今、どうなさっておいでなの?」
「さあ。下っ端の俺たちには分からんよ。俺たちに分かるのは」
兵士の声が少しだけ低く沈みました。
「ルシアン殿下のお命は、あと数日だろうってことだけさ」
リアナの全身から血の気が引き、身体がカタカタと震えます。兵士は複雑な表情でリアナを見ると、わざとでしょうか、軽薄な大声を出しました。
「さあ、お部屋に戻りましょう、リアナ殿下。なに、怖い思いをするのもあと数日。その後は前と変わらぬ日常が戻るでしょうよ」
兵士はリアナが逃げぬように警戒しながら、ゆっくりと床に押さえつけた力を緩めていきます。そしてリアナの手を取り、優しく立ち上がらせてくれました。リアナは複雑な表情で兵士を見上げます。この兵士はルシアン殿下の敵側の人間。でも、ひどい人でも、悪い人でもありませんでした。兵士はリアナを部屋にエスコートします。ようやく逃れた牢獄の前で、リアナは足を止めました。
「さあ」
兵士が中に入るよう促します。うつむき、唇を噛んで、リアナは重い足を前に――
――ドォン!
突如轟音が響き、建物が揺れてパラパラと埃が落ちてきました。兵士がリアナを背にかばい、素早く周囲に目を走らせます。廊下の向こうから慌てたような足跡が聞こえ、一人の兵士が息を切らせて駆けてきました。
「隊長! まずいぜ、第三皇子派が動きやがった! 東宮で戦いが始まってる!」
隊長と呼ばれた兵士は小さく舌打ちをして顔をしかめます。
「聞いてたのより早いじゃないか。省部の掌握は?」
「まだだ! こりゃ、下手打つと第三皇子に抜かれるぜ?」
隊長は苦虫をかみつぶした顔で頭を掻きます。リアナの手を掴んでいた手で。
「どうする? 動くか?」
「いや、俺たちの持ち場は――」
リアナはすっと息を吸うと、身体を前に傾け、走り始めました。部下のほうに意識を向けていた隊長は、一瞬だけ反応が遅れます。伸ばした手が空を切り、リアナは一気に廊下を駆け抜けます。隊長が慌てて叫びました。
「逃がすな! 捕まえられんようなら――」
冷徹な声が廊下に反響します。
「――殺しても構わん!」




