五十六話
どうやら彼女だけが俺の作戦に気付いたようだ。
「ケットルシーの王子様は知らないみたいだね? ここの土地の地質が粘土質で、水を含むとかなり重く、動きにくくなるって」
「性格わるー!」
隣で泥だらけのリュカが呟くが、俺はニッコリと笑って見せた。
持ち上げて持ち上げて、相手が油断しきっているところで落とすのが戦略の醍醐味なのです!
「よし、放水開始! 魔法部隊は残りの全魔力を使って水魔法をぶちかませ!」
「うがぁぁぁ!」
俺の命令と同時に、後方に待機させていた巨人族が、巨大な水桶で水を撒くと、
「ウォーターアロー!」
「クリエイトウォーター」
魔法部隊が水魔法を連射した。
俺と鉄騎兵の間にあった、程よく耕かされた大地が、見る見るうちに泥沼と化していく。
それでもさすがはケットルシーの精鋭。
前方の混乱を素早く理解すると、泥沼手前で急停止。
約半数は残っているが、
「させるかよ! この時のために、どれだけわっちらが我慢してきたと思うのじゃ!」
混乱する鉄騎兵をシオンの部隊が背後から襲い、次々に泥沼に叩き落とした。
そして、もう一つの策が発動された。
膝丈しかない泥沼。
冷静に対処すれば、馬を使えば苦もなく抜け出せるはずだった。
そう。
上に乗る人間さえ、冷静ならば・・・・・・。
「うわ! こ、こんな所で一人にされたら……うわぁぁぁぁ!」
叫び声を上げ、一人が馬から下りたのを皮切りに、兵たちが次々に馬を捨て泥沼に身を投じたのだ。
「バカな! 冷静になれ!」
ライアンの一喝もむなしく、いや、奴の声を聴き、恐慌はさらに増したかもしれない。
なにせ数人単位になれば、この声の主に切り捨てられると思っているのだから。
馬を捨て、重い鎧のまま泥沼に入り、身動きの取れなくなった兵士が目に見えて増えていく。
これでは冷静に馬で逃げようとする鉄騎兵も身動きできない。
「さすが、汚い手を使ったらテイル様の右に出る者はいませんね!」
「あほう! 格調高く卑劣と言え!」
口の端を吊り上げた俺は、きっと敵には悪魔に見えたかもしれない。
「一人になると悪魔に魅入られるぞ! 馬を捨ててでも逃げるんだ!」
ケットルシーに潜り込ませた我が軍の兵士も、声を上げて恐怖を増長させている。
泥沼にまみれ、ケットルシーの鉄騎兵の半数は壊滅状態。
残りの半分はこの混乱状態に……手をこまねいて見ていた。
この混乱した戦場に突撃し取り残されたら、助けは来ない。
絶対的な戦法で、綺麗な勝ち方しかしてこなかったのだろう。
彼らはライアンの指示が無い事を理由に、味方を見捨てたのだ。
「こ……こんなものが……こんな悪戯の延長みたいな戦術が、あっていいはずが……!」
突然現れた即席の泥地に、次々に行動不能にされていく自兵を見て、ライアンが言葉を失う。
「王子、一時撤退のご指示を!」
「くっ……こんな……こんな……」
ガレルの声も彼には届いてないみたいだ。
風の魔法を止める指示も忘れてるぞ!
狼狽えてるのが、敵味方に筒抜けだぞ!
だが、背後から聞こえた声だけは、彼の耳に届いた。
「ですよね! ふざけてますよね! 私もそう思います。……でもこれ、戦争ですから!」
「な! いつの間に!?」
ガレルも近衛騎士も剣を手にかけるが、もう遅い。
放心状態のライアンの背後から、イリーナの剣が彼の肩にトンッと置かれたのだ。
命令とは言え、戦場と化した平原で、しかもたった一騎で敵陣に突進してくるバカがいるだろうか?
もちろんここにいた!
そう。
イリーナの負傷は真っ赤な嘘だった。
俺は彼女に十数名の部下と一緒に、迂回したルートを通って、敵本陣への奇襲を頼んでいたのだ。
「無駄な抵抗はやめて下さい。私これでも鬼神イリーナなんて呼ばれてますから、少しでも動いたら、この王子の首が飛びますよ」
イリーナに付き従う兵士も、油断なく剣を構えている。
「くっ! まいり……ました…………」
ポツリと呟いたガレルの言葉に、近衛兵が武器を手放した。
「こんな……こんな……」
ただ、ライアンだけが、イリーナに馬から引きずり下ろされるまで、呆然としていた。
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