二十二話
「シェリー! これがなんだか分かるか?」
シオンの持つ透明な箱の中で『カサカサッ』と軽快な音が聞こえる。
「そ……それは……」
色白の肌をさらに白くして、頬を引きつらせるシェリー。
予想怯え方に、ちょっとだけ黒い自分が満足するのを感じた。
「そ! 君の大好きな虫だよ!」
なので俺の口角の吊り上った顔は、意地の悪い悪魔に見えたに違いない。
俺の顔と、黒茶色の生き物を交互に見た彼女は、「ひっ!」っと小さく悲鳴を漏らした。
「お前の好き嫌いは全て把握している。特にこいつは嫌いランキングぶっちぎり一位ってことぐらい、覚えているさ!」
無駄に胸を張る俺に、少し涙目の彼女が問う。
「なんで? 私一回も言った事無いのに……」
「それは……お前の好き嫌いを知りたくて……いろんな人に聞いて推測したから……」
彼女の上目使いに罪悪感を覚えていまい、戦闘中なことも忘れ、つい視線を逸らし弁明を始めてしまう。
「じゃあ、あんたがなんかの実験って言って、城中煙だらけにしてからそれを見なくなったのは……」
「もちろん、研究好きな賢者の爺さんと作った殺虫剤さ!」
そこには大いに胸を張る。
実際は人のいない場所で使うものだと、後で爺さんに散々怒られたのだが。
「テイル……やっぱり、あなた……」
あれ? なんだか良い雰囲気になってきた気がする。
が、ふと視線をあれの入った箱に向けると、彼女らの会話が聞こえた。
「……イリーナ、これってそんなに怖いものなのかえ?」
シオンが隣に戻ってきた少女に声を掛ける。
「え! シオン大丈夫なんですか?」
驚くと言うより感心していると言ったようなイリーナの視線。
「大丈夫も何も、すでに持っておるし、特別危険はない虫じゃろ? まあ、台所で見かけては衛生上の問題で切り刻んでおるが……」
どうやら嫌悪感と言うより、衛生上の敵ぐらいの認識らしい。
切り刻むと言ってたが、包丁じゃないよね?
衛生面とか大丈夫だよね?
「でも、普通の女の子は、虫を怖がるぐらいが可愛いと言われるみたいですよ」
へえ、そうなんだ。
俺も別段怖くも無いが。
「……そうなのかえ……ならば」
不意にシオンが一歩前に出たかと思うと。
「……きゃ! 虫! 怖いでありんすぅぅぅぅぅぅ!」(棒読み)
無駄の無い動きでわざとらしく箱を投げ、それが地面に落下する。
「ばか! なにやってんだ! それは脅すだけのもんで本当に出したら……」
俺の叫びも虚しく、落下した衝撃で蓋が開き、箱から解き放たれた数十匹のそれは、縦横無尽に四方へと駆け出し、その数匹が銀髪の少女へ向かう。
ぶちん!
静寂の中。
声にならない悲鳴と何かが切れる音が聞こえた。
「ぜ、全軍退却!」
フュンッ!
撤退指示と同時に何かがかすめ、頬を濡らす。
「ち、血!」
多分彼女の放った剣圧だろうそれは、ダッシュで彼女との距離を置いた俺の頬を、軽く切り裂いた。
確認するまでも無く、銀髪少女の足元の地面が線を引いたように綺麗に抉られている。
「ゴキ……黒い悪魔……殺す!」
シェリーがキレた!
「全軍! 息の続く限り、逃げろ!」
「うがぁぁぁぁぁ!」
見境も容赦も無い彼女の剣戟が、森の木々どころか地面さえもえぐり、辺りの地形を秒単位で変えていく。
「日曜でもないのに、何であんな力が出るんですか!」
イリーナが俺に八つ当たる。
「多分、ゴキのせいで無意識に力を使ってるんだ! だから、それほど力は持続しないと思う……多分」
「いやん! 怖いのじゃ!」(棒読み)
口元に両握り拳をつけるシオン。
こいつとは一回、ちゃんと話を付けないといけない。
「……ふむ、いまひとつリアリティーにかけるかの?」
訳の分からんことを練習している彼女に、シェリーが暴走して地面を抉り続けている剣戟の一つが向かう。
「シオン! 危ない!」
彼女を守ろうとその剣戟の前に飛び出す俺……。
「ふん。そんな心の乱れた剣戟なぞ」
でもシオンは、何事も無いようにひょいっと軽やかに剣戟の軌道から外れる。
当然。
バキッ!
可哀想な反射神経しか持ち合わせない俺は、その剣戟を避けられるはずもなく恐ろしいほどの衝撃を受けて吹き飛ばされる。
「はっ! どうしたのじゃぬし様!」
吹き飛ばされた俺の壮絶な破壊音に、シオンが駆け寄ってきた。
「いえ、あなたがボーっとしてたから、テイルさんが庇おうとしたんじゃないですか?」
イリーナが、俺の行動の正解と共にやって来る。
「え? わっち? あのくらいの攻撃なら、寝てても避けられるのじゃが?」
失礼なと言わんばかりに救われない一言。
「駄目ですよ! こういう時は好きな人に庇ってもらって、傷ついたその人を抱き起して恋に落ちるって、聞いた事がありますよ!」
俺はすでに全身の激痛で落ちそうなのだが?
「……そうなのかえ? 物知りじゃなイリーナは!」
「えへへ、修道院ではシスターマリアに隠れて漫画を読むのが、唯一の娯楽でしたから」
瀕死の俺を野ざらしにして、会話が弾む二人。
「だから、今のは減点ですよシオン!」
「……うむ、仕方あるまい」
会話の流れは良く分からない。
誰か俺を助けて!
「テイル!」
激痛に動けない俺を抱き起こしたのは……意外も意外。
剣戟を放った本人、シェリーだった。
「ごめんなさい! 私、訳わかんなくなっちゃって……」
彼女はさっきまでの敵意むき出しの瞳ではなく、憂いのある緋色の瞳で俺を優しく包む。
「今の一撃……全然本気じゃなかったけど……普通に避けられるかと思ったけど……テイル昔から壊滅的な運動神経だったの……忘れてて……」
優しいぬくもりと匂いの中。
そして胸に突き刺さる言葉を聞いて、癒されながら新たな傷が増えていくのは気のせいじゃないと思う。
「でも、いいか。こうして君に介抱され……」
「きゃ!」
「きゃ? ってどう……」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
悲鳴を上げて、数メートルも飛び引くシェリー。
当然、受身も取れずに地面に激突する俺の後頭部。
……地味に痛い。
「いや、私ってばなんて大胆な……い、いやぁぁぁぁぁ!」
自問自答を繰り返しては、頬を高揚させて素手で、森の木々をなぎ倒していくシェリー。
「なんだよ! 自分で近寄ってきたくせに、そんなに俺に触るのが嫌だったのかよ!」
この仕打ちに温厚な俺も、痛みを一時的に忘れ文句を吐き出した。
「いや、違うの! これは……」
「テイルさん! 大丈夫ですか!」
「ぬし様! 無事かえ?」
シェリーと入れ替わるように、やっとイリーナとシオンが俺の元に駆け寄ってきた。
彼女らの接近で、にやけたような困った顔をしていた彼女の表情が、再び硬くなる。
「また、こいつら……」
収めた剣の柄に再び手を掛けるシェリー。
一触即発の沈黙が流れる。
「テイル様! 作戦完了しました」
沈黙を破ったのは、森から現れたリュカの乗る駿馬だった。
「姫! 第二防衛線、ぺラムの町が落とされました!」
同時にエターナ軍の早馬がシェリーの元に駆け寄る。
リュカと敵兵の持ってきた情報は同じ、迂回した部隊がようやく敵の拠点の一つであるぺラムを落とした報だ。
「それでは我が方の補給が絶たれてしまう……」
いきなり王女の顔に戻るシェリー。
「撤退するなら追わないよ! ぺラムを占拠した魔物たちにも、相手が攻撃しなければこちらから仕掛けるなって言ってあるから」
緊張をほぐすように深呼吸を一つして、彼女に提案する。
「くっ! 卑怯な!」
歯を食いしばり、さっきまでの優さを微塵も感じない瞳で俺を睨むシェリー。
きっとこのまま俺たちを倒して、その勢いでペラムを奪還しようかと葛藤の最中だろう彼女に、さらに止めを刺す。
「ちなみに、俺からの定時連絡が無いと、ペラムの町に火をつける算段になっています」
「「「えええ!」」」
俺のブラフに、そんなこと始めて知ったとばかりに驚く魔王軍三人娘。
いや、ここは話し合せようよ! 嘘だってばれちゃうから!
「……全軍、パノンの町まで後退する!」
彼女らの声を聞いて無かったのか、シェリーが俺を睨みながら兵士に撤退を指示した。
「覚えてなさいテイル! この借りは必ず返すから!」
捨て台詞を吐きながら、愛馬に軽やかに乗るシェリー。
「(うわぁぁ、ちょっと怒らせすぎちゃったかな?)」
内心の動揺をひた隠し、俺は笑顔で彼女を見送った。
ブックマークありがとうございます!
これを励みに、頑張ります!




