シビウ 時計塔とうそつき橋
地下墓地を出て、時計塔へ向かった。入り口で入場料を支払い、狭いらせん階段を登っていく。木の床はギシギシと軋み、大柄な欧米人観光客が前を歩いていたので、古い木の板が折れてしまわないか不安になった。煉瓦造りの内部は保温性が良いのかムシムシして気温が高い。亜希は額から流れる汗をハンドタオルで拭いた。
最上階の窓からシビウの旧市街を見下ろすことができた。窓は残念ながら施錠されているので小さなガラスごしの風景だ。教会の尖塔を中心にオレンジ色の建物が並んでいる。遠くに低い丘が作る地平線が続く。周辺には高層ビルなどの建物はない。歴史地区として景観が守られているのかもしれない。
「中世の街は中心に時計塔があって、その周辺に街が広がっているんですよ」
エリックが窓を覗きながらそう教えてくれた。そういえば、シギショアラも街の中心部に時計塔があった。たしか、中国の街も鼓楼や鐘楼など時を告げる建物が街の中心部にある。
時計塔を降りたら背後で鉄の扉を閉める音がした。夕方4時には閉館というわけらしい。歩き疲れたので、時計塔近くのカフェで休憩することにした。
「シビウは素敵な街ですね。好きになりました」
亜希はカプチーノと、パパナシを注文した。大きなドーナツが皿に2つ並んでいたので、シュテファンとシェアすることにした。揚げたてほかほかのパパナシは香ばしく、生地がふわふわで美味しい。思わず笑顔がこぼれる。
「私もこの街が好きです。古いものがたくさん残っている。それにアキはパパナシもお気に入りだね」
エリックがカフェのテラスから見える橋を指さした。車道に対して立体的に作られた人が通れるだけの小さな橋だ。鉄の欄干には色とりどりの花が飾られている。
「あの橋はうそつき橋といいます」
「うそつき橋?」
「そう、あの橋の上で嘘をつくと、橋が崩れるという伝説があります」
きっとふざけて橋の上で嘘をつく人間も多いだろう。それでも壊れていないのだから「うそつき橋」なのかもしれない。
「明日、フネドワラ城へ行きましょう」
ドラキュラ公に関連する場所、しかも龍の紋章の本に載っている場所だ。何か起きるのだろう、亜希は楽しみで身震いした。
「その城に何があるんですか?」
「それが、私もわかりません」
本を見せて欲しい、というのでエリックに龍の紋章の本を手渡した。亜希は近くにラドゥや白装束の男たちがいないか、そっと辺りを見回した。
「この絵の城はフネドワラ城で、今読める物語は私の父が解読したところではドラキュラ公がこの城に滞在していたということくらいですね」
エリックがページをめくると、その章の最後に文字がほぼかすれた白紙のページが出てきた。
「今夜、月の光で読んでみよう」
シュテファンはここに書いてある文字がある程度解読できるらしい。今日宿泊するホテルへチェックインし、休憩した後に夕食を食べにいくことにした。そのときに片目のレンズを持ち寄って本に書いてあることを読み解きたい。今、レンズはエリックが持っている。
「またラドゥが現れたりしないかな、本を取られないか心配だわ」
「おそらく、私たちがこの本の謎を解くのを見守っているでしょう。糸口がつかめたら横取りする気です」
「あんな奴らに取られてたまるか」
シュテファンが鼻息も荒く語気を強める。彼にも研究者としてプライドがあるようだ。
「注意するにこしたことはない。ラドゥはドラキュラ公を裏切った男だ。自己愛が強い。それに兄を憎んでいる。龍の力を手に入れて一体何をしようというのだろう」
「あ、そうだ」
亜希はふと思い出した。ラドゥの印象が強くて忘れていた。
「ブラショフのバーでラドゥと待ち合わせしていたときに、とても綺麗な女性が意味深な言葉を投げかけてきた」
亜希はそのときの状況を簡単に説明した。エリックは怪訝な顔をしている。思い当たる節がなさそうだ。
「誰を信じるか・・・アキは私を信じてくれていますか?」
「そうね、8割くらいかな」
「そのくらいがいいでしょう」
エリックはそう言って笑った。
ホテルは旧市街から少し離れた場所にあるため、BMWで移動する。低い山際の静かな住宅地に囲まれた場所に建っていた。近くには中世に造られた門があるそうだ。道を挟んで向かいにレストランがあったので、夕食はそこで待ち合わせることに決めた。ホテルの部屋はやや狭く、ベッドもジャストシングルといった大きさだった。
「この大きさじゃ欧米人ははみ出しちゃうわね」
亜希は思わずツッコミを入れた。田舎のホテルはこのような感じなのかもしれない。お湯が出るか一応チェックしておく。
夜7時の待ち合わせ時間にホテルの正面のレストランへ向かった。エリックとシュテファンはすでに着席しており、メニューを覗き込んでいた。店内は木の素材を目立たせた温かい雰囲気の内装で、テーブルにはキャンドルが置かれている。おやつに食べたパパナシがまだ存在感を発しており、夜は控えめにしておくことにする。
「魚もあるんですね」
「川魚ですね。マスじゃないかな」
マスならあっさりしてそうだ。羊肉のスープに、魚、飲み物はグラスワインの白にした。魚ならご飯が食べたくなりそうだが、パンで済ませることにする。
「食事の後で、本を読んでみよう」
「落ち着いて読める場所はあるのかな?」
「ホテルに中庭があるんだよ、さっきもここに来る前に覗いてみたけど全然人がいなかった。遅い時間ならなおさら誰もいないでしょう」
亜希はエリックの言葉を聞いて安心した。
料理が運ばれてきた。スープはコンソメベース、マスはバタ焼きで調理してある。大きな皿から尻尾がはみ出すくらいの大きさで、身もプリプリしている。白ワインに合いそうだ。ルーマニアワインは酸味がやや強い。亜希はどうせワインの味は分からないので雰囲気で楽しむものだと思っていた。
食事を始める頃合いにステージで民族音楽の生演奏が始まった。ラテン系の陽気な音楽に合わせて、可愛い刺繍の入った赤色の民族服にスカーフを巻いた女性が輪になって踊っている。楽しい気分になる素敵な演出だった。女性が各テーブルをまわり、バラの花をさしていく。若い女性が亜希の顔を見て、にっこり笑ってくれた。この町でもアジア人は珍しいようだ。
夕食を済ませると夜9時をまわっていた。レストランの外に出て空を見上げれば、月は明るく輝いている。
「あの本は新月だったり、雲が多くて月が見えないと読めないのかなあ?」
亜希は素朴な疑問を口にした。それならばまとめ読みしておかないといけない。そもそも、月の光にだけ反応するインクなんかあるのだろうか。やはりこの龍の紋章の本は何か不思議な力がある。
ホテルのロビーから中庭へ出た。庭はそう広くはないが綺麗にガーデニングされており、テーブルが3席用意されていた。ちょうどバラの時期で、いろんな色のバラが咲き乱れている。ランタンが灯された夜の庭は幻想的な雰囲気だった。
「わあ、綺麗ですね」
「今はどこに行ってもバラがきれいですね」
3人は着席して龍の紋章の本を前にした。エリックがからくり箱に入れた片目のレンズを取り出す。フネドワラ城の項目の白紙のページを開き、レンズをかざした。月は天上に輝いている。
「シュテファン、君に読んでもらおう」
「やってみる」
シュテファンはレンズを通して本に記されている文字を見つめている。何度もレンズを行き来させ、真剣に読み込んでいる。亜希も横から覗き込んでみると、シンプルに数行の文字が書かれているようだった。
「えっと・・・彼が知恵と導きを得た場所、そこに我はいる」
「我って、誰?」
亜希の疑問に3人とも顔を見合わせる。
「誰かいるわけ?」
「この本はおそらくドラキュラ公の死後まもなく作られたものでしょう。15世紀の本です。その“我”がいたら怖いですよ」
エリックが怪訝な顔で呟く。一体誰がいるというのだろう。
「彼って、ドラキュラ公のことだよね」
シュテファンが白紙のページにくまなくレンズをかざしてみるが、それ以上のヒントはないようだった。3人は唸りながら考え込む。
「ドラキュラ公が知恵と導きを得た場所はフネドワラ城で間違いないだろう。彼は城に滞在してヤノシュに政治や軍事について師事していた」
エリックのつぶやきに亜希とシュテファンが注目する。フネドワラ城に“我”がいるということか。
「城のどこにいるんだろう?」
「フネドワラ城はそう広くはないが、見当がつかなければどこを探せばいいか・・・」
「そこで誰を探すか、もあるよね」
シュテファンの言葉にため息をつく。とりあえず、明日はフネドワラ城へ行ってみようということになった。せっかくなので午前中はブルケンタール博物館を見学することをエリックが提案してくれた。
謎解きにヒントが無さ過ぎて3人ともモヤモヤしていた。亜希は部屋へ戻り、シャワーを浴びたあとベッドに転がった。フネドワラ城は楽しみだが、あてもなく見学して本に書かれた謎が解けるのだろうか。まあ、いいか。現地に行けば何か分かるかもしれない。亜希はわくわくする気持ちを胸に、眠りについた。




