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ワラキアの眠れる龍の伝説  作者: 神崎あきら
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幕間―父の仇

 石造りの通路に乾いた靴音が響く。等間隔に穿たれた窓からは、下弦の弱々しい月明かりが漏れている。長く、暗い通路を照らすのは手元の燭台のみ。松明の火は消えていた。シュテファンは凍える指先に息を吹きかけた。通路の先には小さな牢獄がある。牢獄と言っても、ある程度の自由を許された罪人が入る部屋だった。厚い木の扉を2度、軽く叩いた。返事はない。鍵は掛けられていなかった。シュテファンは重い扉をそっと開けた。


「ヴラド、まだ眠らないのですか?」

 彼はそこにいた。窓辺に置いた簡素な机と椅子が一脚。机には燭台が置かれ、彼の呼吸に合わせて炎がゆらゆらと揺らめいていた。窓には鉄格子がはまっているが、月の明かりを取り入れるには申し分ない。ヴラドと呼ばれた男はシュテファンの声が聞こえないそぶりで、頬杖を突きながら手元に置いた本を読み込んでいる。月明かりに照らされた肌は白く、豊かなクセのある黒髪は肩にかかり、艶やかに光っていた。ヴラドは扉の方を向き、そこに立つシュテファンを見つめた。冷たい眼差しだ。影のある瞳はどこまでも深い闇に続くように思えた。


「どうした?」

 感情の読めない低い声が響く。部屋は石造りの壁から伝わる冷気で満たされていた。ヴラドは黒い上着とズボン、ブーツ、それに臙脂色のマントを羽織っていた。その姿は闇に溶け込もうとしているようにも見えた。

「なぜこの部屋にいるのですか?あなたには与えられたきれいな部屋がある」

 9月にモルドヴァからフネドワラへ移り、3ヶ月。トランシルヴァニア候フニャディ・ヤノシュに庇護されて過ごしていた。シュテファンの父、モルドヴァ候ボクダン2世が暗殺されたのだ。その悲しみは未だ癒えていない。


 ヴラドとは従兄弟にあたる。彼もまた父ヴラド2世と兄を暗殺され、母方の縁があるモルドヴァに亡命し、機会をうかがっていた。ボクダン2世の暗殺はそんな折だった。父親を殺害され、呆然とするシュテファンの手を取ってトランシルヴァニアへ導いたのはヴラドだった。彼はそのとき21歳、シュテファンは2つ年下だった。弟のラドゥも連れて、このフネドワラの城塞で過ごしている。

 フニャディ・ヤノシュがヴラドの父と兄を殺害に関与していることを彼は知っていた。頭を下げるヴラドをヤノシュは受け入れ、ここに住まわせている。おそらくヤノシュは自分が父と兄の仇ということをヴラドが知っていることに気付いている。それでも、ヴラドの素質を見抜いたヤノシュは彼に政治、軍事の知識を与え、最近は遠征にも連れ立っている。合理的な考えを持つ優秀な君主だった。


「ここが落ち着くのだ。ここなら月の光もよく届く」

 ヴラドがいる小さな牢獄は城の東端にあった。長い渡り廊下を通り、その先端にあたる。ヴラドには城内に与えられた部屋があった。必要最小限だが、調度品もあり、暖炉もある。しかし、ヴラドはヤノシュに師事する以外は書を持ってここで過ごすことが多かった。紙とペンで何か文筆をしているときもある。

 不意にうめき声が聞こえた。シュテファンは恐ろしくて肩をすくめた。地獄の底から発せられるような、苦痛の叫びだった。おそらく、この牢獄のある塔の地下では、捕らえた捕虜を拷問しているのだろう。風に乗って、その叫びが響いてくるのだ。


「この叫びは戒めだ。俺もいつそうなるかわからん」

 ヴラドは自分の立場が不安定であることを知っていた。老獪なヤノシュとは絶妙な駆け引きをしている。もし、ヴラドがヤノシュに見捨てられることがあれば、シュテファンや弟ラドゥの命も危険にさらされる。ラドゥはそんな兄の気持ちを知ってか知らずか、城の中で音楽や芸術をたしなみ、優雅に過ごしている。金色の巻き毛の美しいラドゥは城の中でも可愛がられていた。彼もそれがよく分かっていた。以前よりヴラドとラドゥの距離は離れている、シュテファンはそう感じていた。


「ヤノシュはもう長くない」

 ヤノシュは優秀な戦士だが、もう高齢だ。自分の実子、マーチャーシュはどこか頼りない。トランシルヴァニアをトルコの驚異から守るためには優秀な戦士が必要だった。それが政敵の子だとしても、自分の持ちうる知勇を授けておきたいと思っていることをヴラドはよく知っていた。ワラキアが滅べば、トランルヴァニアとて同じ運命を辿ることは必至だった。

「おそらく、俺はいずれワラキアの公位に就けるだろう」

 お互いに利用する関係だという。


「ヴラド、せめて風邪などひかぬように」

 シュテファンは手に持った毛布を広げ、ヴラドの肩にかけた。

「礼を言う。お前ももう休め」

 ヴラドは肩に置かれたシュテファンの手に自分の手を重ねた。その手は厚く、そして温かかった。


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