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ワラキアの眠れる龍の伝説  作者: 神崎あきら
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シギショアラ 山上教会

 狭い階段を上り、店内に入る。観光客を喜ばせる演出で壁にはドラキュラ公のイラストが描かれ、公の胸像や中世の甲冑がディスプレイされている。昼時とあってお客さんも多い。エリックが店員に話しかけ、テーブルを用意してもらえたようだ。

「この店はシギショアラで一番有名です。団体ツアーの方はほとんどこの店を利用します。席が空いていたのは幸運ですね」

「この店はドラキュラ公の生家ですね」

「そう、彼はヴラド二世がこの街に滞在中にこの家で生まれました」

 案内されたのはテラス席だった。見上げれば時計塔がそびえ立っている。エリックがメニュー表を手渡してくれた。吸血鬼をイメージしたメニューが並ぶ。横でワインを注文している欧米人がいたが、ボトルのラベルがドラキュラ公だった。血のスープと名付けられたトマトスープに豚肉グリルのグラタール、を注文した。


「私は正直、まだあなたを信用していません」

 亜希は思い切って切り出した。エリックは気分を害することなく穏やかな表情を浮かべている。

「何を信じたらいいのか迷っています。ブラショフのバーでラドゥという名の青年に会いました。彼はあなたが龍の紋章の本を奪おうとしていると言っていました。でもあなたは私に本を返してくれた」

「ラドゥ・・・彼はどんな人でしたか?」

 エリックが神妙な顔をして亜希に尋ねた。ドリンクが運ばれてきた。亜希はレモネード、エリックの前にはソーダ水が置かれた。

「金髪で、とても綺麗な顔をしていました。物腰は優しいんだけど、どこか冷たい印象もあって」

「・・・ドラキュラ公ヴラド・ツェペシュには弟がいました。2人は父ヴラド二世によりトルコへ人質に出されたことがあります。トルコで反抗的なドラキュラ公に対して従順で見た目も美しいラドゥは可愛がられ、スルタンにも寵愛されたそうです。その後、トルコはワラキアに傀儡政権を打ち立てるためにラドゥを利用しました。ドラキュラ公は弟と争うことになったのです」

「兄弟で戦うなんて、残酷ですね・・・」

「ドラキュラ公の死には弟ラドゥが関わっているとされています。彼が引き連れたトルコの軍勢と戦い、命を落としたと」

「ドラキュラ公は弟に殺害されたんですか」

 読んだ本には戦の最中にトルコ軍に囲まれて命を落とした、と書いてあった。戦国時代に兄弟で殺し合うのは日本でもよくある話だが、衝撃だった。テーブルに料理が並んだ。

「本がこの国に戻ってきた。そしてラドゥという人物があなたの前に現れた。これは偶然でしょうか・・・さあ、温かいうちに食べましょう」


 赤いとろみがついたトマトスープは濃厚な味だった。大きなトマトがゴロゴロ入っている。酸味と甘みのバランスが良い。グラタールは塩コショウのシンプルな味付けだ。生姜焼きにでもして欲しいなと亜希は密かに思ってしまった。添え物にチーズが練り込まれたママリガがついていた。

「ルーマニアはスープが美味しいですね」

「亜希はスープがお気に入りですね」

 エリックはまた穏やかな表情に戻っていた。デザートにクラティテを注文した。薄皮のクレープだ。中には生クリームがたっぷり入っている。皿に2つ載ってきて意外と大きかったので、エリックとシェアすることにした。

「この後、腹ごなしに丘の上の教会へ行ってみましょう」


 レストランカーサ・ヴラド・ドラクルを出た。店の前にはまた別の団体客が集まっていた。

「シギショアラは小さな街です。歴史地区は半日もあれば観光できます」

 エリックが教会に行く前に、とレストランから東へ歩き出した。でこぼこした石畳の道をエリックについていく。古い教会と建物の間の広場にブロンズ像が建っていた。

「アキ、これが誰か分かりますね」

「ドラキュラ公ですね」

 よく目にする印象的な帽子を被ったドラキュラ公の胸像だった。ヴラド・ツェペシュ1431-1476と銅板に刻まれている。英雄の像なら全身があっても良さそうだが、シンプルな胸像がこじんまりと広場に置かれているだけというのは少し切ない気持ちになった。

 街の中を抜けて山上教会に向かう。モスグリーンやオレンジ、ベージュと明るい色の壁にオレンジ色の屋根の古い建物が建ち並んでいる。レストランだったり、雑貨屋だったり、ホテルもあるようだ。

「ちょっとこのお店に立ち寄ってもいいですか?」

 亜希は小さな雑貨屋に入った。ブラン城の露店とラインナップは似たような感じで、ドラキュラグッズが並んでいる。亜希はシギショアラのマグネットと絵はがきを手にとった。訪問した街のマグネット集めは旅行の思い出になる。店番の若いブロンドの子はもの静かな印象で、商品を丁寧に袋詰めしてくれた。


 街の突き当たりに黒い木造のアーチ状の入り口がついた屋根が見えた。これが山上教会の入り口らしい。階段が続いている。覗き込めば出口の明かりが射しているのでそう段数はなさそうだ。

「わあ、階段ですね」

「良い運動になるでしょう」

「そうですね、最近運動不足だし」

 亜希は一歩を踏み出した。石造りの階段を上っていく。階段は木のアーケードに覆われており、雨が降っても傘無しで通れるようになっている。大雑把に組まれた木の隙間から光が漏れて電灯が無くとも足元は明るかった。

「はあ、疲れました」

 アーケードを出れば教会が見えた。150段くらいはあっただろうか、気付けばすっかり汗ばんでいる。足もガクガクで、息もかなり上がっていた。昔から運動は苦手だった。仕事もデスクワークなので体を動かすことは少ない。体力をつけないと、と亜希はげんなりした。


 ややベージュがかった白い漆喰の教会はこの町のカトリック教会で、16世紀に建てられたという。亜希が教会を見上げていると、子供達が一斉にその先の階段から降りてきた。ハロー!と挨拶している。亜希もぎこちなく手を振った。

「この上に学校があるんですよ、アジア人は珍しいのでしょう」

 エリックも子供達に手を振っている。芝生に囲まれた教会の脇を通り、入り口へ回る。横を見れば墓地が広がっている。映画で見るような十字架や石版が並ぶ墓地だ。半分立ち枯れた木ややや曇天になってきた空と相まってなかなか迫力のある雰囲気だ。教会の入り口でカンパとして少額の入場料を支払った。おばさんが亜希に英語で日本人かと尋ねてきた。イエス、と答えると日本語の手書きの説明書をくれた。かつてここを訪問した日本人が説明を書いてくれたものだという。海外で見る日本語はどこか温かく懐かしい気持ちになった。


 教会の中は高いアーチ型の天井に、立派な柱、正面には金色の枠に入った宗教画が置かれている。古い木の椅子が並び、漆喰の壁はところどころ剥げかけていた。よく見れば壁にも絵が描かれている。聖人の彫刻の側の椅子に座ってみた。亜希は宗教にこりは無く、実家は浄土真宗で葬儀やお盆などはそれに従う。寺も神社も見学するのは好きで、教会もまた同じ感覚だった。教会の中には2,3人の観光客がいるのみで時折小さな祈りが聞こえてくるのみ。華美ではなく、至って素朴な教会だ。亜希はその静謐の中に身を置き、正面の高窓から漏れる明かりをぼうっと眺めていた。

 エリックがこの壁画は15世紀のもので、ほとんど破損しているが、当時の状態を復元していると教えてくれた。

「あれ、珍しい。地下への入り口が開いています」

 エリックが嬉しそうに手招きする。祭壇前に地下へ降りる煉瓦造りの階段があった。

「気をつけて」

 亜希はエリックの後について降りていく。12段ほど降りたところで地下通路が延びている。奥から明かりが漏れている。10メートルも無い、短い通路だ。床は煉瓦、壁には何か塗り込めた跡がある。ひんやりとした空気が漂う。気付けばすっかりと汗はひいていた。

「ここは何の場所なの?」

「納骨堂ですね」

「わあ・・・そうなんだお墓なんですね」

「昔はここに棺を入れました」

 上部がアーチ状になった穴の跡が上下二列で並んでいる。言われてみると西洋の棺を横にして押し込むような形になっている。


「昔は特別な人物の墓地だったのでしょう。今は使われていません」

 外の墓地は庶民の場所ということか。通路の先には明かりとりの窓の他は何もなく、ただ煉瓦とコンクリで塗り込められた壁があるのみだった。通路から地上に戻り、教会を出た。

「少し休憩しましょう」

 教会脇のベンチは大きな木の陰になっており、初夏の爽やかな風が吹き抜けていく。亜希とエリックは並んで座った。柔らかな木漏れ日が大地に落ちている。

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