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ワラキアの眠れる龍の伝説  作者: 神崎あきら
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ブラショフ Barエニグマ

 ホテルは先ほどのカフェの近くにあった。カフェに面した時計台のある広場まで徒歩圏内だ。建物は年季が入っており、ロビーも薄暗い。エリックの補助でチェックインを済ませ、部屋に入る。

「夕食はどうしますか?」

「あ、ああ・・・そうですね、さっきのパパナシでお腹がいっぱいです」

 それなら、とエリックは近くのレストランやコンビニエンスストアの場所を教えてくれた。明日の朝は9時に出発しましょう、と約束をして別れた。亜希は部屋に入るとすぐに鍵を閉めた。

 どうしようか、警察に言う?ルーマニア語も話せないのにエリックに言いくるめられはしないだろうか。イーストトラベルに聞いてみようかと思ったが、こちらでのスタッフは現地旅行社に任せているのでおそらく分からないだろう。ここまでエリックはとても紳士的な態度で接してくれた。自分を騙してどうなるというのか、それも分からない。亜希は不安に押しつぶされそうになった。


 不意にドアがノックされた。亜希は声を上げそうになった。

「アキ、頼みがあります」

 恐る恐るドアを開けると、隙間からエリックが覗いている。

「なんですか?」

「あの本を貸してもらえませんか?」

「え・・・」

「友人なら文字が読めるかもしれません、聞いてみましょう」

 そういうことなら、と亜希はバッグから龍の紋章の本を取り出した。エリックは礼を言って隣の部屋に入っていった。亜希はベッドの上に腰掛けてまた思い悩む。やっぱり一人で海外なんて冒険すぎたのだろうか。エリックの目的は何だろう。でもラドゥという青年も完全に信じられない。

 亜希はラドゥからもらったカードを取り出した。エニグマ、とアルファベットで書いてある。黒字に金色の文字、歯車がデザインされたおしゃれなカードだ。地図を見れば、あの広場の近くにあるようだった。ホテルから徒歩5分程度だろう。時計を見る。針は午後6時を射していた。夜にいる、って何時から夜なのだろう。外はすっかり日が落ちて、空を紫色の雲が流れていく。彼の話を聞いてみよう、亜希は意を決して立ち上がった。


 ブラショフの旧市街は狭い。時計台を中心に亜希の泊まるホテルのある端まで500メートル、その逆も同じくらいのエリアだ。石畳の道をエニグマへ向けて歩く。道の両側には控えめなネオンが灯っている。薬局、携帯ショップ、薄暗いのはコンビニエンスストアのようだった。思えば日本の店は明るい。この暗さは景観を気にしているという感じではなさそうだった。人通りがまだあるが、この感じだと深夜になるとほとんど人がいなくなるだろう。ざっくりした地図には店の場所は広場の手前になっている。カフェはナイト営業をやっていたが、灯りは適度に落としている。それでも酒を飲みながら楽しそうにしゃべる声が聞こえてきてほっとした。エニグマの看板を探すが、見当たらない。壁沿いに歩いていくと、広場に面した石造りのアーチの奥にも建物が並んでいるのが見えた。奥まった場所に入ることになるので、亜希は躊躇した。のぞき込むと、カードのデザインの看板が目に入った。

「エニグマ、ここだなあ」

店の前には若い子がたむろしている。亜希は160㎝を越えているが、やはり彼らに比べると小柄だ。しかもアジア人はこの辺にあまりいないので目立つ。小走りに駆けてオーク材の重いドアを開けた。


 ダウンライトの店内は奥と壁面に沿ったカウンター席、4-5人掛けのテーブルが10席ほど、一番驚いたのは店内のディスプレイだ。壁面全体に大きな歯車をあしらった時計があった。背面にも無数の歯車がいろんなスピードでまわっている。カウンターはさびたパイプを張り巡らせ、天井がら下がるランプはガラス内にビリビリと電光が走っている。横を見ればガスマスクをつけたマネキンが立っており、亜希は驚いて思わず一歩横に飛んだ。こういうのをスチームパンクというのだろうか、店内のBGMはアンダーな雰囲気のダンスミュージックだ。えらいところに来てしまった、と亜希は戸惑った。ユニークな店の雰囲気は面白いのだが、さすがに海外、ひとりで夜のバーにいるという状況は緊張する。


 ほぼ満席だが、端のテーブルが一つ開いている。椅子に座ろうとしたら亜希の様子を見ていた隣のテーブルの男が2人立ち上がった。亜希に近づいて何やら話かけてきた。聞き慣れない単語なのでルーマニア語なのだろう。亜希は逃げ出したくなった。しかし、この店でラドゥは待つと言っていた。もし今夜会えなければ明日は別の街へ向けて出発することになる。

「ノーサンキュー」

 亜希はベタベタな発音で首を振った。それでも男たちは話かけてくる。一緒のテーブルで飲もうといいたいようだった。ペラペラと日本語で話しかけられても注意が必要だが、知らない言葉で一方的に話しかけられるのも怖い。一度店の外に逃げだそうか、そう思ったとき男たちの間に一人の女性が割って入った。厳しい口調で何か伝えている。男たちは仕方なさそうに席に着き、ビールをあおり始めた。


「アーユーOK?」

 女性は簡単な英語で話しかけてきた。亜希は無言で首を何度も振った。店員というわけではなさそうだ。背の高い女性だ。亜希が見上げるくらいなので170㎝は越えているだろう。髪は茶色、切れ長の瞳に高い鼻筋、唇にはダウンライトの下でもはっきりと鮮やかな赤色だった。赤色のストールを羽織ってスレンダーな体のラインがはっきり分かるワンピースを着ている。

 亜希の目の前に人差し指を突き出した。そして英語で注意しなさい、と言っている。誰を信じるのか考えるのよ、そんな意味だったと思う。亜希は何か返事をしようとしたが、とっさに英語が出てこない。女は店を出ていった。亜希はその後ろ姿を見送った後、呆然としながら着席した。黒いエプロンの店員がメニューを持ってきた。写真を指さしてレモネードと生ハムサラダ、パスタを注文した。せっかくバーに来たのでワインかビールでも、と思ったが判断力は少しでも残しておきたい。


 飲み物が運ばれてきたタイミングで、ラドゥが店に入ってきた。薄手のジャケットに白い開襟シャツ、黒いパンツ姿でまるで整った顔立ちとスタイルの良さは目を引く。亜希をみつけて席についた。店員にワインを注文したらしく、店員が亜希のレモネードと一緒にテーブルに持ってきた。

「こんばんは、来てくれたんですね」

「ええ、まあ・・・」

 いざ何を話そうか考えていなかった。エリックがどういう目的で自分を連れているのか、それを聞きたい。ラドゥは優雅な動作でワインを口に含んだ。

「彼はあなたの持ち物を狙っています」

「持ち物?」

 お金とか、パスポートだろうか。何にしても穏やかな話ではない。

「古い本をお持ちでしょう」

「あ、あの本・・・」

 龍の紋章の本だ。ホテルの部屋でエリックに貸してしまった。それを言おうとして、亜希は踏みとどまった。ラドゥが信用できるかもまだ分からない。ラドゥは穏やかな笑顔で亜希を見つめている。美しい顔だ、しかし何を考えているのか読み取ることはできない。

「龍の本・・・とても古い、貴重な本です。博物館から盗まれました。私はそれを探しています」

「盗まれた?」

 亜希は聞き返した。


「1989年冬、ルーマニアで革命が起こりました。ニコラエ・チャウセスクが民主化デモを武力で鎮圧したことが発端です。各地で暴動が起こり、血が流れた。政府の施設に暴徒が押し寄せた。その混乱に乗じて博物館から持ち出されたのです」

 まさか、あの本にそんないわれがあるとは。でも、なぜ日本のアンティークショップにそんな本があったのだろう。

「その本が今ルーマニアに戻ってた・・・まさに運命です」

 ラドゥは穏やかな口調が熱を帯びてきた。

「彼は、本が高値で取引されることを知っている。どこかであなたが本を持っていることを知り、本来のガイドを出し抜いてあなたに接触したのです」

「そんなことって・・・」

 ルーマニアのガイドブックに治安について書いてあった。偽警官に注意という内容で、観光地などで外国人を見ると偽の警察手帳を出して違法な両替をしたなど取ってつけた理由で拘束し、金を巻き上げるというものだった。手の込んだ犯罪もあるものだと思っていた。しかし、ガイドになりすます、それも延長線上ではないだろうか。エリックは気遣いができ、丁寧で紳士的だった。それにこのブラショフの街まで連れてきてくれた。亜希は揺れた。目の前のラドゥか、エリックか、誰を信じるか考えろ、とあの女は言っていた。それはこのことなのだろうか。


「困ったら電話をして。私はあなたの味方です」

 ラドゥはワインを飲み干し、亜希にメモを渡した。ここは払うから、とラドゥは店員に紙幣を渡してエニグマを出て行った。亜希の目の前にサラダとパスタが出てきた。緊張とショックで喉を通りそうにない、と思ったが新鮮なサラダは美味しそうで、一口含めば酸味のあるドレッシングが食欲をそそった。そのままもくもくとパスタまで完食し、亜希は店を出た。


 我ながら図太い、と亜希は思う。エリックもラドゥも狙いはあの本で、今はエリックの手の中にある。もしエリックが自分を騙すつもりなら、明日の朝ホテルのロビーでの待ち合わせに現れずにそのまま逃走するだろう。あの本を取られるのはしゃくだが、命を取られるよりはマシだろう。イーストトラベルの河合に電話をしてとりあえずブカレストに戻れたら日本に帰ることができる。

「何とかなるか」

 亜希は独りごちた。ホテルへの帰り道、石畳の道を歩く。すでにネオンも消え、街灯のオレンジの光が道をぼんやりと照らしている。見慣れない街で自分の足音だけが響き、まるで異世界に迷い込んだような気分になった。早く帰ろう、と足を速めた矢先、目の前に白い装束の人影が見えた。亜希の心臓がドクンとひとつ鳴った。白装束の3人が道の真ん中に横並びに立っている。イスタンブールの空港で見たようなイスラム系の民族衣装だった。オレンジの街灯に照らされて異様な雰囲気を醸し出している。白装束たちは亜希にじりじりと歩み寄ってくる。これはまずい、掴まったら死ぬかもしれない、と亜希は直感した。


 石畳の道を広場へ引き返す。最初だけで早歩きで、しかしすぐに走り出した。海外では何かあったときのために走れる靴を履いていきなさいよ、と友人が教えてくれたのを思い出した。履き慣れたスニーカーは走るには好都合だった。しかし、石畳に足を取られて思うようにスピードが出ない。振り返るのも怖かった。石造りのアーチの内側へ逃げ込む。しまった、ここの方が暗いし、人影はない。

「助けてください」

 恐怖に声がかすれている。ルーマニア語かせめて英語でなけけば通じないだろう。しかし亜希はパニックでそんなことは頭になかった。振り返ると、白装束が背後に迫っていた。これで私の人生はおしまいなのか、亜希はどこか他人事のように冷静だった。すぐ脇に角材が立てかけてある。亜希はとっさにそれを拾い上げ、振り回して白装束を牽制した。それに恐れをなす様子もなく、3人は亜希に間合いを詰めてくる。


 不意に叫び声が聞こえた。白装束は目配せをして、亜希の前から走り去った。亜希は全身の力が抜け、へなへなとその場に座り込んだ。慌てた様子で走り寄ってきたのは、ドライバーのエリックだった。


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