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ワラキアの眠れる龍の伝説  作者: 神崎あきら
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ドラキュラ城 Castle Bran

 目を覚ませば、周囲には広大な農地が広がっていた。生命力に溢れた緑色の大地、青い空にぽっかり浮かぶ白い雲、遠くなだらかな山脈が連なっている。風を入れるために少し開けた車窓からは、乾いた温かい風が吹き込んでくる。

「目が覚めましたか?」

「すみません、うとうとしてしまって」

 穏やかなエリックの声に現実に引き戻された。ドラキュラ城ことブラン城に向かっているところだった。今はどのあたりだろう。

「もう15分もしないうちに到着しますよ」

 シナイアのカフェを出発して30分ほど眠っていたようだった。亜希は車窓からの景色を眺めている。


「この辺りはトウモロコシ畑です」

「あの黄色いもちもちした・・・ママリガの原料になるんですね」

「そうですね。あの山の上が見えますか?」

 エリックが指さした方向を見ると山の上に街の名前だろうか、大きな白文字のアルファベットの看板が出ている。写真で見たハリウッドの看板に似ている。

「山の上には中世に作られた砦をよく見かけます。ラスノフもその一つです」

 日本の山城に似ていると思った。しばらくすると、レストランや観光ホテルが立ち並ぶ通りに入っていく。車も少し増えてきた。


「ブラン城に到着です」

 ブラン城はルーマニア観光には外せないスポットで、どの観光ガイドブックにも大きく掲載されている。写真で見るといかにも西洋のお城といった雰囲気で、観光できるのをとても楽しみにしていた。

「ブラン城の最初の歴史は13世紀にドイツ騎士団が建てた要塞です。その後に今の石造りの城の基礎ができました。15世紀初頭にはミルチャ老公に所有権が渡り、以後トランシルヴァニア公、ブラショフ市へと所有権が移り変わります」

 城への道を歩きながらエリックが説明をしてくれる。

「ドラキュラ公とは実際関係は無いんですよね?」

 ブラン城はドラキュラ城として観光客を集めている。

「関係は薄いです。しかし、先ほどお話ししたミルチャはドラキュラの祖父にあたります。一時期管理をしていましたから、もしかしたらドラキュラ公も立ち寄ることはあったかもしれませんね」

 ドラキュラ公と全く関連が無いわけではなさそうだ。亜希は公ゆかりの地を訪問できることが嬉しくなった。カーブを越えると、道路の向こうに低い丘と城影が見えてきた。


「わあ、あれがブラン城!・・・思ったより小さい」

 丘の上に白い壁にオレンジ色の屋根の建物が建っている。思ったよりも小さい、それが最初の感想だった。しかし、切り立った崖に立つ城の姿は荘厳で、遠景を写真に収めた。城の麓には土産物屋がところ狭しと並んでいる。エリックが城の入場が夕方5時までなので最初に城を見学しましょう、と土産物に目移りしている亜希を促した。

「これがチケットです」

 エリックがチケットを購入してくれた。ブラン城をデフォルメしたデザインが印刷された紙のチケットで、今日の日付が打刻されていた。今は2時半、ゆっくり見学できそうだ。エリックはここで待っていると言い、亜希だけ城への階段を上り始めた。なだらかな階段を上っていくと、城の外壁がそびえ立ている。岩と同化した壁がリアル感を演出している。階段を上りきると、城への狭い入り口が現れた。観光客はまばら、やはり欧米人が多い。


 城の中は、漆喰の白い壁に黒木の板張りの床の狭い部屋が続いている。順路が示されているので、従って見学する。ドラキュラコーナーが設えられた一室では史実のヴラド・ツェペシュの紹介パネルが並んでいる。ルーマニア語と英語の説明のみだが、ドラキュラ公の歴史に関しては、旅行前に読んだ本であらかた理解していたのでだいたい内容は理解できた。別室には吸血鬼伝説や吸血映画のパネルが掲示してあった。「吸血鬼ドラキュラ」や「ノスフェラトゥ」といった白黒映画のパネルが並んでいる。そういえば、吸血鬼ドラキュラの物語をよく知らない。吸血鬼は太陽や十字架や聖水、ニンニクが弱点で、美女の生き血を吸うというステレオタイプな設定が独り歩きして、最近ではドラキュラ伯爵のようなおっさんではなく、美男美女が主役の吸血鬼ドラマの方が人気がある。それでもしぶとく吸血鬼の代名詞としてその名が残っているのはブラム・ストーカーの生み出した吸血鬼ドラキュラのインパクトがいかほどだったか窺われる。


 先ほど見学したペレシュ城はまさに王族が住む城、といった趣だったが、ブラン城はどちらかと言えば要塞という印象を覚えた。素朴な椅子や机、ベッドが展示されている。雰囲気づくりのためか申し訳程度に鎧が飾ってあった。白い壁に木を取り入れたテイストは温かみがあっていい。よく見ると、天井の梁には植物の文様がペイントされていた。隠し通路と紹介されている人が一人なんとか通れる細い階段を上がっていく。ベランダに出て、中庭を見下ろすことができた。中庭もかなり狭い。中央に井戸が見える。ここに来る前に読んだドラキュラ伝説の本によれば、井戸は秘密の地下通路に繋がっており、そこを通り抜けると城下の村に抜けることができるという。部屋の窓から村の様子を眺めることができた。木々の合間にオレンジ色の屋根がぽつぽつと見える。まるでおとぎ話の絵本を眺めているようだった。テラスから眺めるオレンジ色の屋根は白い壁とのコントラストが映える。かわいいお城、というのが亜希の抱いたイメージだった。ドラキュラという血なまぐさいイメージとはほど遠い。

 出口の近くに小さなミュージアムショップがあった。ドラキュラ伝説の英語本や、ルーマニアの風景写真、ドラキュラ公の肖像をラベルにしたワイン、ペーパーナイフなどのグッズが売られている。お城のロゴをあしらったキーホルダーとブラン城の絵はがきを買った。


 城外に出ると、エリックが手を振っている。

「楽しかったですか?」

「かわいいお城ですね、ドラキュラ城というホラーなイメージは全然無かったです。でも、素敵なお城でした」

「今この城は海外の富豪の管理下におかれています。今は一般公開されていますが、権利の関係で閉鎖される可能性もあります」

「ルーマニアの大事な観光資源なのに」

「城の管理は莫大な資金が必要です。政府もなかなかお金を出せません。難しい問題ですね」

 悲しい話を聞いてしまった。この城だけで観光産業がもっているわけではないだろうが、シンボル的なものが失われてしまう感覚だ。

「お土産を見ますか?」

 エリックが城下の露天を指さした。赤い帽子をかぶった有名なドラキュラ公の肖像を使ったグッズがところ狭しと並んでいる。マグカップ、ショットグラス、Tシャツ、マグネット、木彫りの壁掛け、よくぞこんなに揃えたものだと感心する。カラフルな刺繍のテーブルクロスや絵皿などの民芸品もあり、見ているだけでも楽しい。亜希はマグカップとマグネット、刺繍が入った赤いストールを買った。


「では、ブラショフへ向かいましょう。今日のホテルがある街です」

 元来た道を辿り、ブラショフへ。日が傾いているのか影が長くなてきた。ブラショフへは20分ほどで到着した。古い町並みを残す旧市街はピンクやモスグリーンの壁にアーチのついた飾り窓のお店や、ゴシック風の古い石造りの銀行が並び、風情がある。

「素敵な街ですね」

 ブカレストとはまた違ってコンパクトで素朴な雰囲気が良い。

「見学で疲れたでしょう。カフェで休憩しましょう」

 エリックの勧めで広場の前のオープンテラスのカフェで一息つく。


「きっかけは修道院を見ることだったんですけど、ドラキュラ公にも興味が沸いて」

 店員がカフェラテとブラックコーヒーを持ってきた。亜希は話を続ける。

「吸血鬼と思われたり、串刺し公とか恐ろしい話がついてまわる人ですけど、国を守った英雄だと評価されている。その二面性が面白いなあって。それに、敵は強大なオスマントルコで、さらに自分の国にも敵がいっぱいいて。それでも戦い続けた姿はかっこいい」

 エリックは微笑みながら聞いている。

「ルーマニアに来て思いました。豊かな緑の大地に森や山、川を見ていると、彼はこの美しい国とここに住む人たちを守ろうとしたんだなあって」

 亜希はカフェラテを一口啜った。


「ドラキュラ公のことを知って、旅に出ようとした頃から夢を見るんです」

「夢、ですか」

「ドラキュラ公が赤色の龍になる夢、それからブカレストについてからも恐ろしい処刑の夢でした。本の読み過ぎと旅行で気分が高ぶっているのかも」

 エリックは真剣な面持ちで話を聞いている。

「そうですね、疲れていると夢を見ます」

 店員がパパナシを運んできた。ルーマニアの伝統的なデザートで、ドーナツのような揚げ菓子だ。ルーマニアに行ったら必ず食べようと決めていた。肉厚のドーナツの上に丸いミニドーナツが乗せてあり、ベリー系のソースがかかっている。


「わあ、美味しそう」

 一口食べると薄いサクサクの生地の中はふわふわでやわらかく、ほんのり甘い。あつあつのパパナシに酸味のあるブルーベリーソースと生クリームをつけて食べるとこれがまた良くあう。亜希は思わず頬に手を当てた。まさに幸せを感じる。

「この店のパパナシは有名なんですよ、気に入ってくれて良かった」

 エリックはコーヒーを飲み干して、ちょっと電話をしてくると席を立った。一人残されてやや心細いが、周囲にはカップルや家族連れも多い。安心してパパナシを頬張った。大きなドーナツが二つ、それでも城の散策で小腹が減っていたのでたいらげてしまった。


「こんにちは」

 エリックの座っていた席に金髪の男性が座った。相席をするような混雑具合ではない。亜希は身を固くした。エリックの姿を探すが、見当たらない。しかも、警戒すべき日本語で話しかけてきた。男性は20代後半か、整った顔立ちをしている。透き通るような白い肌に、ブルーの瞳、よく見れば片方は緑色にも見えた。オッドアイというやつだ。厚みのある唇はつややかで赤く、まるでモデルのようだった。カールした金髪は夕陽を浴びて輝いている。

「こんにちは・・・」

 亜希は肩を顰めながら挨拶をした。

「彼は友人?」

 自然なイントネーションだった。ゆっくりと優しい口調で話しかけてくる。これは詐欺か何か似違いない、亜希は唇を引き締めた。

「いえ、私のガイド兼ドライバーです」

「そう、彼は最初から約束していたガイドなのかな?」

 金髪の青年の言葉に亜希は眉を顰めた。

「ええ、ブカレストから一緒ですけど」

「空港に来た人とは別人じゃないですか?」

 そういえば、そうだ。亜希は鳥肌が立つのを感じた。

「気をつけて、彼はあなたの本当のガイドを騙してここに来たのです」


 亜希は絶句した。思わず椅子から立ち上がりそうになり、なんとか心を落ち着けた。まさか、エリックが自分を騙しているのか。空港に迎えにきたミハイが本物のガイドだったのか。亜希は脳内で問いを繰り返した。顔から血の気が引くのが分かった。

「私はラドゥ。助けてあげましょう。でも、彼には黙っていてください」

「は、はい・・・」

 目の前の人物も充分怪しい。しかし、彼の話は筋が通っている。空港に迎えに来たガイドとは別人になっていることも知っていた。

「今夜、私はこの店にいます。彼に見つからないように来てください」

 ラドゥは名刺大のカードを亜希に手渡した。カードには店の名前と電話番号、簡単な地図が載っている。慌ててバッグにしまった。

「では、また」

 ラドゥと名乗った青年は立ち上がり、去って行った。亜希の心臓は早鐘のように打っている。深呼吸して気持ちを落ち着けた。ややあって、エリックが席に戻ってきた。

「お待たせしましたね、ではホテルへ向かいましょう」


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