第三百十五章 「クレヴァス」を巡る幾つかの事情 8.エルギン冒険者ギルドの事情(その2)
無論、エルギン最寄りの山はクレヴァスの北東――モルファンとの国境を成す「神々の東廻廊」だけではない。読者諸賢にはお馴染みのエッジ村やシルヴァの森、それらを擁する山もエルギンの西側に控えている。
ただ……草木染めの機密保持のため、そちらの山へはホルベック卿から進入非推奨の指示が出ている。エッジ村から草木染めの指導を受けている村々の周辺もこれに準ずるとされているため、ますます狩り場や採集場が減る事になった。
これでは若手冒険者の育成に支障が出るとあって、ノンヒュームの有志が付き添って、迂回路を通って山に連れて行っている有様なのだ。現時点ではそれで何とか回っているものの、好ましくない状況である事に変わりは無い。
せめて問題の場所周辺に、今もドラゴンの脅威が存在するのかどうか、それだけでも確認する事ができたら……と、密かに悩んでいたところへ、〝飛んで火に入る夏の虫〟宜しく飛び込んで来たのが、モルファンからの依頼であった。これを受けずして何とする。
しかも――である。
元々あの辺りは乾燥気味で植生も動物相も貧弱であったのが、近頃は水条件が少し改善したという噂があるのだ。それが真実だとすると、彼の地の価値はグンと跳ね上がる。あそこの岩山なら野営の場所としても好都合だ。何なら簡単な井戸を掘ってもいいではないか。
……と、クロウが聞いたら激怒しそうな思惑を、密かに抱いているギルドマスターなのであった。
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「まぁ調査の取っ掛かりとして、こっちで判ってるだけの事ぁ纏めておいた」
そう言って「調査結果」なる書き付けを見せてくれたが、それほど内容豊富なものではない。口で説明しても直ぐ終わりそうな分量である。
尤も逆に言えばそれは、ドラゴンによる被害が――少なくともここ十年ほどは――極めて少ないという事の表れであり、モルファンとしては喜ぶべき事であろう。エルギンの冒険者ギルドとしても、ドラゴンの脅威が無くなるか、少なくともその出現を予測できるなら、クレヴァスを通る道が利用できる訳で、歓迎すべき展開には違いない。
ただし、それに影を投げかけている要素が幾つかあるのもまた事実であった。
「さっきも言ったように、エルギン冒険者ギルドで把握してる事実としては、三年ほど前の怪音と、コーツ爺さんがドラゴンに追っかけ廻された件がある。
「コーツの爺さん、何かあの場所に未練でもあったのか、その後も様子を見に行こうとしたらしいんだがな」
「……何かあったのか?」
「何かあったってぇか……得体の知れねぇ悪寒がしたとかで、諦めたそうだ」
「悪寒ねぇ……」
――悪寒の正体はシャノアたちによる闇魔法である。
往生際悪くもクレヴァスを再度訪れようとしていたコーツ老人が、クレヴァスの哨戒線に引っ掛かったのを、再度のドラゴン投入は騒ぎが大きくなり過ぎるとして、クロウが闇魔法による威嚇を命じたのだ。
それが功を奏して得体の知れぬ悪寒と不安に襲われたコーツ老人と驢馬のボッツは直ちにそこから撤退し、以後はクレヴァス周辺に近付かなくなっていた。クロウとしては万々歳の成果である……これだけ見れば。
「あとは……ちっとこじつけ臭ぇんだがな。こっから少し離れたモローって町の傍で、どデカい魔石が見つかった事があんのよ」
「「「「どデカい魔石」」」」
……言うまでも無く、クロウが不注意から御目見得させる羽目になった手製の魔石である。入手場所を問われたクロウが苦し紛れに〝モローの傍で拾った〟と言い置いて逃げ去ったあの一件が、今以て後を引いているのであった。
「で、その魔石がな、ひょっとしてドラゴンに関係してるんじゃねぇか……なんて事を言うやつらがいてな」
「「「「………………」」」」
「悪い事にそれを拾ったなぁ旅の者らしくってな、その魔石を持ったまま行方を晦ましちまったそうだ。で、真偽の確認ってやつができてねぇ。なもんで、この噂を確かめる事も打ち消す事もできねぇって訳だ」
単に現地を見て来ればいいだけと思っていたが、存外に根の深そうな状況に、モルファンから派遣されたアイハブとユーハブの二人組は、内心で頭を抱えるのであった。




