八話 夜の闇に乗じた動乱と告白
神殿の裏庭へ続く道を急ぐ途中、美しい銀色の毛並みの獣が視界の隅に入ったと思った途端、鳩尾に強烈な一撃を食らい、気を失っていた。毒の類ではないと考える余裕もなくて。
「おい、大丈夫か? 生きてるな?」
鞘の先で頭を小突かれて、ひどい頭痛に顔をしかめながら瞼を開くと、カールの赤毛が目に入った。カールは無傷らしい。らしいと付いてしまうのはディルクルムがまだ意識を完全に取り戻していないからだ。
「あぁ、なんとか生きている。あれは誰だったんだ? 俺には銀色の獣のような何かとしか見えなかったが… 銀色の毛並みにアメジストのような目をしていて、すさまじい美貌の… 人間の、男だったのか?」
「あれがお前の狩らなきゃならねえ相手だよ。あんな荒事ができるとは思わなかったけどな! 計画が大きく狂っちまったぜ」
そう言いながら手を差し伸べてくれる。その手を借りて立ち上がると、自分が丁寧にも木陰に寝かされていたことに気付く。日差しに負けるような脆弱さはないが、理由なく気絶させたお詫びかもしれない。
「もう一度言ってくれないか? 俺の狩らねばならないとはどういう…?」
「そんなコテンパンにやられちまったのかよ! しっかりしやがれ!」
そう言いながらハーフボトルのワインを差し出す。どういった経緯で持ち歩いていたのかは訊かない方が良いのかもしれないが、礼を言いながら受け取ってコルクを引き抜き、一気に呷る。
辛口の赤ワインはよく冷えていて、ディルクルムのぼんやりした思考を研ぎ澄ませてくれた。それと同時に理解する。狩らねばならないという言葉の意味を。
「あれが!? ソラーレ帝国の…!!」
思わず大声を出しそうになって、ギリギリの所で声を潜める。驚かされたなんてものではなかった。
どうしてディルクルムを気絶させようとしたのかは知らないが、剣の腕は護衛騎士の中でトップクラスのディルクルムを一撃で気絶させたのだ。相当の手練れだろう。
カールにもそれは分かったのだろう。苦い顔で赤毛をガシガシ搔きながら、
「そうだよ。顔をどこまで見たか知らねえけどな。気を付けろよ。二度目には首を狩られてるかもしれねえぜ。お前がな」
とチラリとディルクルムを見下ろしつつ告げた。
「あんたの剣は確かに優れている。だけどな、実戦的じゃない。敵は常に前にいると信じて疑わない。だから、一撃でやられるのさ。前後左右全部に注意を払わないと生きていけない世界ってのは実在してるんだぜ」
と皮肉交じりに続けて語る。プライドを傷つけられた悔しさに唇を噛み締めはしたが、その通りなので何も言い返せなかった。教科書通りに剣を学び、同じ護衛騎士や警備兵しか相手にしたことはない。
実戦訓練といってもチームプレイを重んじた形式的なものでしかなくて。そんなディルクルムの剣の腕など、魔の森を抜けたことのあるカールからすれば、児戯に等しいのだろう。
「で? 諦めるのか?」
「いいや… いいや、諦めることはしない。ローザ・アルバ姫をあんな恐ろしい男に渡すわけにはいかない。今日の深夜、改めて決行する」
思い出すだけで恐ろしいと思う。だが、勝たねばならない。そうでなければローザ・アルバ姫はソラーレ帝国へ連れていかれてしまう。カールはなにを思っているんだろう。
「了解。今度こそ後ろを取られるんじゃねえぜ」
と呆れ交じりに告げた。その顔を見上げて、後ろ盾とは誰なのかと考えた。訊くだけ無駄かもしれないが、悪い予感がしてならないからだ。
「お前さんくらいの腕なら魔の森以外は安全に抜けられるだろうさ。ウェール王国を出たら、ソラーレを避けてアウローラ王国を目指せ。ローザ・アルバ姫様が逆に地味に見える世界が待ってるぜ」
「知っている。アウローラ王国に人間は一人もいない。そこでローザ姫を休ませたら、遠い北のオルトスを目指すつもりだ」
「ま、無難だな。俺一人なら魔の森を一直線に抜けて、オルトスを目指すが、そういうわけにもいかないだろ」
その言葉に頷く。それまで護衛騎士として身を立てることばかり考えて生きてきた。成り上がることさえできれば、ローザ姫の傍らに立てる日が来るかもしれないと考えていたからだ。…幼い少年の頃からの夢だ。
その上、神殿を出ることのできないローザが心を許しているのはディルクルム一人。その特異な地位に溺れ、満足して… だが、政略結婚の道具として嫁がされてしまう日が迫っている。
それで民の生活が潤うとしても、ソラーレ帝国という強大な後ろ盾が得られるとしても、道具にしたくないから。…愛というなら、これがそうかもしれない。奪いたいという獣じみた衝動が伴っているとしても。
◆
「ローザ様、婚姻の儀が近付いておりますので、緊張しているだろうとは思いますが…」
「いいえ、大丈夫よ。レナート陛下は友人のような関係から始めようとおっしゃってくださっているのだし、今は信じることにするわ」
気づかってくれる侍女に笑みを浮かべつつ返す。侍女はそんな私にどれだけ安堵したのだろう。
「それは良かった。…もしも眠れないようでしたら、いつでもハーブティーをお命じ下さい。支度はしてありますので」
と深く礼をして寝室を出て行った。そんな侍女を見送ってから、寝室の明かりを落とし、ベッドへ身を横たえる。
暗くなった寝室で、レナート陛下の言葉を思い出しながら微睡む。普段よりも心は穏やかでどこか楽しい気分だった。異性というのを全く知らずに育てられた私は、異性の体つきの違いさえ知らない。
それでも王族の一員である以上、民の為にも床入りなるものを無事に果たさなければいけないとどこかで重く考えていたのかもしれない。だけれど…
レナート陛下は友達から始めようと言ってくれた。その言葉がどれほど私を安心させてくれたか、レナート陛下はきっと知らないだろう。
今はまだ恋をするとは何なのかを知らない。異性と惹かれあうとはなんなのか? どんな感情なのかさえ知らない。そんな私にレナート陛下は歩み寄ってくれるつもりらしい。
恐らくは私の心を手にしてしまうつもりで、その自信もあるのだろう。自由奔放なだけなら一代で巨大帝国を築き上げることなどできないはずだから。…一体、お幾つなのか? ひどく若そうには見えたけれど。
今度会った時に訊いてみるべきか? 意識が落ちる寸前でそう考えた時、寝室の外で激しい剣戟の音が響いてくる。同時に護衛騎士と警備兵の怒鳴り散らす声も。
「ローザ様! ご無事ですか!?」
扉を乱暴に開けるなり、騎士隊長が息を乱して現れる。その手には剣が握られている。私は動揺を押し隠して、
「なにがあったの?」
と短く問いかけた。騎士隊長は息を乱したままで答えようとした。瞬間、ガン!!と鈍い音が響き、騎士隊長が倒れる。
後ろから現れたのは黒一色の服を着たディルクルムで、後ろに夜の闇でも隠し切れない赤い髪の男が控えていた。
「ディルクルム…! どうして!?」
「細かい説明は後だ。今は俺に黙って奪われてくれ!」
息を乱しながら言うと、私を片腕で担ぎ上げてしまう。どうして? なぜ? 意味が分からないまま、彼から血の匂いがしているのが判った。
「急げよ! もうすぐ夜が明けちまうぜ」
「分かっている!! ローザ姫! あなたは政治の道具になる必要なんかないんだ! この俺と生きていく道だってあるんだぞ!!」
そんなことを言いながら神殿の私も通ったことのない獣道を抜けていく。神殿の裏側は深い森になっていて、一層、暗闇が深くなった。
「ここからは馬になる。乗ったことはないだろうが大丈夫だ。俺が日頃から訓練している馬だからな」
そう言いながら私を馬に乗せ、自分もまたがる。本当に浚うつもりだったんだと分かり、ディルクルム・ラスヴェートという別の人間に浚われているんじゃないかと思った。…無駄がなくて、だけれど、強引すぎて。
「森を抜ければ、国境までそんなに遠くはない。夜明けまでに国を出ることができる。あなたは自由になれるんだ!!」
「ま、待ってください。どうして!? 失敗すればあなたの命はないかもしれないのに!! どうしてこんな恐ろしいことをするのですか!?」
「まだ分からないのか!? 俺はずっとあなたが好きだった。聖女と護衛騎士じゃない! 男と女として向き合えたらと願っていたんだ!!」
必死で馬を走らせながら声を荒げるディルクルムは、もう私の知っている幼馴染のディルクルムじゃない気がして、怖いと感じた。男と女を超えたなにかがあると信じていたのに…
こんな時、レナート陛下ならどうするだろう? こんな手荒いことをするだろうか?
場違いにも、私はこんなことを考えてしまっていた。どうして? 何も分からないまま……
お待たせいたしました( ^^) _旦~~ ディルクルムくんに頑張ってもらいました。とはいえ、もっとこう…スピード感欲しいですね(-ω-;)いえ、無理を言うものではありませんね。最後までお付き合いくだされば幸いです(`・ω・´)ゞ




