五話 ディルクルムの密かな決意とカール・ゼルトナの思惑
ローザ・アルバ姫の見合いの話は、ディルクルムを驚かすにはこの上なくうってつけだった。
「嘘をつくな!! どうして聖女であるローザ・アルバ姫が隣国の皇帝なんかとお見合いしなければいけないんだ!? 冗談にもほどがあるぞ!」
ローザ・アルバ姫とソラーレ帝国皇帝のお見合いがこの上なく上手くいっていると、そう知らせてくれた同僚の護衛騎士に怒鳴りつけてしまっていた。だが、驚いているのは他の騎士達も同じなんだろう。
ディルクルムの大声で沢山の護衛騎士達が集まりだす。口々に言いだすのはローザ・アルバ姫のお見合いの話だ。今は訓練の最中で短い休憩を与えられていた。当然、上官はいない。だから、出来る噂話だった。
「嘘なんかじゃないさ。俺だって残念に思ってるんだ。あの神聖な白バラ姫様がソラーレの皇帝なんかの妻になってしまわれるなんてな」
「陛下はこれで安心しているだろうな。我が国の軍事力ではソラーレ帝国に勝てないのは明々白々。火を見るよりも明らかだ。聖女とはいえ、王位継承権を持たない姫を差し出すことで自治を保てるなら安いってさ」
護衛騎士達の言葉はどこか他人事に聞こえて。皆、ローザ姫の美貌を遠巻きからでも眺めていたいだけで、彼女の人生が皇帝といえど他国の男によってめちゃくちゃにされる可能性など欠片も考えていない。
「だが… 国の安寧を祈り続ける聖女の席が空白になってしまうぞ…!! ローザ・アルバ姫はこのウェール王国にいなくてはならないはずだ!!」
思い浮かぶのは白地に金で装飾されたドレス姿の彼女で。幼い頃から城で暮らすことを許されず、遠く離れた神殿で乳母と沢山の侍女に囲まれて育った。
どこか浮かない顔をしていることの多い彼女を慰めるだけで幸せだった。妻にしたいとか、その頬に触れてみたいと思うこともできなくて。穏やかな日々の中、諸国外遊や神話の中の冒険譚を聞かせるだけで微笑んでくれた。…それだけで幸せだった。
聖女に触れることができるのは王侯貴族の娘か、生涯を通して未婚を誓った娘のみ。
それほどに尊く、また特別な存在だったから。そんな神聖にも近い存在のローザ・アルバ姫が一人の女として、道具にされる日が来るなど、どうして想像できただろう。
「聖女様っていってもお飾り… そういう事だって。あまり気にすることもないさ。寧ろ、大国ソラーレと縁戚関係になっちまった方が幸せだって政治的判断があったんだろ」
「食料自給率の低い我が国じゃ、信仰より目の前のパイの方が大事だってことだ。それもソラーレって特大のパイが待ってるんじゃ、陛下も反対することはできないぜ。どんなパイが贈られてくるのかはまだ分からんけどな」
「…ローザ・アルバ姫を嫁がせる見返りが食糧支援ということか…! そんなものの為に聖女を差し出すなど、王家も堕ちたものだな!!」
ウェール王国の民とは思えないことを吐き捨ててしまう。…だが、内心では別のことを思っていた。ローザ・アルバ姫はウェール王国の守護神であるペルセフォネの現身などではなく、ただ一人の女でしかない。
ならば、それなら… 嫁ぐ相手は男でありさえすれば、別の男でもいいのではないか? という事。
そう、ローザ姫にも選ぶ権利はあり、ソラーレ帝国皇帝にも選ぶ権利がある。そして、ディルクルム・ラスヴェートにもあるのだ。ならば…!!
「俺は、諦めないからな…!!」
とはいえ、ディルクルム・ラスヴェートは見た目がよく剣に秀でている以外は爵位さえ与えられていない下級騎士だ。選べる策は幾つもない。それでも…
どんな容姿をしているのかさえ分かっていない大国の皇帝なぞに嫁ぐくらいなら、奪われてしまった方がいいかもしれない。
ずっと傍にいたのだから。月に幾度かでも大事な時間を交わしてきたのだから。誰よりも彼女に触れられる距離にいたのだから。
「お前が諦めなくたって、最早どうにもならないぜ。ディル」
「そうそう。今度、良い女を紹介してやるからさ。ローザ姫様ほどでなくても可愛い女はいっぱいいるんだぜ」
慰めの言葉をかけてくれる同僚たちの言葉も耳に入らない。だが、ディルクルムの思考は研ぎ澄まされていて、今までにないほど落ち着いていた。
ディルクルム・ラスヴェートの心は常にローザ・アルバ姫と共にある。そう決めていたから。それを邪魔するというなら…… その首級を刈り取るだけ。そして、ただ一人の女でしかないローザ・アルバ姫を妻に迎えて…
誰にも明かさないまま、ディルクルムは心に誓っていた。ペルセフォネ神ではなく、彼女を浚ってまで妻にした冥王ハデスに……
◆
結局、どこへ行ってもスラム街というのは存在するんだと、カール・ゼルトナはどこか退屈しながら考えていた。
「あら、素敵な赤毛ね。旅の方かしら?」
「まあ、そんな所かもな。ちょっと暇してんだ」
しなだれかかってくる娼婦の髪は単一民族国家だけあって、流れるような黒髪だ。そんな女の髪を梳きながら腰に腕を回してやると、
「本当は高いんだけれど… 珍しい赤毛にちなんで安くしておくわよ。一晩に銀貨一枚でいいわ」
まるで猛禽類のように黒い瞳を煌めかせてカールを見上げながら言った。生臭いまでに漂う色香としなだれかかってくる仕草… どこの国でもこういった女達はいるんだと、どこか安堵してしまうのはなぜだろう。
「いいぜ。今日はあんたに決めてやるよ。今日、この国に来たばかりなんだ。国の状況を教えてほしい。代わりに銀貨二枚払うからよ」
「あははっ! 気前いいじゃない。いいわよ。丁度、仲間が素敵な騎士様を拾ったのでむしゃくしゃしてたのよ」
そう言いながら宿屋を兼ねたバーへ連れていく。娼婦達の集うバーに入ると、確かにどこか気品の漂う男がカウンター席に座っていた。出されたナッツとウィスキーに手を付けることもない。
「ほら、あの男よ。なんでも城で勤めているんだとか… 爵位はないらしいけれど、どうも訳ありっぽいのよね。女を買うけどイイ事してくれなくて。これじゃ欲求不満になっちゃうわ」
「へえ、ちょっと話をしていいかい? 顔見知りかもしれないんでな」
「いいけど、ちゃんとあたしを買ってよね! 北にある故郷の村に仕送りしなきゃいけないのよ」
どこまで本当か分かったものではないが、そんなことを明かす娼婦の額に触れるだけのキスをして、カールは青年騎士の隣に座った。娼婦はその仕草に満足して、頬へキスと共に紙切れをカールに握らせて階段を上がっていった。
「何か用か? 見た所、冒険者のようには見えないが」
チラリと見上げる仕草だけで分かる。精悍な美貌と体つきをしていて、ただの冒険者ではありえない気品が漂っている。
「そいつぁお互い様だろ。少し興味が湧いただけさ。あまり時間もないが、話がしたい」
バーカウンターの奥にいる老人に適当な酒を頼む。男が選んだのは店で最高級のウィスキーで、銀貨一枚もする。それより幾らか安いラム酒を選んだ。
「腕は立つようだな。腰に佩いている剣が使い込まれている」
「そいつもお互い様だな。自慢じゃねえが、俺は魔の森を単独で切り抜けたことがある。ソラーレ帝国とアウローラ王国を隔てる魔の森をな!」
嘘ではない。少し違うのは今よりずっと若く最盛期を迎えていた頃で、今同じことができるかというと、加齢に伴う体力の低下で自信がない事だが… 昔は無鉄砲で命知らずな冒険ばかりしていたから。
「そうだったのか。…俺はこの国の護衛騎士でしかない。赤ん坊の頃、神殿の前へ捨てられていた。夜明け前、暁の頃だったそうだ」
「それで? 何をするんだい? 暁の騎士様よ」
「ローザ・アルバ姫をこの手にしたい。誰が相手であろうと構わない」
途端に笑いがこみあげる。無理なことだからだ。だが、暁の騎士とあだ名された男は本気だ。その証拠に黒い目に刃そのもののような力が宿っている。
「大国を相手にする覚悟はあるかい?」
「なければ言わない。俺はローザをソラーレに渡したくないんだ」
恋でもしているのか? そう訊きたい気持ちを抑えこむ。恐らく事実だからで、最も神聖視しているはずだからだ。神聖視しているものほど部外者の目に曝したくはなく、大事に守っていたいはずだから。
「いいぜ! 丁度退屈してんだ。それに強力な後ろ盾もある。力になってやるよ」
そう言いながら左手を差し出す。その手は自分でも自覚できるほどゴツゴツとしていて、ひどく荒れていて… だけれど、握り返した騎士の手も同じほどに荒れてゴツゴツしていた。
「俺の名はディル… 今はまだそれしか名乗れない。暁のディルだ」
「俺はカールだ。赤毛のカールと名乗っておくかな」
そう名乗りあいながら、努力家の手だと実感し、剣の腕に関してはカールに負けないだろうと推測する。
「そんじゃ、明日の夜、またこのバーで待ってるぜ。俺は女を待たせてるんでな!」
「そうだったな。俺は城へ帰る。また明晩に会おう。カール」
握手をほどきながら言うと、青年は隣に座っていた娼婦に気前よく銀貨二枚を渡してバーを出ていった。娼婦は不満げにしながらも受け取って…
「城へ帰る… か。お育ちがよすぎるぜ」
思わず苦笑いしてしまう。これだけでフルネームを名乗ったのと同じだからだ。
「銀髪皇帝の首級でもほしいってのかい? ディルクルム・ラスヴェート」
小さく呟いてラム酒の代金を支払うと、女の待つ二階へ上がっていった。ドアは幾つかあって、それぞれ違う花が浮き彫りされている。黒く染められたバラはたった一つで、おそらく女の源氏名だろう。
「待たせてくれるじゃない! あたし、悪い客をつかんだかしら?」
「あっはは! その分、朝まで楽しませてやるからよ」
「当然だわ。このあたしを買ったんだから」
女を抱き上げてベッドへ連れて行きながら、一方で推測を重ねる。
男の顔には見覚えがあった。名前は分からなかったが、アルム・マルティウスの専属騎士だったように思う。どうしてその大事な役目を抜けてまで神殿に通っているのか分からなかったが、これではっきりした。
理由は大したものじゃない。ローザ・アルバ姫に長く懸想していたと、そういう事なのだろう。…護衛騎士に取り立てられるほどの美貌と類まれなる剣の腕。だが、内実はただの青年というわけで。
「最高の夜になりそうだぜ…!」
女と唇を重ねる寸前で、二重の意味で囁いた。これから先がどうなるか? 楽しみで仕方なかった。
お待たせいたしました( ^^) _旦~~ ディルクルムくんとカール・ゼルトナさんのシーンでした。ローザさんの前では割と明るく見えましたが、仲間内では物静かな方でした。カールさんは熟練の冒険者として描いているので、その分だけディルくんの若さが際立っていたらいいなと思います。




