第16話 二人での旅立ち
「そういうことがあったんだよ」
マルタは、感情のない声で語り終えた。
言わせなくてもいいことを言わせてしまったのか。
セイラスは後悔したが、その言葉を飲み込む。
人の機微にまだ疎いセイラスにも、それは口にしてはいけないことだと思ったのだ。
その代わりに、こう伝えた。
「あなたを一人前の行商人にした、その方は素晴らしいと思う。今、そのおかげで助かっている人も多いと、同行させてもらって思った。できることなら、あなたの夫に会って話してみたかった。あなたの娘さんにもね」
「私もそう思います」
ノエルが静かに続ける。
「冬の中、足りなくなっていく食べ物や薪を心細く思いながら過ごす、つらい冬を覚えています。そんなときに、食べ物を持ってきてくれる人がいたら……そんなことをいつも思っていました」
窓の外では、夕暮れの光が街並みを淡く照らしている。
「マルタさんや旦那さんがしていた。それによって救われている人は、とてもたくさんいます」
ノエルは、まっすぐマルタを見て言った。
「私のときにも来てほしかったくらいです」
夫のやっていたことは間違いではなかった。
そして、それを続けている私も間違っていない。
そうはっきりと、肯定された。
夫と娘を失ったことも、自分の中で整理がついていたつもりだった。
もう涙も枯れている。
そう思っていたマルタの目から、一筋の涙が落ちた。
マルタに成人の祝いをしてもらってから、一週間ほど経った頃。
セイラスたちは、これからは自分たちで自分たちの旅を始めることを、マルタに伝えた。
「そうか。行くんだな」
「はい」
成人したら、君たちの旅を始めるということは、あらかじめマルタには伝えてあった。
もともとの話は、常識を教えてもらうことだった。
それは、おおむね達成した。
マルタと一緒に旅を続けるという選択肢も頭をよぎったが、それは自分のやりたいこととは違うとセイラスは思っていた。
マルタは基本的に、何かが足りなくて困っている人に物を届けるために旅をしている。
これは、とても尊いことだ。
しかし、セイラスたちがやりたいのは、まだ見たことのないものを見る旅だ。
マルタのやりたいこととは、相容れないものだった。
「これからどうするつもりだい?」
「そうだな。まずは馬車が欲しいかな」
「ああ、確かにセイラスには必要だな」
セイラスはエーテルの保有量が少ないため、非常に体力がない。
一度、徒歩でどれだけ歩けるかを試したところ、三十分程度で力尽きた。
自分自身に失望した。
エーテルを吸収できないことは、もはや体質として諦め、セイラスは日々、筋力トレーニングに励んでいる。
本を読むだけだった屋敷での生活のときと比べれば、かなり引き締まった体になり、筋肉もついてきた。
しかし結局は、エーテル保有量が身体能力に直結するこの世界では、向上した体力は微々たるものだった。
「セイラス様が、とてもかっこよくなりました。それでいいのです」
ノエルからは、少し求めているところとは違う方向から褒められた。
結局、そういった理由で、歩いて旅をするという選択肢はない。
なので、当面は乗合馬車などを利用して移動し、いつかはちゃんとした馬車を手に入れたい。
「あとは、仲間」
セイラスは指を折りながら、必要なものを挙げていく。
「できれば交渉ができる人間がいい」
ようやく笑われない程度の常識を身につけたとはいえ、セイラスたちにはまだ、圧倒的に経験が不足している。
いつ、どこで、どんなふうに騙されるか分かったものではない。
「そういったところをカバーしてくれる仲間がいるといい、と考えていた」
「そうだね。そういう仲間はいた方がいい」
マルタはそう答えた。
やはり、セイラスたちにはまだ危なっかしさを感じているのだろう。
それから一週間かけて、しっかりと準備した。
別れを前に、荷物を確認し、必要なものを揃えていく。
旅立ちの日。
セイラスとノエルが最初にたどり着いたのは、王国から逃げて、最初にたどり着いた交易都市だった。
ここから北へ向かう、乗合馬車が出ている。
もう成人したため、未成年だからと業者に縛られることもない。
ハンターランクも、ローデンの口利きでBランクに上げてある。
マルタからもらった行商人の許可証もある。
行けるところは、たくさん増えた。
「とりあえずの目的地は決まってるのかい?」
「一応、ファクトリアには行きたいと思っている」
「工業都市か」
「そう。母の好きだったエーテル機械を作っている場所だ。浮く馬車の荷台もそこで作ってるらしいしな」
それと、マルタが持っていた魔物を感知する機械。それを作った人間は、エーテルを感知することができるのか―― さらには純粋に、科学というものが発展しているらしい、その街を見てみたい。
「へえ」
「後は、空中都市とか、水上都市とか、迷宮とか。いろんなものがあるらしいじゃないか」
「ああ、そうだね。確かにその辺は王国の東側で、行く機会がなかったね」
エルランド王国でのトラブルを懸念して、二人はこの一年半、王国内に入ることはなかった。
そのため、西側の街を重点的に回るしかなかった。
有名な街といえば、神聖都市などもあった。
大きく荘厳な建物を見ることはできたが、そこは、そこに住む人たちの聖地であり、観光気分で巡ることはできなかった。
「いろんなものを見てみたい」
やはり、それが一番だった。
セイラスとノエルが乗合馬車へ乗り込もうとしたところで、マルタが声をかける。
「セイラス」
「ん?」
「自分でも分かってるだろうが、あんたは頭は呆れるくらい良いが、ひ弱だ。いつどこで怪我するか分かったもんじゃない。気をつけるんだよ」
「分かってるよ」
「ノエル。あんたは強い。私じゃあ、もうあんたの強さの底すら見えない。ただ、一人でセイラスを守ろうとするなら、くれぐれも油断するんじゃないよ」
「はい」
マルタは二人を見つめる。
そして、聞こえない程度の声で、呟いた。
私のようには、なって欲しくないからな。
「じゃあ、元気でな」
「ああ。今までお世話になった」
「はい。元気で。今までありがとうございました」
二人を乗せて、乗合馬車が動き出す。
車輪が街道の石を踏み、ゆっくりと速度を上げていく。
マルタは、その場に立ったまま、遠ざかっていく馬車を見送った。
叶うことなら、夫と一緒に、娘の旅立ちをこうやって見送ってみたかった。
しかし、それは過ぎた夢。
二人は、決して娘の代わりなどではない。
誰かのためになる。
誰もやらなかったことを、やってくれるかもしれない。
そんな期待を持って、二人を見送った。
「頑張れよ。お前たちは自由だ。好きなところに行き、好きなように生きな」
マルタの声は、走り去る馬車の音とともに、風に流れて消えていった。
読んでいただきありがとうございます。
これで二章が終わりとなります。
ようやく放浪を始めます……
もし続きを読みたいと思っていただけましたら、★をいただけると励みになります。
ブックマークも、可能でしたらどうぞよろしくお願いします!




