第11話 人間世界の果て
その日は、ハンターギルドに泊まることになった。
二階にたくさんある部屋が宿泊施設となっており、ここに住んでいる者や来客が泊まることのできる部屋もあった。
全て一人部屋であったため、今は夕食を終え、セイラスは一人部屋で考え事をしていた。
今日あったことを思い返す。
ここは町とはいえ、どちらかといえば戦場に近い場所だ。
ハンターが狩りをするという意味では、狩場なのかもしれないが、今回の大鬼のようなイレギュラーがないとは限らない。
当然、普通の人間が生活していくのは難しいだろう。
窓の外はすでに暗く、町のあちこちに設置された街灯が、石造りの道をぼんやりと照らしている。
薄暗い部屋で、セイラスには何よりも気にしていることがあった。
心の奥底に引っかかる、しこりのようなもの。
それは曖昧なようでいながら、無視できない重みがあった。
その気持ちを言語化しようと考えていると、ドアがそっと開く。
無言で開いたドアから、ノエルが入ってきた。
ノックをしなかったのは、セイラスの指示だ。
セイラスが無言でノエルに目配せすると、ノエルが頷き、力を使う。
すると、周囲にあったエーテルがセイラスの部屋の壁や天井に張り付き、膜のようなものを作った。
音を外に漏らさないためのものだ。
ちなみに、音を完全に遮断するわけではない。
以前この力を試した時に、音を完全に遮断しようとしたところ、息苦しくなったため、危険だと判断したからだ。
完全に密封してしまうのは、やはり危ないらしい。
部屋を覆う幕が完成したのを確認し、セイラスは話しかける。
「ノエル、ありがとう。それじゃあ、頼んだように行ってみたいんだけど、大丈夫かい?」
「……本当に行かれるのですか?」
おそらく、マルタに言われたことを気にしているのだろう。
守りたいものがあるのなら、自分が守るから大丈夫ではなく、危ないところに近づけないという、あれだ。
しかし、それで行動を制限されてしまうのは困る。
セイラスは、もっと多くのものを見てみたいのだ。
「行く。どうしても行きたいんだ」
ノエルと二人だけで話すとき、セイラスは油断するのか普段の取り繕った話し方ではなく、昔のような口調で話すことがある。
ノエルだけは特別だという証明のようで、少し嬉しい。
そして、当然のようにノエルは断らない。
「分かりました。では、そのように」
そうして、セイラスとノエルは、こっそりとギルドの外へ出ることにした。
街の中では街灯がつき、夜の見張りも立っている。
見張り台にも夜番が立ち、西の魔物の生息圏からの脅威を警戒し続けている。
この状態で、町からこっそり出て、また戻ってくるのは、普通に考えれば難しいように思える。
それでも、セイラスにはしっかりとした算段があった。
ただし、全てノエル頼みではあるが。
まずは今、部屋に張り巡らせている、音が聞こえないようにする力を、自分たちの周りを覆うようにしてもらう。
それに加えて、自分たちの周りを暗くし、光が通らないようにする。
これは本来、自分を透明にして見えなくする異能を再現しようとして失敗したものだ。
どうしても自分たちを透明にすることはうまくいかず、外から見ると黒い、ぼやっとした塊になってしまうのだ。
ただし、これは夜の場合だと、暗がりに紛れるには結構便利な能力だった。
その二つの力をまとい、夜の闇に紛れながら、二人はギルドの支部を出た。
そのまま西側ではなく、東側の方へ向かう。
西側が魔物の生息圏のため、見張りは西側に偏っているためだ。
案の定、東側の見張りは薄く、目の届かないところがたくさんある。
見張りの目をかいくぐり、東側の壁に近づくと、ノエルはセイラスを抱きかかえて、一息に壁を飛び越えた。
石造りの壁の向こうには、町の明かりが届かない暗闇が広がっている。
そのまま音と姿を隠しながら、街を大きく迂回していく。
「よし、ひとまずは抜け出られた」
「はい」
抱きかかえられたままでは恥ずかしいので、一旦下ろしてもらい、ノエルに背負ってもらう。
「背負った方がいいのですか? どちらでも、特に変わらないかと思いますが」
むしろセイラスを抱き抱えていた方が良かったというように、ノエルが言う。
「まあ、ちょっと色々ね」
セイラスは言葉を濁す。
ノエルに抱きかかえられると、何と言うか、その……当たるのだ。
セイラスも十三歳としては平均くらいには背が伸びたが、ノエルも成長している。
どちらかといえば、ノエルの方が大人びている。
具体的に言うと、スタイルがいいのだ。
そんなわけで少し気恥ずかしくなったセイラスは、ノエルに背負われることにした。
これはこれで、全然かっこよくはないのだが。
町を迂回して、本物の生息圏である川の向こうを目指していたところ、セイラスの目に変わったものが映った。
「ノエル、止まって」
馬よりも早い速度でセイラスを背負って走っていたノエルだが、言われた瞬間にピタリと止まる。
何らかの力を使ってくれたのだろう、セイラスは急停止の衝撃を感じなかった。
「どうかしましたか?」
理由も聞く前に、言われた通りに止まったノエルが質問してくる。
「何と言うか、何かあるとしか言えないんだけど…… もうちょっとゆっくり前に進んでくれる?」
ノエルは言われた通り、ゆっくり前に進んでいく。
そうすると、セイラスは自分の目に映ったものが何なのか、ようやく分かってくる。
「長く、何かロープみたいなのが張られているね。しかもエーテルが巡っている。何かしらの罠なのかもしれない。触らないように気をつけて」
暗闇の中、地面から少し浮いた細い線が、森の方へ向かって長く伸びている。
月明かりではほとんど見えないが、セイラスにはその線を巡るエーテルが淡く浮かび上がって見えていた。
考えてみると、ここは人間たちと魔物たちの生息圏との境目だ。
壁を全て作るのは現実的ではないとはいえ、何もなければ魔物は入り込み放題。
侵入させないために、何らかの方法が取られていると考えていたが、おそらくこれがそうなのだろう。
警報が鳴るか、ダメージを受けるか。
何が起きるかは分からないが、触らないに越したことはない。
言われた通り、ノエルはセイラスを背負ったまま、ロープに触れないよう飛び越えた。
「こんなものがあったのですね。気づきませんでした」
ノエルは基本的に、敵意のある人間や魔物などを警戒する方向に意識を向けている。
そのため、こういう無機物には気づきにくいのだろう。
「真夜中にこんなロープがあったら、そうそう気づけない。気にすることはないよ」
セイラスだって、ロープにエーテルが巡っていたからこそ見つけられたのだ。
「まあ、それはいいや。そろそろ川だ」
「はい」
二人の前方から、川の流れる音が聞こえてくる。
水面には、月明かりが揺れていた。
「川の渡り方は考えてある」
「どうするのですか?」
「橋を作ろう」
ノエルが子供の時から無意識に作っていた氷。
それをイメージして、その氷でできた橋を作ればいい。
子供の頃から無意識にできていたものだ。
ノエルはあっという間に、薄い月明かりに照らされた透明な橋を作りあげた。
そこそこ幅のある川だったが、橋は向こう岸までしっかりと伸びている。
二人はその橋を渡っていく。
川を渡り終えると、そこには人の手が入っていない森が広がっていた。
木々は密集し、月明かりさえもその奥までは届かない。
「ここから先は、人間の世界ではない。魔物の世界ってことか……」
それを認識した瞬間。
セイラスの心の中にあったしこりのようなもの。
その黒い何かが、形を持って表に出た。
「狭い」
「え? 何ですか?」
突然、雰囲気を変えて話し始めたセイラスに驚き、ノエルは聞く。
「狭すぎる。狭すぎると思わないか、ノエル」
「……」
言われていることが、とっさに理解できず、ノエルは黙る。
セイラスは構わず話し続ける。
「三日だよ」
「……」
「屋敷を出て三日。あの狭い屋敷を出て、広い世界中を回るんだと俺は思っていた。でも、三日だ」
ノエルは口を挟めない。
「マルタの馬車が速いとはいえ、たった三日で人間世界の果てに来た。いくらなんでも、狭すぎないか」
憤懣か失望か。セイラスが表す珍しい感情に、ノエルは動揺し、何も言えない。
「あの狭い屋敷を出て、どこまでも自由に行けると思った。そう、それなのに、これ以上進めない」
胸の内を、我慢しきれなかったそれを、セイラスは吐き出す。
「こいつらか」
魔物達の生息圏。
そこにいる、自分にとって邪魔な何か。
セイラスは月明かりが照らす薄暗い森を、仄暗い目で見つめる。
こいつらがいるから、俺の世界は狭いのか?




