第3話 常識を教わるということ
翌朝、宿屋の食堂に向かい、3人で朝食をとる。
朝食は、平たく切ったパンに肉や野菜を挟んだものだった。
先ほどマルタが「羊肉サンドを3つ」と注文していたので、これがそうなのだろう。
そのまま手に持ってかじりつく。
パンと野菜、あと塩気のある肉の味が混ざり、とても食べやすかった。
「これはいいな」
「はい、美味しいですね」
ノエルもこくこくと頷いている。
「そうだろ、そうだろ」
これを勧めたマルタは得意気だ。
パンは表面が軽く焼かれており、挟まれた羊肉からは香ばしい匂いがする。
パンで何かを挟むという料理は、最近流行っているらしい。
食べやすく、持ち運びも簡単なので、昼食に買っていく者も多いそうだ。
「このパンに挟む、サンドっていう食べ方はよく見るようになったが、ここの羊肉サンドが一番好きなんだ」
そういえば、この「赤い羊亭」。
あの店長らしき人物の頭かと思えば、羊肉の料理が名物らしい。
食堂の壁には羊を描いた看板が掛けられ、厨房の方からは肉を焼く音と香ばしい匂いが漂っている。
どちらが先かは分からないが、見た目だけでの決めつけは良くない。
セイラスはまた一つ大切なことを学んだ。
食べ終わり、早速セイラスはマルタに本題を話す。
「お願いがある。しばらくの間、フリではなく、本当に俺たちを雇ってほしい。世の中の常識を学びたいんだ」
昨日ノエルと相談した時に、好意にすがって、ただ教えてもらうだけではなく、ちゃんと働くべきだろうとお互いに納得した。
特にセイラスは、今までかしずかれる立場であったため、働く、ということをしたことがない。
その点では、ある程度働いてお金を稼ぐということを、屋敷に来てからも一応使用人として働き報酬を得ていたノエルよりも、セイラスの方が深刻な問題だと言える。
マルタは面白そうに二人を見た。
もともと、マルタはこのまま二人を放り出すことに不安を覚えていた。
お金は、セイラスが持っている。
戦う力は、ノエルが持っていそうだ。
しかし、世の中の常識を知らなければ、いつ、どんな落とし穴にはまってしまうか分からない。
正直言って、この二人は将来有望だと思っている。
セイラスは偉そうな口調が癇に障る時もあるが、頭の回転はすごく速い。理解も早い。
ノエルは常にセイラスの後ろにいるイメージだが、周りを見て、色々なものを学ぼうとしている姿勢が見える。
ちょっと変わっている二人だが、この二人がどうなるのか楽しみであることも間違いない。
「いいよ。じゃあ、そうしようか」
熟考していたことを見せずに、簡単なことのようにマルタは答えた。
「助かる。よろしく頼む」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
二人がお礼を言う。
マルタは微笑んで頷く。
やはりこの二人はまっとうだ。
できればこのまま、まっすぐな大人になって欲しい。
恥ずかしくて言えないが、そう思っていた。
朝の食堂には、他の宿泊客の姿も増え始めていた。
食器を片付ける店員が忙しそうに行き交っている。
一日が始まる。
「さて、二人をこれから雇うとして、常識を教えるっていうのは、どうしたもんかね」
「……」
常識というのは、誰もが普通に知っていること。皆が当たり前だと思っていること。
その誰もが当たり前だと思っていることを、一つ一つ説明するということは無理だ。
そもそも、自分が当たり前だと思っているからこそ、いちいちそれを説明はしない。できない。
結局は日々の生活を一緒にして、行商人としての生活、そして一人の人間としての生活を見せて、徐々に覚えていってもらうしかないだろう。
「というわけで、どうだい?」
マルタが言うと、セイラスとノエルは頷いた。
「じゃあ、後は仕事と報酬の話だね」
商人の顔になって、マルタは言う。
「まあ、正直な話、あんたたち二人に商人の手伝いができるとは考えていない」
それはそうだろう。
自分たちのような世間知らず、常識知らずが、海千山千の商人と商談ができるなど、自惚れてはいない。
「となるとひとまず、セイラスには簡単な荷物の積み下ろし。ノエルには、そうだな。護衛の代わりでもやってもらおうか」
ノエルを完全に戦力として見て、マルタは提案してきた。
セイラスは少し考え込む。
ノエルをちらっと見て、頷くのを確認してから、マルタへ向き直す。
「ノエルを護衛として、というのは了解だ。多分、期待に応えられると思う。ただ、俺なんだが……」
一呼吸置く。
「荷物の積み下ろしの仕事で役に立てるとは思えない」
マルタはピクリと眉を動かす。
「……ここに来て、肉体労働が嫌だなんて言うんじゃないだろうね」
「いや、そうじゃない。肉体労働が好きだとは言わないが、必要であればやらなければいけないことは分かっている」
「なら?」
「問題は、俺が荷物を持ち上げられないんだ」
「は?」
マルタは一瞬、理解できず声を上げる。
「話すよりも見てもらった方が早いかな」
そう言って、セイラスが今自分が座っている木の椅子から立ち上がり、その椅子を持ち上げようとした。
「むむむ……」
思いっきり力を込める。
手を抜いているわけではない。
しかし、このくらいの子供であれば持ち上げられて当然の椅子は、床から少し浮いただけで、それ以上持ち上がらなかった。
木製の椅子の脚が床からわずかに離れ、すぐに元の位置へ戻る。
「……ふざけてるわけじゃないよね。それがお前の全力か」
「……ああ。全力だ」
そう言って、また椅子に座り直す。
ちょっと疲れた。
それを見て、マルタは悩む。
「あんまり踏み込みたくなかったんだが……セイラス。あんたの『訳あり』っていうのは、これのことかい?」
セイラスは少し考えてから答える。
「『訳あり』自体は、これのことじゃない。ただ、その副産物の可能性はあるかな」
濁して言う。
詳しい事情は知らない方がお互いのためだろう。
「そうか。まあ、そういう制約があるなら仕方ない」
ノエルがセイラスに対して非常に過保護に見えたが、こういう事情があるのであれば、当然なのかもしれない。
「じゃあ、普通に私に金を払って、客ってことにするかい?」
「……いや、できれば、それはしたくない」
それでは、物を見る機会、人と会う機会が減ってしまう。
セイラスは提案する。
「俺を、あんたの商談の場に連れて行ってくれないか。最初は邪魔になることは理解しているが、多分、そのうちに役に立てることも出てくると思う」
「……それは、どういう意味だ?」
少し圧のある口調で、マルタが問う。
当然だ。
ただの手伝いの予定が、自分の仕事の重要な部分に関わろうとするのだ。
しかし、セイラスも何の計画なく提案したわけではない。
「今日、市場に行ってみたい。そこで、ちょっと自分ができることを見せたいと思う」
これからの行商にこの二人を連れていくとなると、必要なものがたくさんある。
市場には行こうと考えていた。
「分かった。それを見せてもらおう。頼む仕事と報酬の話はそれからだ」
マルタがそう答えた。




