第2話 初めての宿屋
セイラスたちもお腹が空いていたので、素直にマルタに従って食堂へ行く。
宿の食堂は賑わっていた。
広い部屋には木製の机と椅子がいくつも並び、壁際には酒や食器が置かれている。
どうやら宿泊者以外でも食べられるようになっているらしい。
そこら中から、酒で気が大きくなった人たちの陽気な笑い声が聞こえてくる。
「これが食堂……いや、酒場ってやつなのか?」
セイラスが呟く。
「まあ、そんなところだね。食堂でもあり、酒も飲める。あ、ちなみに私も酒は飲むからね。一応、あんたたちはやめときな」
未成年者、子供がお酒を飲むことは、この町では特に禁止されていない。
ちなみに王国でも同じであったが、セイラスとノエルは興味もなかったので知らなかった。
ただ、子供がお酒を飲むと大きくなれなくなる、と一部では信じられており、それを気にしてマルタはお酒を禁止と言ったのだろう。
「さて、一応聞くが、注文の仕方は分かるか?」
「当然分からない」
セイラスは開き直って言う。
横でノエルも大きく頷いた。
予想はついてはいたが、あまりの堂々とした態度に、マルタは苦笑する。
「ちょっと壁を見てみな」
言われた通りに壁を見ると、何かの料理のような名前と、その横に銅貨何枚などと書かれた紙がたくさん貼られている。
紙には料理名と値段がそれぞれ書かれており、客が席から見えるように壁一面に並べられていた。
「あれがこの店で頼むことができるメニューだ。その横に書いてあるのが値段。あの中から選んで、それを注文するんだ」
「なるほど」
なんとなくルールを理解して、壁に貼ってあるメニューを見る。
「うん。どれが何なのか、全く分からない」
助けを求めるようにノエルを見ると、申し訳なさそうに首を振った。
やはりノエルも同じようだ。
「すまないが、どれが何なのかは分からない。ヒントをもらえないか?」
「ヒントって……まあ、料理の名前が分からなければそうなるか。とりあえず、この店では羊の肉とパンと水でも頼んでおけ。ここの羊肉は絶品だぞ。あとは気が向いたら自分で試してみな」
マルタの声に素直に従う。
注文をすると、ほどなくして料理が机の前に並ぶ。
頼んだ通り、焼いた肉とパンが目の前に置かれる。
焼いた肉からはまだ湯気が立ち上り、木の皿の上に切り分けられていた。見た目ではわからないが、注文通りなら羊の肉なのだろう。
パンは籠に入れられ、水の入った器がその横に置かれた。
マルタの目の前には、何種類かの肉と酒の入ったジョッキが置かれていた。
「それじゃあ、まあ、私たちの出会いを祝って乾杯といくか」
「乾杯」
とりあえず、その言葉だけは知っていたので、セイラスとノエルもマルタの真似をしてコップを持ち上げた。
早速、セイラスは目の前にある絶品とマルタが評した羊肉を口の中に入れる。
そして、そのまま思ったことを呟いた。
「ノエルの作ってくれていた食事の方が美味しい気がするが……」
ノエルが少し嬉しそうな、ちょっと複雑な顔をしながらセイラスに注意する。
「セイラス様、そういうことはあまり言わない方がよろしいかと。私が作っていた料理は、とても良い設備で、いい食材と、調味料もたくさん使わせていただいていましたから」
「そういうものか。すまん、気をつける」
二人のやり取りを、マルタが何とも言えない目で見ている。
改めて、徹底した世間知らずであることを再認識したのだろう。
少し恥ずかしくなったセイラスが、ごまかすようにマルタを睨み返す。
すると、マルタが少し眉を寄せた。
「セイラス、ちょっとこういう言い方はあれなんだが…… 私の方をジロジロ見るのはやめてもらえないか」
「ん? ジロジロなんて見ていないが……」
それは間違いない。
今はただ単にマルタと目が合っている状態。
基本的にセイラスは、人と話す時には相手の目を見るようにしている。
初対面の時こそ警戒して、体つきや装備、そして体の中のエーテル量などをチェックしたが、今はただ少し咎めるような目で見ただけだ。
「ああ、悪い、確かにジロジロは見てはいない。それはそうなんだが……」
マルタは言いにくそうに口ごもる。
セイラスも納得がいかず困っていると、ノエルから助け舟が出た。
「マルタさん。それはもしかして、ジロジロというか……自分の何かを見透かされているような、心の中を調べられているような、そんな気持ちになるということでしょうか?」
マルタは少し考え、答える。
「ああ、確かにそんな感じだ。セイラスに見られると、なんかこう、むず痒い感じになるんだ」
セイラスは心の中で驚く。
今まで、そんなことは言われたことがない。
「ノエル、どうなんだ?」
そう質問すると、ノエルから意外な言葉が返ってきた。
「実は私も、なんです。あ、もう慣れているので大丈夫なのですが」
慌てて取り繕う。
「ですが、初めてセイラス様に会った時、そんな感じがしたんです。何と言うか、私の中の全てを見ようとしているんじゃないかと……そんな感じがしました。ただ目を合わせているだけなのに」
セイラスは絶句する。
そう言われると、心当たりは一つだ。
このエーテルが見える目。
そのせいなのだろう。
以前、自分からノエルに説明をしたが、エーテルは情報を持っている。
その人のエーテルを見ることができるということは、ある意味、その人の情報を見ているということでもあるのだろう。
自分ではそこまで踏み込んで見ているつもりはないが、敏感な人間は、その「見られている」という感触を感じるのかもしれない。
「悪かった。気をつけるよ」
セイラスはひとまず謝る。
「あー、こちらこそ悪い。何か、難癖をつけたみたいで」
マルタも謝ることで、ひとまずこの話は終わりとなった。
しかし、セイラスにはひとつ疑問が残っている。
ついでとばかりに、今まで気になっていたことをマルタに聞くことにした。
「ちょっと話が変わるんだが、マルタ。あなたは昔、兵士とかハンターとか、何か戦うような職業だったりしたか?」
少し踏み込んだ表現になってしまう。
しかし、ずっと気になっていたのだ。
行商人と名乗ったマルタ。
そして実際に、売り物を馬車に乗せて町から町へ移動しているところを見る限り、それは嘘ではないのだろう。
しかし、セイラスが見たマルタのエーテル保有量。
それは、普通の人ではありえないくらいのものだった。
今まで住んでいた屋敷を警備していた騎士たち、おそらく彼らよりも多い。
あと、まだ仮説だが、エーテルの量が多い人間ほど、セイラスがエーテルを見ていることに気づきやすいのかもしれない。
唐突に話を変えたセイラスだったが、マルタは気分を害した様子もなく答えた。
「ああ、そうだ。昔はハンターをやっていたよ。これでもBランクまで行っていたんだよ」
ハンター。
それは、人間の生息圏と魔物の生息圏の境界で、人間を守るため魔物を狩る者たち。
マルタは昔、そのハンターだったという。
「Bランク。それは強いのか?」
「ああ、やっぱり、そこも知らないよね。まあ、簡単に言うと真ん中より上だよ。何年も魔物達と戦い続け、生き残ったベテラン、って感じかな」
ハンターのランクというのも気になったが、まず最初に頭に浮かんだ疑問を聞いてみることにする。
元ハンターだというのは分かった。
女性一人で行商を続けられているのも、そのせいなんだろう。
「でも、見た限り、まだまだ戦えそうだ。どうして行商人をやっているんだ?」
その質問をした瞬間、ふっとマルタの顔に陰りが差した。
「旦那が行商をやっていてね。それについて行くために、ハンターはやめたんだ。……ちょっと湿っぽくなっちまうから、この話は無しな」
そうしてジョッキをあおり、会話を中断する。
その瞬間。
セイラスの過去視が自動的に発動した。
視ようとは思っていなかったのに、マルタが話さなかった過去を、知ってしまった。
……どうやら、触れられたくない話に触れてしまったようだ。
会話というのは難しいな。
心の中で反省しながら、セイラスは残った肉を口に入れた。
食事が終わり、あとは宿の部屋に入り、寝る時間となった。
ちなみに、最新のエーテル機械があった屋敷とは違い、立派な浴室などない。
もっと高級な宿なら違うのだろうが、ここでは濡れた手ぬぐいで体を拭いて、それでおしまいだ。
そのための水や水桶などは、すでに部屋に用意されているらしい。
二階に上がると、廊下には等間隔に扉が並び、壁には簡素な照明が取り付けられている。
階下からはまだ食堂のざわめきが聞こえる。
割り当てられた部屋の前に来た。
「セイラス、お前の部屋はこっちだ。女部屋はあっち。じゃあまた明日な」
そう言って、マルタが隣の部屋に入ろうとする。
セイラスも同じように、割り当てられた部屋に入っていく。
部屋の中には簡素なベッドが二つと小さな机があり、壁際には水桶と手ぬぐいが置かれていた。
そしてノエルは、無言で当たり前のようにセイラスの後について行った。
「って、おい、ノエル。お前の部屋はこっちだよ!」
そういえば、確かマルタは、こっちが女部屋とか言っていた。
マルタはノエルと同じ部屋のつもりだったのだろう。
しかし、ノエルはためらわずに答える。
「何か問題があるのでしょうか? 同じ部屋の方が、セイラス様を守りやすいのですが」
「あー、うん。まあ、いいや。お前たちがそれでいいなら、好きにしてくれ」
マルタは疲れた声を出し、一人で部屋に入っていく。
セイラスとノエルは首をかしげながら、もう一つの部屋に入っていった。
「さて、ノエル。まずはここまで来たな」
「はい」
二人きりになり、マルタには聞かせにくかった話をする。
襲撃に遭い、屋敷を出た。
そして国境を越え、その先の町に着き、宿屋で初めて寝ようとしている。
長年住んだ屋敷から、まだ一日と経っていない。
しかし、とても遠くまで来たような気がしていた。
もう夜も遅いというのに、窓の鎧戸の向こうからは道行く人、特に酔っぱらいの大きな声が聞こえてくる。
「外は本当に色々なものがあるな」
「ええと……何をしていいか、どうしていいか分からないくらいです」
「ああ」
そして改めて思うのは、自分やノエルの世間知らずというよりも、常識のなさ。
これは非常に問題だ。
「真面目な話、俺たち二人でこのまま生活していくのはちょっと自信がない」
「私も、そう思います」
世の中の仕組みを致命的に理解していない。
人々の当たり前、常識。
それがさっぱりわからないのだ。
「というわけで、提案なんだが。国や町を巡るのに便利そうだからハンターにでもなろうとしていた。それでどうにかなると思っていたけれど、それではダメそうだ」
「はい。そう思います」
「それで、厚意に甘えるようで申し訳ないが、マルタにしばらくついて行って、世の中の常識を覚えてみたいと思う。どうだろう」
ノエルは無言で頷く。
同じ懸念を抱いていたのだろう。
自分たちの常識は、世の中の非常識。
まるで違う世界に来たみたいだ。
屋敷にいた時に、『外の世界』などと言っていたが、本当に違う世界のように感じるとは思っていなかった。
本だけでは学べなかった。
知らないことが多すぎる。
まずは、それを覚えていかなければ。
「それがいいと思います」
「明日、マルタに相談しよう」
そう決めて、二人は今日は寝ることにした。
日課のエーテル吸収を行ってから、寝る前の身支度を整える。
セイラスが自分の体を濡れた手ぬぐいで拭こうとすると、ノエルが手伝ってくれる。
屋敷の時から背中を流したりしてもらっていたので、違和感なく受け入れた。
だが、そういえば、今はノエルはセイラスの使用人とは言えない。
自分はもう国から逃げ出した。『王子様』などではない。
……今まで通り、当たり前に世話をしてもらっていていいんだろうか?
そんなことを考えていたが、あっという間に体を拭かれ、着替えさせられ、セイラスの寝る準備は整っていた。
ノエルは自分の準備をしようとし、少しうつむきがちになりながら言った。
「申し訳ありませんが、少しの間、あちらを向いていていただけませんか?」
「分かった」
そう言い、ノエルの反対側の壁を見る。
そういえば、ノエルには着替えなどを手伝ってもらうことがあり、セイラスは自分の体を見られることに抵抗はない。
逆に、ノエルが着替えているところなどを、セイラスは見たことがない。
気にならないと言えば嘘になる。
しかし、向こうを見ていてくれということは、ノエル自身は見られたくないのだろう。
本人が嫌がっているのであれば、見るべきではない。
でも、本音を言えば、ちょっと気になる。
そんな悪戯心が頭をよぎりそうになった瞬間。
「できました。大丈夫です」
というノエルの声が聞こえた。
振り返ると、寝間着に着替えたノエルがいた。
水桶や手ぬぐいの場所も変わっていたので、この短時間で体を拭き、着替えたのだろう。
「……早くない?」
「お待たせしてはいけないと思いましたので」
ノエルが平然と答える。
本当にあっという間だった。
身体強化能力の無駄遣いという言葉がセイラスの頭によぎったが、それは言葉にせず、
「……じゃあ、寝ようか」
とだけ言った。
こうして、屋敷を出た最初の日の夜は、過ぎていった。




