第13話 脱出と目的
それからノエルは毎日練習を続け、矢を増やし、9つの的すべてに当てることに成功した。
しかし、できるようになったということと、使いこなせるようになったということは別の話だ。
使いこなせるようになるには、ひたすら反復して練習するしかない。
そのためノエルは、この能力を使いこなせるように、さらに練習を繰り返した。
また、力を使う時に「条件をつけて」実行することができることを知り、応用できる方法を模索する。
例えば、何かが飛んできた時に、自動的に目の前に盾が現れて防御することができないか、など。
ノエルの訓練の方針が決まると、セイラスの手が空いた。
そのため、気になっていた外の世界について調べることにした。
まずは、自分たちが住んでいるエルランド王国。
その場所や地形、作っているもの、そして住んでいる人たち。
次は、この王国の外。
どんな国や街があり、どこまでが人間の住める場所なのか。
どこに魔物たちが住んでいるのか。
そういったことを調べていった。
その過程で分かったことがある。
100年前、この世界には約200の町があった。
その後、20ほどの町が増えた。
そして、40ほどの町が消えた。
魔物に生息圏を奪われたのだ。
この世界は今、緩やかに人の滅亡に向かっている。
そんな恐れを抱いた。
「この国はちょっとまずいかもしれないな……」
母が集めたであろう報告書などを読み、セイラスはそんな感想を抱く。
本来、魔物の生息圏と接していない土地は、魔物と戦う場所で戦っている人たちのために、食べ物など必要なものを作り、送る。
それは人間たち全体として必要なことであり、そのために重い税金を課されているということで、農民たちも一応納得している。
しかしこの国は、そうやって集めた税金、食料や物資を間違いなく着服している。
人間たちが生きるための場所を守っている人たちに送らず、自分たちで消費している。
農民たちに課した重い税は、そのままで。
「そういえば、ノエルの村も……」
収穫量が少ない年は、餓死者が出ることも多かったと聞いた。
それだけの負担を強いながら、自分たちのためだけに使っている。
この世界では常に、人間たちと魔物たちが、生きる場所を命がけで争い、奪い合っている。
この国の人間たちには、その意識が薄い。
理由は簡単だ。
この国は人間の生息圏の真ん中に近く、魔物の生息圏と接している土地がほとんどないのだ。
そのため、今もなお生きるか死ぬかの争いを魔物たちと続けていることへの意識が薄い。
特に中央の貴族などは、魔物を見たことすらない者もいるのではないか。
そうすると、目の前にある大量のお金や物資を、実際に最前線で戦っている、無関係な国や街に送ることにためらいが出る。
そこが魔物に奪われれば、次は自分たちの番だということに意識が向かずに。
この100年、魔物に押されていることの根本的な原因というわけではないが、最前線で戦う者たちの役に立っていないということは間違いない。
「国の中で争っている場合なんかじゃないっていうのに……」
当事者としては、そう呟かざるを得ない。
あまり良くない情報ばかりを読み続けて疲れたセイラスは、気分を変えようと他の本を探すために本棚へと近づく。
基本的に地下室の書斎にある本は、実用的なものが多い。
あまり気分転換にはならなそうだな、と思った時、以前目にした、続き物の本の集まりを再び目にした。
一冊を手に取り、表紙を見ると、こう書いてあった。
レナード旅行記 その1
「旅行記?」
他の蔵書とは毛色の違うその本に興味を引かれ、ページをめくる。
最初に目にしたのは、この文章だった。
『様々な国や町、村を旅してきたが、100年後にこの村、町が、国が魔物に滅ぼされていない保証はない。でも今ここにたくさんの人々が生きている。必死で暮らしている。その証を残すため、旅行記としてここに記す』
その文章を目にした瞬間、セイラスの中に駆け巡るものがあった。
言語化できない自分の奥底にある何か。
それを今、目にした。
そんな気がした。
その本を手に取ると、椅子に座り、じっくりと読み始める。
本の内容は他愛のないものだった。
何年何月何日、どこどこの町へ行った。
こういう名前の宿に泊まった。
これこれというその町の名物料理が、とても美味しかった。
誰々という者と話し、こういう身の上だと知った。
どこどこから見た景色が、とても綺麗だった。
本当にそんな、些細なことばかり。
しかし。
そこには確かに人々が生活していたのだと。
必死に生きていたのだと。
その証がここに書かれていた。
「これだ……!」
「どうかされましたか?」
読み終わった直後、思わず漏れた言葉に、訓練場から休憩のために戻ってきていたノエルが反応する。
「あ、うーんと……」
一瞬、ごまかそうかとも考えた。
心の奥底の本心。
それを外に出すのは恥ずかしい。
それでも。
自分の望みを叶えるためには、ノエルの協力に必要だ。
絶対条件とも言える。
そのノエルに対して、誤魔化すべきではないと思った。
「僕はね、人から忘れられるのが怖い」
唐突に胸の内を話し始めたセイラスに、ノエルは一瞬驚くが、静かに耳を傾ける。
セイラスはノエルの目を見ながら話を続ける。
「僕は第2王子だけれど、世間には公表されていない。王宮内では一応存在は認知されているけれど、僕の話をおおっぴらにするのは、みんなためらう。だから僕の名前を知っている人は、とても少ない」
母の残したノートを思い出しながら、セイラスは語る。
母の実家の特殊な事情、国王である父の立場、第1王子である兄の立場、義理の母である王妃の立場。
それに加えて、母の能力を狙っていた者。
その息子である自分の能力に期待して狙う者。
権力を求める者。
財産を狙う者。
そして、それら別々の勢力同士での足の引っ張り合いなど。
様々な思惑が絡み合い、セイラスの立場は、自分が思っていた以上に複雑だった。
「この町に来てからもそうだ。僕は王子という立場を明かすことは許されず、ずっとこの屋敷にいる。外出するのだって、月に3回。馬車から出ないことを条件で。これだってロビンが、月に1回だったのを『それではかわいそうだ』と直接上に掛け合ってくれて、3回になったんだ」
ちなみにノエルと会ったときに強引に馬車から出て決まりを破ったため、月1回に減らされている。
ただし、一番の目的であったノエルとの邂逅が無事にできたため、セイラスはあまり気にしていない。
セイラスは話を続ける。
「だから、このセイラスという人間がここにいることを、護衛という名の見張りの人たち以外、この町の人間は誰も知らない。
母が亡くなって、僕はとても心細かったんだ。
ロビンやロザンナは味方になってくれる。
でも、絶対ではない。
上の立場の人間に命令されたら、それを拒否することなんて、きっとできない」
ロビンやロザンナが反逆者扱いされかねない。
それは、セイラスの望むことではない。
何も知らない子どもの自分を、色々なものから守ってくれていることを、今ならば理解できる。
「だから僕は、一生ここから出られないか、母のように殺されてしまうか。そして、いずれ誰からの記憶からも忘れ去られてしまうんだろうと。それが、とても怖かったんだ」
心の奥底の、隠していたことすら自分でも気付かないような、そんな恐怖。
「でも僕には一つだけ希望があった。
それは母の遺言。
ある雪が降る日。
様々なものに囚われた僕が、この状況から抜け出せる、ただ一つの希望。
その人と出会えることを信じて、僕は雪が降るたびに屋敷の外へ出た。
そして出会えたのが、キミだよ、ノエル」
名前を呼ばれ、ノエルの体が一瞬震える。
拳をきゅっと握りしめるのが見えた。
「君と出会って、君の能力を知って、僕はようやく希望が見えた。ここから出られる、その希望がね。
でも、そこまでだったんだ。
ここから出てどうしようか。
その考えが何もなかった。
ここから出てどうすればいいのか、どう生きればいいのか、そういうものが何もなかった」
それについては、ノエルも同じだった。
生きることに必死で、一度は死を覚悟して、そしてセイラスに命と心を助けられた。
だから今、生きている。
それだけでも奇跡だと思える。
そして、それで満足であった。
でも、この状況はいつまでも続かない。
そもそもが薄氷の上の状況。
どこかで何かの動きがあれば、瞬く間に全てが崩れ去る。
「だからできる限り早く、ここは出なければならない。でも、その先がなかったんだ」
ここから逃げて、王国の追っ手から逃げて。
どこかにずっと、死ぬまで隠れる。
それでは今とそんなに変わらない。
誰にも知られず死んでいくことには変わりはない。
「でも、この本を読んで、僕のやりたいことがなんとなくわかったんだ」
そう言ってセイラスは、手に持っている本を見せる。
「レナード旅行記……ですか?」
「そう。この人は、色々な場所を旅して、それをこの本に記した。それによって、その時こんな人々が居たという記録を残している」
それと同時に。
「この人がその時、ここに居た、という記録でもあるんだよ」
ノエルは、セイラスの言いたいことを理解した。
「それに加えてさ……楽しそうじゃない?」
いたずらっぽく、セイラスが微笑む。
セイラスもノエルも、生まれた場所とこの屋敷以外、ほとんどを知らない。
「世界にはどんな町があって、どんな人たちがいて。どんな食べ物があって、どんな綺麗な景色があるのか。知りたくない?」
「知りたい……です!」
その返答に一安心しつつ、一番重要なことを聞く。
「世界を旅してみたい。でも、僕は正直に言って無力だ」
「無力だなんて、そんな……」
「事実……いや、現実だよ。僕独りでは、何もできない」
セイラスは、まっすぐにノエルを見る。
「でも、ノエル。君と一緒なら、僕はそれが可能になるんだ」
セイラスの今後の人生を決める。
それだけ重要なことを、問う。
「ノエル。僕がこれから向かう旅に、君も一緒に来てほしい」
「……」
ノエルが一瞬、黙る。
それは、回答に迷うのではなく。
むしろ、待ち望んでいた一言を聞いた感動を噛み締めているようにも見えた。
「どこまでも。どこまでもお供します。セイラス様」
そう、答えた。




