第10話 母の残したもの 1
セイラスは目を覚ました。
「……ここは……」
ぼんやりとした視界。
薄暗い天井が見える。視界の端には本棚。
書斎の床で寝ていたらしい。
なんでこんなところで寝ているのだろうか。
頭はぼんやりしたままだが、徐々に意識を失う前のことを思い出してきた。
固い床に背中が当たる。
頭だけ、何か柔らかいものの上に乗せられているのを感じる。
「お目覚めになりましたか?」
ノエルがセイラスの顔を心配そうに覗き込む。
どうやら膝枕をしてくれていたらしい。
「……僕を寝室のベッドに運んでおいた方が楽だったんじゃない? いつ起きるかもわからないのに」
「私もそちらの方がセイラス様がゆっくり休めるかと思ったのですが、お連れしようとしたら、『やめろ、大丈夫だ』と仰られましたので」
「……そんなことを言ったのか……」
いつ目が覚めるのかもわからないのに、我ながら浅はかな一言だ。
「どれくらい寝てた?」
「それほど長くありません。たぶん、数十分くらいです」
「……あれ、短い……」
丸一日は寝込む覚悟だったのだが。
成長して、耐性ができたのかもしれない。
希望的観測だが、そう思っておくことにした。
セイラスはゆっくりと体を起こす。
まだ頭の奥に、先ほど見た大量の情報が残っているような気がする。
「大丈夫ですか?」
「うん。まだ少し頭が重いけど、大丈夫」
ゆっくりと立ち上がる。
さすがに調子がいいとは言えないが、寝ていないと辛いというほどでもない。
ノエルは心配そうな顔をしながらも、一緒に立ち上がる。
「それより……」
目の前にある階段を見る。
母が何年も前に作った、誰にも知られていなかった地下室。
「行ってみよう」
「……今でないとだめですか? 今日のところは休んで、調べるのは明日でも……」
セイラスの体調を心配して、ノエルが提案する。
それを、苦笑しながら断った。
「そうするべきなのはわかってるんだけどね。気になるんだ」
「そうですか……わかりました」
ノエルはセイラスの意思を尊重する。
エーテルで作った光を傍に浮かべ、二人は階段を降りていった。
階段は思ったより長かった。
そういえば結構深いと、ノエルが言っていたな、とセイラスは思い返す。
地下へ進むにつれて、ひんやりとした空気が肌に触れる。
しかし、不快ではなかった。
湿気も少なく、空気がこもっている感じもしない。
「……地下なのに、空気がきれいですね。埃っぽくないというか」
「そうだね」
新しもの好きで、エーテル機械が好きな母だ。
換気のための機械か何かを置いているのだろう。
「……灯りも、ちゃんとある」
気づかなかったが、壁にはしっかりと照明の機械が取り付けられていた。
セイラスが触れると、淡い光が灯る。
「エーテル石が生きてる……」
母が亡くなったのはおおよそ三年前。
亡くなる直前まで、使用していたのかもしれない。
さらに降りていくと、ドアがある。
鍵はかかっていなかったのでそのまま開けると、空間が広がっている。目的地だ。
真っ暗だが、輝くエーテルが視えるセイラスは、夜目が利く。
ぼんやりとだが、地上の屋敷と同じくらいの広さがあるのではないかと思った。
「どこかに、明かりはないかな……」
入口付近を探すとスイッチがあった。
少し考えてから押したところ、部屋全体に灯りが点いていく。
「わぁ……!」
ノエルが驚いた声を出す。
セイラスも絶句していた。
「…………」
左側の壁には一面の本棚。
ところどころ空きがあったり、本ではなく書類のようなものが多いのも気になったが、それでもかなりの量だ。
そして、右側には。
「……なんでしょうか、この空間」
「……なんだろうね」
何もない、だだっ広い空間が広がっていた。
壁は厚く、見たことのない素材をしており、そこには的のような丸がいくつか描かれていた。
「なんか、射撃場みたいだな」
昔、王宮で見た弓の練習場に、あんな感じの丸があった気がする。
ひとまず、謎の空間は後回しにして、大量の本棚を見に行く。
近づいていくと、気づかなかったが作業用の机があった。
母はここで書類仕事でもしていたのだろうか。
考えにふけりながらさらに近づくと、机の中央に、一枚の紙が置かれている。
「……?」
セイラスが近づく。
紙には、メモが書かれていた。
数年ぶりに見る、母の字。
万感の思いに胸を膨らませて、そのメモを読む。
『よくぞここまでたどり着きました、わが息子よ!』
「……」
膨らんだ万感の思いがしぼんでいくのを感じる。
そういえば、こういう人だった。
メモはまだ続いている。
『ズルしたと思うけど、今回だけは許しましょう』
「…………」
そりゃあするよ。
じゃないと、あんなのは無理だ。
隣からノエルが覗き込む。
「ズル、ですか?」
「……うん。昔、母さんのパズルをこの異能で解いて、ズルいって言われたよ」
メモの残りを読むと、こう書いてあった。
『そうじゃないと、お母さんの作った仕掛けが解けるわけないんだからね!
なお、入口を無理やりこじ開けると、ここは爆発します』
「……だ、そうだ」
「………………す、すごいお母様ですね」
ノエルは必死に言葉を選んだようだが、出てきたのはそんな言葉だった。
なお、セイラスには異論はない。
「まぁ、こんな感じの人だったよ」
知らないうちに、セイラスの頬は緩んでいた。
メモの横には、一冊のノートが置いてある。
表題は何も書かれていないが、置いてあったメモから考えると、明らかにセイラスに読ませるためのものだろう。
そっと持ち上げてノートを開き、内容を読んでみる。
「これは……」
ノートの中には、セイラスが今まで疑問に思っていたことが、理路整然と書かれていた。
この屋敷について。
なぜ、自分がここに閉じ込められているのかについて。
セイラスを狙う者たちと、その理由について。
この地下室について。
そして何より。
母の死の真相について。
難しい言葉や知らない人名も多く、今、すべてを理解することはできなさそうだ。
ひとまずは、今知りたいこと、理解できることについてだけ、要点をつかんでいく。
「……何が書いてあるか、お伺いしても大丈夫ですか?」
ノエルがおそるおそる聞いてくる。
机の上に堂々と置いてあったメモとは違い、覗き込むことは憚られるのだろう。
「……そうだね、母さんが人生をかけて組み上げたパズルの、答え合わせみたいなことが書いてある感じかな」
「……?」
抽象的な答えになってしまったが、概ね、間違ってはいない。
セイラス自身も、全部理解できているわけでもないので、これが精一杯の返事だ。
ひとまず、簡単に答えられる内容ではないと判断し、ノエルは静かにそばに控える。
読み進めていくと、必要なことは書き終えたのか、空白のページが続く。
これで終わりかな、とセイラスは思ったが、最後の数ページに何かが書かれていることに気づく。
それは、これまでの淡々とした連絡事項ではなく。
母から子への、心からのメッセージだった。
「……!」
『このような形で、あなたを独りにしてしまってごめんなさい』
『屋敷から出られないのは窮屈でしょうけど、あなたの身を守るためなの。もう少しだけ我慢してね』
『ロザンナには無理を言ってあなたのことをお願いしたけれど、うまくやれているかしら? 厳しく感じるかもしれないけれど、とても優しい人よ』
ページをめくる。
『元気でやれてる?』
『あなたは運動が得意じゃないから、ずっと本ばかり読んでるんじゃないかと心配だわ』
ごめん、本ばかり読んでるよ。
『冬は寒くない? 暖房はたくさん用意したから、風邪とかひかないようにね』
『食べ物、好き嫌いしないで食べてる? 背が伸びないわよ。……あら、このノートを読んでるときは、まだ背が伸びてなさそうね』
好き嫌いは……少なくとも、豆は食べられるようになったよ。
身長は、余計なお世話だ。これから大きくなるんだよ、たぶん。
『今、あなたの隣に青い髪の女の子はいるかしら? 大事にするのよ。「僕のお母さんは、とっても優しくて綺麗な人だった」とちゃんと伝えておいてね』
ノエルのことも書いてある。
……まったく、こんなところでまで、ふざけなくてもいいじゃないか。
でも、こういうことを言わないと気が済まない人だった。
思い出があふれてくる。
胸にこみ上げてくるものがある。
止められない。
『書斎に集めておいた本はどう? 気に入ってくれたかしら?』
『あなたの好きそうなものばかり集めたから、気に入らないわけがないと思うけど、念のため、ね』
『……寂しくは、ない?』
寂しかった。
とっても、寂しかったよ。
今はノエルが隣にいてくれるけど。
それでも、お母さんじゃ、ないから。
ノートの次の言葉は、途中まで書きかけてから、ぐしゃぐしゃに塗りつぶされていた。
でも、よく見れば、書きかけの文字がわかる。
『母さんは』
弱音を、表に出さない人だった。
書こうとしたことは、想像がつく。
『母さんは、とても寂しい』
最後のページを開く。
『叶うなら、私があなたを育てたかった』
『でも、この未来を選ぶのが、私の精一杯だった』
滲んだ字。涙の跡。
『最後にこれだけは伝えておくわ。大好きよ。愛してるわ、私のセイラス』
『あなたの母、エリアより』
セイラスの目から涙が溢れる。
楽しかったこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。辛かったこと。
自分でもわからなくなる感情が混ざり合い、立っていられなくなる。
嗚咽が止まらない。
しゃがみこみ、むせび泣くセイラスの背を、ノエルがそっと撫でる。
「……母さん……僕も、大好きだったよ……」




