第7話 浮いてしまうという感覚【ベルナール視点】
どこから話そうか、ベルナールは少し迷っていた。いつもの自分であれば、きっときっかけの出来事を端的に伝えていただろう。けれどラシェルは『質問魔』だ。それだけ伝えても「それはなんで?」「これはどうして?」と、無自覚に質問攻めにしてくることが目に見えていた。
「元々の俺は、これといって趣味がなかったんだ」
ベルナールは手芸が趣味になるよりも前、記憶を辿るように時間の針をゆっくりと巻き戻していく。自分のための時間を、持たなくなった頃まで。
* * *
ベルナールは王都の東、地方都市のエトメラという街で、叔父夫婦のもとで育った。両親を亡くしたベルナールに叔父夫婦はとても良くしてくれたが、自身はずっとこの家族の中で『浮いている』と感じていた。
学校へ通う傍ら、家にいるときは叔父夫婦の商売の手伝いに明け暮れていた。それは叔父たちに言われたからではなく、自ら進んでやっていたことだった。それが両親の代わりに育ててくれている叔父たちへの恩返しのつもりだったのか、自分の居場所を作って馴染むためだったのかは、今となってはもうわからない。
学校を卒業すると同時に家を出て、騎士団へと入団した。それからはひたすら鍛錬に明け暮れ、それは騎士になってからも変わらずずっと続いていた。そんな頃だった。
「休暇まで鍛錬とか、相変わらず超がつくほどの真面目っぷりだな。他にやることないのかよ」
「他に……? ないな」
「本気で言っ……てるんだろうな、お前のことだから。なんか、もうちょっと体使わない趣味探したら? いくらなんでも酷使しすぎだろ」
「そうだな。何か探してみてもいいかもしれない」
一番最初、趣味というものを見つけようと考えたきっかけは、見習いの時代からの先輩であるリュカの助言だった。とはいえ、いきなり何か見つけるのは簡単なことではない。ベルナールが「探してみてもいい」と答えた勢いに乗っかったリュカが、休暇の日に自分の趣味に連れて行ってくれた。
『ダメだ、ベルナールは気長すぎる。そんなんじゃ一生かかっても魚は釣れないだろうな』
余暇の楽しみ方として最初に教えてもらったのは魚釣りだった。餌をつけて、湖に糸を垂らし……ぼんやりと魚が来るのを待っていた。そのときにリュカに言われた言葉がこれだ。
魚を釣るには、餌を変えたり、場所を変えたり、仕掛けを変えたりと工夫が必要らしい。けれど、魚がかからなくてもぼんやりと待ててしまう。「それでいいならいいが、楽しいか?」と聞かれて釣りはやめた。
次に連れて行かれたのはダーツのある酒場だった。メニューから好きな酒を注文し、ダーツをしながらお喋りを楽しむというものだった、が。
簡単すぎやしないか……?
正直なところ、的の真ん中にダーツを当てるのは然程難しくなかった。投げるたびに中央に的中させるうちに、周囲の客までざわつき始め、「百発百中のベルナールか……」とリュカに言われてもう二度と来ないと誓った。
店を出ると、趣味探しに二連続で惨敗したベルナールをリュカはなんとも言えない言葉で励ました。
「しかしなぁ……あと俺の趣味っていうと、楽器の演奏しかないけど……」
「それはやる前から向いてないとわかる」
「だよなぁー」
リュカは騎士団の宿舎に自分のギターを持ち込んでいる。彼が夜の談話室でギターを弾きながら歌を口ずさむと自然と人が集まり、あっという間に歌声が増えて陽気な空気が出来上がる。まだ宿舎で暮らしていた頃は、彼の歌とあの空気感を談話室の片隅でひっそりと楽しんでいた。
リュカの演奏と歌は好きでも、自分が弾いて歌うとなれば話が別だ。絶対に嫌だと感じる。
「けど、趣味探しに付き合ってくれてありがとう。おかげである程度方向性は見えた」
「おぉ、そうか? なら良かった。こんなこと、言い出した俺が言うのもアレだけど、あんまり無理して探すなよ。俺は体を酷使しないならなんでもいいからな」
「あぁ、わかってる」
「ホントかよ…………ん、うまそうな匂いだなー」
リュカに言われて初めて、甘く香ばしい香りがどこからともなく漂っていることに気づく。その香りにつられてふらふらと出店に近づいたリュカは、支払いを済ませると店員から小さな紙袋を受け取った。
「ま、とりあえず今日はこれ食って帰るか! 俺は一個でいいや。残りは全部お前にやる」
「いや、さすがにそれは……」
「俺は先輩だぞ? 遠慮すんなって」
「けど、上司は俺だが」
「くぅぅ~、それを言ったらおしまいだろ……俺という先輩を差し置いて昇進しやがってぇ~」
リュカはジト……と目を細めながらも、半ば強引に紙袋を押しつけてくる。紙袋を開くと、微かな熱気と共に甘い香りが頬を掠めた。中には手のひらに収まるくらいの大きさの焼き菓子が四つ入っていた。
そのうちの一つを口にして、その柔らかな食感と甘さに驚いた。思えばお菓子を食べることも、こうして街に出て何かを買って食べるという経験もしてこなかった。自分の居場所が騎士団だと思えばその中に閉じこもり、騎士として必要なことにばかり終始していた。
おいしい……街には他にも甘いものが売ってるのか……?
それからベルナールは休日に街を歩くようになり、出店で買って帰れる甘いものを巡るようになった。その延長でお菓子作りもしてみたが、あまり上手くできず買う方がいいという結論に至った。
レシピ本を読むことをきっかけに読書をしてみたが、情報が頭に押し寄せて疲れてしまって向いていなかった。隣家の鉢植えを見て園芸も考えたが、遠征も多い職業柄枯らしてしまうだろうと思って手を出さなかった。
特に何も見つけられないまま過ごしていたある日、糸が切れて取れてしまったボタンを繕うために手芸用品店に糸を買いに行った。店先にはいくつかの制作物が展示してあり、その中の一つに目を奪われた。
それが、白いハンカチに施されたカワセミの刺繍だった。鮮やかな青と橙の色合いの美しさと、今にもさえずりが聞こえてきそうなほどの緻密さ。気づけばボタン用の糸だけでなく、刺繍糸と布と刺繍の本まで買って家に帰っていた。
始めてみると、思いの外刺繍は向いていた。静かな場所で一人黙々と布に向き合い、無心になって針を刺していく。一針刺すごとにゆっくりと形を成していくところや、完成したときの達成感。自分にもできることがあったのだと楽しくなった。そこから少しずつ、編み物、レース、ぬいぐるみと幅を広げ、今では手芸が趣味と呼べるまでに至った。
* * *
「じゃあ、偶然だったんですね。やっと自分に合う趣味が見つけられて良かったですね」
「そうだな。鍛錬ばかりしていたときよりも充実している感じはある」
趣味が趣味なだけにリュカにも話せてはいないが、鍛錬以外の時間の使い方を教えてくれたことに、改めて感謝を伝えた。
「なら、作ったものも結構ありますよね? 自分で使ってるんですか? 実は家の倉庫がパンパンだったり……?」
さすが『質問魔』だ。これだけ仔細に話してもまだ疑問点を見つけだしてくる。ある種の彼女の会話力には驚かされるばかりだが、何もなければ黙り込んでしまう自分にとっては少しだけありがたくもある。
ほんの些細な小さなことでも、まるで新しい発見をしたかのように、純粋な輝きを宿す瞳。柔らかな笑みと向けられる眼差しが微笑ましく、胸の奥が温かくなった。
「自分で使っているものもあるが、大半は孤児院に確認を取って寄付させてもらっている」
「へぇー! 編み物の手袋とかマフラーとか、冬は重宝しそうですよね。にしても、趣味で社会貢献までしてて真面目なんですねぇ」
「置いておいても持て余してしまうだけだ。それなら多少役に立った方がいい。とりあえず押しつけて迷惑にならないよう、必要かどうかの確認だけは慎重にしている」
幸い、今のところは孤児院から良い返事をもらっている。やはり子供が使うものということもあってすぐに傷んでしまったり、替えとしていくつか余分に保管しておきたいという話を聞かせてくれた。
ラシェルは想像していないようだが、一番ありがたがられるのは手袋やマフラーではなく靴下だ。ぬいぐるみは嵩張るためあまり作らないようにしているが、一つ二つ混ぜて送ると子供たちの反応も良いらしい。
「そういうとこまで気にしてるんですね」
ラシェルは空色の目を丸くし、驚いたような反応を示していた。寄付といっても、金を寄付するのとはワケが違う。
金ならいくらあっても困らないだろうが、物は場所を圧迫してしまう。たとえ善意でも、不要なものを押しつけては逆に迷惑にしかならない。それもこちらは使い道もなく持て余しているから、というかなり利己的な理由なのだから。
そうして何気ない雑談を交わしながら、ゆっくりと日が傾いていく。チリンと呼び出しのベルを鳴らして、おかわりの紅茶を注文して、自分一人では絶対に食べることの叶わなかったお菓子を口にした。
街の出店を巡るうちに、カフェのテラスで様々なお菓子を目にするようになった。持ち帰りには不向きな瑞々しい果物や、冷たい氷菓。ふわふわの白いクリームに、太陽の光を照り返すジュレ。
甘味を味わいながら楽しそうに談笑する女性たちの姿が眩しくて、後ろに伸びる影に足を縫われたようにベルナールは近づくことができなかった。けれどその影の糸を彼女が……ラシェルがほどいて連れてきてくれた。
手芸なんて似合わない、不釣り合いだと嗤わなかったラシェルを信じて良かった。知られたのが彼女で本当に良かったと、今は心の底から思っている。
店を出たあと、前回と同様にベルナールはラシェルを家まで送る。まだ日は沈んでいないが、家まで安全に帰すことも誘った側の責任だ。
ラシェルはすっかり気の抜けた朗らかな笑みを見せている。店の前で会ったときは、かなり緊張しているようで表情も強張っていた。その理由を、いつもなんとなく浮いてしまうベルナールは察していた。
「今日も送ってもらってしまって……ありがとうございました」
「当然のことだ。礼を言われるようなことじゃない。むしろこちらの頼みに応じてくれて感謝してる」
「いえいえ」
控えめに微笑んだラシェルは、照れ臭そうにそっと髪を耳にかける。その耳元で、小さな真珠のイヤリングが音もなく揺れた。
その仕草を、見逃してしまうのが惜しいような気がして、じっと目で追ってしまう。閉じていた自身の唇が、ふと柔らかくなるのを感じていた。
「ラシェルさん。今日の服、よく似合っているように思う」
「……ぁ…………え?」
「では」
何を言われたのか飲み込めていないのか、ラシェルは呆気取られて固まっていた。そんな彼女へベルナールは軽く一礼し、背を向ける。
一日の最後なら、褒めても大丈夫だと思った。
今日のラシェルの服は、以前見たものよりもふんわりとしていて明らかによそ行きのものだった。それは高級店である『眠り猫の茶会』に合わせたものであることもわかっていた。この日のために準備をしてくれていたであろうことも。
けれどラシェルはそわそわと居心地悪そうにしていた。自分がなんとなく『浮いている』と思うとき、それに言及されることへの気まずさはベルナール自身、身をもってよく理解していた。
だから一日の最後、もう家に入って着替えるであろう直前に伝えることにした。ラシェルにとっては違和感の塊だとしても、ベルナールの目には温かな気持ちの表れとして映っていたことを。




