第5話 高貴なるお茶会への招待状
王都の中央通りから少し外れた路地にあるティーサロン『眠り猫の茶会』。その店の傍らでラシェルはベルナールの到着を待っていた。
半月程前に、診療院を経由してある手紙が届いた。差出人のところに名前はなく、ただ『ラシェル・パトリー様』とだけ書かれていた。封を切り、便箋を取り出して開くと、やや固い印象を受ける丁寧な字が綴られていた。
【ラシェル殿に頼みたいことができました。王都に『眠り猫の茶会』というティーサロンがあることはご存知でしょうか。こちらに貴族の茶会に近い体験ができる『眠り猫の微睡み』というメニューがあるそうです。
また一緒に行っていただけると助かります。もしよろしければ、下記の日程から都合の良い日を教えてください。手紙は宛名にベルナール・コルディエとだけ書いて、騎士団本部のポストへ投函していただきますようお願い申し上げます。】
え、『眠り猫の茶会』!?
王都の中にあるティーサロンの中でも、『眠り猫の茶会』は指折りの高級店だ。裕福な商家の人々や、貴族がお忍びで来たりするような場所で、当然メニューが安いわけがない。
けれど、そこはいい。良くないが、いい。支払うのはベルナールで、だからこそ遠慮もなくこんな高級な場所を指定してきたのだから。が、事はそう単純でないのが高級店という場所なのだ。
服が……着ていく服がない……
休日のラシェルは長めのチュニックにズボンか、安価な生地でできたシャツに膝下丈のスカートという服装をしている。そんな高級な店に出入りするような服を持っているはずがなかった。
「ロッティィィー……助けてぇ~……」
「うわっ、いきなり何よ」
そうしてラシェルが泣きついたのは、友人であり同僚でもあるロッティだった。ロッティとは術師学校時代からの長い付き合いで、一番気心の知れた信頼できる人でもある。彼女は裕福な商家の生まれで、服や身嗜みに無頓着な羊飼いの娘よりも遥かにそういったことに詳しい。
「ロッティは、『眠り猫の茶会』って行ったことある?」
「あるわよ、母様と妹とね。それがどうかした?」
「実は行くことになったんだけど、服がなくて買いに行かなきゃいけないから、一緒に来てくれたら心強いなーって」
「え、誰!? あんたをティーサロンに誘う男!」
ロッティは新緑の色の瞳を木漏れ日のように輝かせてラシェルに迫る。ラシェルは勢いに気圧されながらも、前のめり気味なロッティをやんわりと押し返した。
「なんで性別決めつけてるの……」
「なんだ、女かぁ。で、服だっけ? いいよ、ついてってあげる」
「はぁぁぁ~、さすがロッティ様~! ありがとうございますぅ~!」
「ったく、ホント調子がいいわね」
なんて苦笑しながら文句を言っているが、彼女は生粋の姉御肌気質だ。困っている人を放っておけない、カラッと乾いた夏風のような性格は周囲に良い循環をもたらす。裕福な商家に生まれながら、親の意向ではなく自ら望んで治癒術師になりにきた胆力のある人でもある。そんな彼女に助けられたことは一度や二度ではない。
そうして貯金を少し切り崩して買ったのが、まさに今日着てきた服だ。レースが上品にあしらわれたブラウスに、ふんわりと広がるくすんだ朱色のスカート。ものすごく「オシャレしてます!」という雰囲気に呑まれていた。
スカート自体に慣れない感じはないが、生地の気合いの入り方が全然違う。このスカートの生地が取れたてのレタスの葉だとすれば、ラシェルがいつも着ているスカートは萎びたほうれん草だ。
俯きかけた顔を上げると、耳元で微かにイヤリングが揺れる。装飾品なんて人生で初めてだ。いや、人生で初めては言いすぎた。ラシェルだって、花で編んだ花冠や指輪くらいはしたことがある。
『どうせ使わないから気にしないで。売るよりラシェルの役に立つ方があたしも気分がいいし』
服だけで必死なラシェルに、装飾品の一つはあった方が良いと、ロッティがイヤリングを譲ってくれた。真珠と小さな水晶を使った揺れるタイプのイヤリングだった。他にもいくつかあげると言われたが、それは丁重にお断りしておいた。
耳に何かがぶら下がり、チリリと音を立てている感覚が落ち着かない。まるで首根っこを掴まれた猫のように、無意識に体が強張ってしまう。
『意外と思われる程度ならまだいい。見た目と不釣り合いな自覚はある。だが知られると、どうしても浮いてしまう』
以前ベルナールが口にした言葉が思考の端を掠める。不釣り合いな服装、印象と合わなくて浮いてしまうというのはこういう感じなのだろうか。誰も気にも留めていないとわかっていても、自分の中にある「なんとなく似合ってない」という違和感が心を縮こまらせていくような、そんな心地だった。
にしても、さすがに早く着きすぎたかな。
はぁ……落ち着かない……
人目を避けたいベルナールを外で待たせるよりは良いと早めに家を出た。けれど、いつもと違う部分が際立って、そわそわと忙しなく視線を彷徨わせてはベルナールを探してしまっていた。
それからしばらくして、ベルナールは約束通りにやって来た。彼もさすがに今日は以前見たときよりもかっちりとした服を着てきている。しかし少し陽射しが暑かったのか、夏用の薄手の上着は脱いで腕にかけていた。顔は涼しげでも、暑いものは暑いらしい。
「待たせてすまない」
「いえ、まだ来たばかりですから、気にしないでください」
「そうか。今日は来てくれてありがとう」
ベルナールは改まった様子で、わざわざラシェルに頭を下げる。診療院では品行方正で紳士的で素敵と散々言われていたが、まさにそれを体現した振る舞いだ。
「こちらこそ、誘ってくださってありがとうございます。じゃなきゃこんな高級ティーサロン、一生来られなかったかもですから!」
ラシェルは微妙に堅苦しくなった空気を和らげるために冗談めかすと、ベルナールは小さく短く息を吐いた。
「そう言ってもらえて良かった。では」
ベルナールは腰に手を当てるような仕草で肘を曲げ、こちらへ差し出す。そうして無表情のままラシェルをじっと見つめた。無言のまま見つめ合うこと数秒、ベルナールが小首を傾げる。
「ラシェルさん、手を……」
「え、あ……あぁ!」
エスコート!
エスコートされる文化も、そんな“良い感じ”の男性とのお付き合いもなく生きてきたラシェルには遥か遠い異国の地の風習のような感覚だった。慌てて肘に手をかけると、ベルナールに導かれるように入店した。
店内へ入ると、それまで当たり前に聞こえていた街の喧騒が一気に遠のく。格調高く重厚な雰囲気の内装と独特の静けさに、扉一つ隔てて全く別の場所に来てしまったように錯覚した。
店員に予約していた席……ではなく、個室へと案内される。ほんのりと薄暗かったエントランスとは違い、室内は窓から差し込む陽の光で明るい。
中央に白い布が敷かれた丸いテーブルが置かれ、椅子が二脚準備されている。ベルナールは椅子を引き、ラシェルは軽くお礼を口にして腰を下ろした。
ベルナールさんは慣れてるのかな、こういうの。
彼の所作には迷いがない。本物の貴族と比べてどうなのかはラシェルには知りようのないことだが、少なくとも自分の目から見たベルナールはとても洗練された男性として映った。
ダメダメ、弱気になるな~!
ベルナールさんが安心して楽しめるように堂々としなきゃ!
ラシェルは心の中で自身を叱咤し、奮い立たせる。女性だからという理由だけで、ベルナールの安心は買えない。彼が楽しめるように、きちんと準備だってしてきているのだから。
『あたし『眠り猫の微睡み』体験したことあるわよ。日替わりのオススメ茶葉三種から好きなのを一つ選んで、お菓子が運ばれてくるの。お菓子はスリーティアーズで出てきたわ』
『す、スリーティアーズ?』
『お皿が三段、棚みたいになってて、そこにいろんなお菓子とか軽食が乗ってるって言えば伝わる?』
『なん……となく……』
『わかってないわね、それ。まぁ、見たら一発でわかるから。本来貴族のお茶会は一つずつ提供されるんだけど、やっぱ三段は華やかよね。あと、他人の出入りを減らして個室でゆっくり楽しめるとこ。商売上手いわ~って母様が感心してたわ!』
『さすが商家……』
ロッティから事前知識を得ていたラシェルは、焦ることなく勝手知ったる素振りで、ベルナールに茶葉を選ぶよう勧めた。紅茶とお菓子が供されて店員が去ると、お菓子への感動よりも先に安堵のため息が零れた。
「ずっと緊張してるみたいだが、大丈夫か?」
ば、バレてる……!
「高級店とはさすがに縁がなくて。慣れないことしてる自覚はありますね……はは……」
「それにしては、この店に詳しいようだったが」
「それはロッティ……お嬢様の友達がいて、その子にいろいろ聞いておいたんです。ごちそうしてもらうくせに、ベルナールさんに恥をかかせるわけにはいきませんからね!」
そのときの意気込みが蘇ったのか、思わずぐっと握り拳を作って前のめりになっていた。ハッとして慌てて手を膝の上に片付けると、ベルナールは微かに目元を和らげた。




