第24話 今日から隣に
ベルナールからの突然の求婚と同棲を受け入れたラシェル。あれから彼の家で暮らす準備を着々と進めていた。借家にあったものを処分しながら必要なものを少しずつベルナールの家へと運び込み、二人で選んだ大型の家具類も搬入が終わっている。
今日からいよいよ一緒に暮らし始めるということで、ラシェルはベルナールと生活に必要な細々としたものを買い揃えている最中だ。そしてその最後に、ラシェルたちは紅茶専門店を訪れていた。店内には茶葉だけでなく、様々なティーセットが整然と並べられて販売されている。安価なものから高級なもの、シンプルなものから華やかなものまで目移りしそうなほどだ。
「どれでも、好きなものを選んでくれ」
ベルナールは顔色一つ変えず、促すようにそっと背中に触れてくる。ゼロがキレイに整列している値札が、彼にはきちんと見えているのだろうか。ラシェルはそれを横目で見ながら、静かに身震いした。
「本当に、私の好きなものを選んでしまって良いんですね?」
「あぁ。俺の趣味のものはもうあるから、君の好きなものがほしい」
ベルナールがいつも用意してくれる、うっすらとレース模様の入った白いシンプルな茶器もオシャレで好きだった。けれど、どうせなら日によって茶器を変えて楽しむのもいいのではと、ベルナールに言われて急遽茶器を選ぶことになったのだ。
茶器……そこまで意識したことないんだよね。
こだわりないから、家ではマグカップだったくらいだし。
「どうやって決めようかな」
「方向性を絞ってみたらどうだ? 無地、幾何学模様、草花のモチーフ……あとは茶器そのものの形か」
「うーん、じゃあ、量が入らない浅いカップはナシかな」
「そこで容量の話になるのか、君は」
「たくさん飲める方がいいでしょ? あと冷めにくいし」
ベルナールがくすりと、小さく息を吐いて笑う。最初は無表情だった彼だが、長く一緒にいるようになって、こうして小さく笑っているところが見られることも段々と特別ではなくなっていた。
それはベルナールがごく普通に笑えるようになったからなのか、遠くで見ていては気づけない小さな変化を拾えるほどに傍にいられるようになったからなのかはわからない。ただ、その特別でなくなっていく感覚さえ、愛おしかった。
緻密な絵付けをされた芸術品のようなティーセット、カップの内側にまで絵付けが施された草花のティーセット、花のような形をしたシンプルなカップのティーセット。ゆっくりと歩きながら眺めていると、一つのティーセットがラシェルの目に飛び込んでくる。
「ベルナールさん、これ! これ見てください!」
ラシェルは一際目を引いたティーセットを指差す。ガラス製で、白い雲が描かれているだけのシンプルさ。けれどカップの形は少し独特で、普通にカップと言われて想像するものより少し縦に長い。
「ガラス製の、雲の柄のティーセットか」
「ストレートで淹れたら、夕焼けみたいになってキレイかもしれないですね!」
「それは面白そうだな。これを買っていこう」
「えっ、本当にこれで良いんですか!?」
「もちろん、君が気に入ってるなら。まだ迷いたいなら、待つが……」
ベルナールは、このちょっと変なティーセットに何も言わなかった。あのレースのような白いティーセットを思えば、きっとこれは明らかに趣味ではないはずなのに。それでもラシェルの選択をあるがままに受け入れて、面白がってくれる。堅物に見えて意外と寛容なところが、自分を曝け出していいと思える安心感を与えてくれていた。
「いえ、これが良いです」
「そうか。なら、ついでに青い紅茶の茶葉も買って帰ろう」
「紅茶なのに、青?」
「知らないんだな。なら、見てからの楽しみに取っておくといい」
ベルナールはいたずらっぽく、少しだけ声を弾ませていた。早速ティーセットと青い紅茶の茶葉を購入する。青ということは、あのティーカップに注げば青空のようになるということだ。ラシェルが見つけた面白そうなものを、一緒に楽しもうとしてくれていることが嬉しかった。
支払いを済ませて、店を出る。これで今日買わなければならないものは一通り買い揃えられた。色違いのコロンとした形のマグカップに、同じ形の揃いのカトラリー。他にも食器やタオルなども新調した。
本当に、始まるんだ……二人暮らし。
小さくて細々としたものばかりだが、それが少しずつ一緒に暮らすことを現実のものにしていく。それがくすぐったくて、温かくて、駆け出したくなるくらいの喜びを感じていた。
「ラシェルさん」
ベルナールの菫色の瞳が、柔らかくラシェルを見つめる。荷物を持っていない方の手が、ゆっくりと差し伸べられていた。
「嫌でなければ…………その、手を……」
彼の視線が、ぎこちなく彷徨っている。微かな緊張を受け取りながら、彼の手を取り、そっと握りしめる。
「繋いで帰って良いんですか?」
「あぁ。ありがとう」
握りしめた手を、大きくて温かな手が握り返してくる。剣を振るっているせいか少し皮膚が固くて、骨張っている。こちらの手を、ベルナールはどう感じているだろうか。
治癒術師とはいえ、薬品や水に触れることも多い手だ。もしかしたら想像していたより、カサカサしていると思われているかもしれない。けれどそれでもいい。ベルナールはきっとそんなことでガッカリはしないだろうから。
「へへ……恋人みたいですね。私、ベルナールさんとこういう感じ、ちょっと憧れてたんですよね」
「恋人ではなく、もう夫婦だろう」
夕日の朱を受けた菫色の瞳が、熱っぽく切なげに閃いたような気がして、一瞬言葉が詰まる。繋いだ手の、指先の体温が上がったのか、少し熱い。
「……それはそうですけど、憧れたときは恋人として想像してましたから」
「そうだったのか。もっと早く気づいて手を繋いでいれば……」
「そんな、ちょっと後悔してる、みたいな声出さないでくださいよ?」
私、今すごく嬉しいんです。
勇気を出してくれて、ありがとう。
「そんな声していたか?」
「してました、してました」
ベルナールは何度か咳払いをしてから、小首を傾げる。そんな真面目な様子がかわいらしくて、思わず頬が緩んだ。
言わなかったのに、夢……叶ったんだ。
じんわりとこの瞬間の胸の高鳴りに心を委ねる。それは甘いお菓子を口にしたときの、頬の奥がじんと痺れる感覚にも似ていた。
* * *
食事、生活、帰る場所を共にする初めての日の夜。見慣れない部屋に、新しい寝具の匂い。ラシェルは真新しい大きな寝台の端で、すでに身を縮めながら横になっていた。
寝室も、寝台も、今日から一緒……!
少ししてベルナールが寝室へと来ると、すぐに明かりが落ちる。衣擦れの音がしたかと思うと、布団の中へと入ってくる気配がした。
「そんな端の方で落ちないか? まだ十分余裕はあるが」
「大丈夫ですっ。こう見えて寝相は悪くないんで……はは……」
ラシェルは重石のように端に留まる覚悟を決め、じっと目を閉じて眠りを待つ。明日は仕事なのだから、睡眠はきちんと取らなくてはつらい。これからこれが当たり前になるのだから、ベルナールと一緒というだけで一々「眠れない!」なんて軟弱なことを言っている場合ではないのだ。
大丈夫、戦場でも寝られたんだから。
目を閉じてれば、気づいた頃には朝──
神官の詠唱のように心の中で言い聞かせていると、不意にするりとお腹のあたりにベルナールの手が触れる。そのまま絡みつくように腰の方へと回され、ぐっと彼の方へと引き寄せられた。
背中がベルナールの体に密着し、布越しに体温が染み込んでくる。彼の抱きしめている方と反対の空いた手がラシェルの髪を柔らかく梳くと、指先がうなじにさわさわと触れてくすぐったい。
そのまま髪を掻き分けたかと思うと、うなじにそっと唇が押し当てられる。小さく吸いつくような感触と微かな吐息の熱に、ギュッと息を詰めながら身動いだ。
「ぁ……すまない、つい……嫌だったか?」
「あっ、嫌とかじゃなくて、ちょっと驚いただけです」
「なら……このまましばらくくっついていても良いだろうか?」
「はいっ」
後ろから抱きしめられたまま、ベルナールが首筋に顔を埋めてくる。そのまま手の甲を覆うように指を絡められ、親指で小さくさすり始めた。それはラシェルがここにいるのを、ひとつひとつ確かめているような優しい触れ方のように感じていた。
ベルナールさんって、結構甘えたいタイプ、だったのかな?
また新しい秘密を知ってしまった気分……
「ラシェル……」
耳元で、低く潜められた囁きが吐息と共に耳を撫でる。きゅうっと胸の奥が締めつけられ、一瞬だけ無意識に息が細くなった。
「ベ、ベルナール、さん?」
「これからは、ラシェルと呼んでもいいか? 俺のことも、ベルナールと呼んでほしい」
淡々としたお願いの声なのに、抱きしめる腕が強く深くなり、体がベルナールへと包まれていく。それはまるで懇願と恐れが混じっている仕草のように思えた。
「わかりました。えっと、ベルナール……」
「ありがとう」
ふっと、小さく笑う息が聞こえ、ベルナールが額をそっと擦り寄せてくる。彼の体温から「離れたくない」が伝わって、包み込む熱も感触も全てが甘くて、ふわふわした。
体の向きを変えてベルナールを見上げると、暗闇に慣れた目が彼の顔をぼんやりと捉える。蕩けるような熱を宿した菫色の瞳に見つめられ、ラシェルの体はつま先までじわりと熱を灯し始めていた。
「やっと、こっちを向いてくれたな」
ベルナールの手が、優しく頬を撫でる。その心地良さに目を閉じると、緊張で固まっていた体の強張りが緩やかにほどかれていく。
緊張してたはずなのに、触れられると安心するの……不思議だなぁ……
初めて想いが通じ合った日もそうだった。ベルナールとの近さを想像して緊張するのに、いざ何度も触れられると感触と体温に何もかも溶けてしまう。
「ラシェル。君を愛してる」
「ベル……ナール、私も……」
名前を呼ぶ声に、想いを伝える囁きに、蕩けてしまいそうになる。そうしてラシェルは額に落とされる口づけの甘さに浸りながら、彼の体温をゆっくりと受け入れていった。




