第23話 傍に君がいてくれるから【ベルナール視点】
ラシェルは思い切りの良いところがあるかと思えば、妙に義理堅くて遠慮しがちなところがある。頑なに寝台を使うことを拒むラシェルを説得するのは諦め、彼女が眠くなるのを待つことにした。
「すごい、手際ですね……するする~って、編み目が……蔓みたいに伸びて……」
会話を交わすラシェルの声が、ゆっくりと途切れ途切れになっていく。横目で見ると、眠そうに何度もまばたきを繰り返しながら、毛糸を編んでいくベルナールの手元をじっと眺めていた。
力はほとんど抜けきっているのか、こちらの肩にもたれかかっている。それから間もなく、ラシェルから気持ち良さそうな寝息が聞こえてきた。
静かに伏せられた先のまつ毛、薄く染まった頬、柔らかく閉じられた唇、一切の警戒のない無防備な寝顔をラシェルは晒している。それは、これ以上ないほどの信頼の証のように思えた。
他意はない……わけではない。けれどその言葉を誠実に履行する人間だと、彼女は信じてくれた。これほど嬉しく、誇らしいことは他にない。
ありがとう、ラシェルさん。
俺の想いを受け取って、信じて、ここにいてくれて。
遠慮なく寄りかかるラシェルの重みと体温が、愛おしくて離れ難い。けれどこのままの体勢でソファに寝かせておく気は更々なかった。
ベルナールは名残惜しさを胸の奥にひっそりと沈め、彼女の体を横抱きにした。起こしてしまわないように音や振動に細心の注意を払い、寝台へと運んだ。
窓から差す薄暗い月明かりに、ラシェルの優しい寝顔が浮かび上がる。いつもはまとめられた髪が下ろされている。そっと彼女の頭に触れ、髪を指で梳くように控えめに一度だけ撫でた。
「おやすみ、ラシェルさん」
返事は返ってこない。冬の冷えた部屋の空気に吸い込まれて、あっという間に静寂に戻る。けれど寂しさはない。それは、おやすみと言える人が傍にいることの温かさが、ベルナールの心を包んで放さなかったからだ。
* * *
ベルナールが所属しているのは、騎士団の中の機動小隊という隊だ。斥候を除けば、一番最初に出撃するのがこの機動小隊であり、有事の際はほぼ確実にどこかの機動小隊が指名される。実動部隊という印象が強く、実態もそれに近いのだが、さすがに小隊長ともなると報告書などの内務作業に追われる日もある。
粛々とこなしているように見られるが、実のところあまり書類作業は好きではない。口数の多くない人間が、雄弁に痒いところに手が届くような文章を作成できるわけがないのだから。
副隊長のリュカと共に机に向かっていると、リュカも飽きてきたのか思いついたようにベルナールへ話しかけてきた。
「そういやさ、なんか最近のベルナールって変わったよな。笑うようになったっていうか」
「そう、なのか?」
あまり自覚はない。ペンを握っていない方の手で頬や口元を探ってみたが、別に笑っている感じもなさそうだ。どの辺にそんなことを感じているのか、ベルナールにはさっぱりだった。
「自覚なしかよ。みんなもベルナールの表情が柔らかくなってて怖いって言ってるぞ」
「柔らかくなったのに怖いのか?」
「顔の怖さじゃなくて、急激に変わったのが不気味って意味だろ。で、何か良いことでもあったのか?」
「良いこと、か」
だとすれば思い当たることは一つしかない。あれからベルナールは、ラシェルと一緒に暮らすための準備を始めている。彼女に合鍵を渡し、時間のあるときに荷物を少しずつこちらへと移してもらっているが、一度仕事帰りにバッタリと鉢合わせたことがあった。
『今帰りですか? おかえりなさい!』
そう言って出迎えられた瞬間、痺れるような熱が全身を駆け巡ったことを鮮明に覚えている。家の中に愛する人がいてくれることの喜びがどんなものかを知った。
少し前、ラシェルの故郷へ行き、挨拶を済ませた。その後、ベルナールの育ての親である叔父夫婦にも挨拶をした。
ベルナールは早々に家を出て、叔父夫婦にろくな恩返しもできていない。けれど叔父夫婦は、まるで自分の息子のことのように喜んで祝福してくれた。
結婚式はラシェルの両親と羊たちだけで、小さくやろうと話していたが、叔父夫婦も来てくれることになっている。
家族の中で自分だけが浮いていると思っていたが、それはベルナールの勝手な思い込みでしかなかったのかもしれないと気づいた。そう思うことができたのは、浮いていることを恐れている自分に寄り添い続けてくれたラシェルがいてくれたからこそだろう。
「守りたい人ができた」
「へぇ、それは良か……は!? 守りたい人ォ!?」
「あぁ」
「あぁ、じゃねぇんだよ! 誰だ? いつの間にそんな人が?」
「ラシェルさんだ。診療院で働いている」
「……誰だ?」
診療院で働く治癒術師は多い。ただ仕事でやりとりしているだけなら深い接点はできず、リュカの反応も仕方ない。
「別に隠してないし、そのうちにはわかるだろう」
ラシェルと一緒に暮らすと決めたとき、二人で話し合ったことがある。それは「関係を隠さないこと」だった。
『私たちって、別に後ろめたい関係じゃないですよね。隠したいのは趣味だけで。私……もっと堂々とベルナールさんと一緒にいられるようになりたいんです』
まっすぐな眼差しと、自分との関係を胸を張って認め、認めてもらいたいという姿に、強く胸を打たれた。ベルナールとしても、ラシェルとの関係を隠そうとは思っていなかった。
今となっては趣味も、知られても平気かもしれない。ラシェルがありのままに受け入れて、愛してくれるからこそ、浮いてしまっても怖くないと思えてしまう。それくらいベルナールの中で、ラシェルの存在は大きな支えにもなっていた。
「けど、面白半分で絡まないでくれ。俺のせいで迷惑はかけたくない」
とはいえ、無表情で色恋とは縁遠かったベルナールがまさに突然『閃雷』の如く結婚することになった。部下たちがざわざわと落ち着きをなくしている姿が容易に想像できる。
ただでさえ、ラシェルにはすでに一度迷惑をかけている。なんでもラシェルがベルナールと結ばれたことを受け入れられない治癒術師が何人かいたらしく、少し空気が変になったらしい。彼女の友人のロッティや院長、理解のある治癒術師たちがラシェルに味方し、彼女らを宥めてくれたおかげで今は元通りに戻っている。
やっと落ち着いてきたというのに、こちらの部下が診療院に行って誰がラシェルなのかと探し、仕事の邪魔をするわけにはいかない。そのあたりはきっちり締め上げておかなければ。
「わかってるよ。みんなにも、やめとけよって言っておくさ」
「それで聞いてくれれば良いが……」
「聞く聞く。ベルナールの締め上げはキツいってわかってるからな」
「キツい? 他人に迷惑をかける行為を積極的に行うのであれば当然だろう」
「そういうとこだよ」
別に体罰を与えたり、精神的に追い詰めるようなことはしていない。規則違反は騎士団規則に則って罰し、浮ついて他者に迷惑をかけたり危険に晒す行為は重い訓練を課すことで戒め、周囲から後れを取っている分を取り戻させているに過ぎないのだが。
リュカの言葉を汲み取りきれず首を傾げるベルナールを見て、彼は苦笑しながら肩を竦めていた。




