第20話 あと少し届かない指先を握りしめて
「か……完成しました……本当に完成しました! もう、全部ベルナールさんのおかげです! ありがとうございます!」
「さすがに全部は言いすぎだ。ラシェルさんが諦めずに編み続けたからこそだろう」
ベルナールは余程見かねたのか、編み物再開後は手元を寄せて、隣に並べるようにして一動作ずつ丁寧に指導してくれた。どこの目にかぎ針を通せば良いかわからないときも、指で差して教えてくれた。物覚えが悪くて、全く上達の兆しもなかったラシェルに根気良く優しく最後まで付き合ってくれていた。
出来上がった外套は、ベルナールの提案でポンポンつきのリボンで前を閉じられるようにした。
ラシェルの編んだ白いポンポンがついた赤い外套はクランに、ベルナールが手本を兼ねて編んでくれた茶色のポンポンがついた淡い黄色の外套はレモニーに着せられている。
見比べると完成度が雲泥の差で、少しクランがかわいそうではあるが、そこは仕方ない。色は名前の由来に合わせて選んだが、よく似合っていて大満足だった。
「空いた時間で帽子を編んでみた。これで頭の毛も再現できるな」
「帽子もかわいいですね! この着膨れしたもこもこ感、冬の羊たちを思い出します」
ベルナールは羊の体の毛代わりに編んだセーターと同じ色の毛糸で、毛糸の帽子を編んでいたらしい。帽子の天辺にはポンポンがついており、耳が帽子から出るように細かなところまでこだわって作られている。小さな帽子を被った羊のぬいぐるみたちは、すっかり冬の装いになっていた。
「って、え? 外真っ暗……!?」
不意に視線を窓の外へ向けると、すっかり日が暮れてしまっている。裏庭が見えていたはずの窓は黒く塗り潰され、隣家の明かりがぽつりぽつりと見えるだけだ。
「すまない。残り少しだと思ったら、集中しているとこに声をかけるか迷った」
「いえっ、むしろこんな遅くまでお邪魔してしまって、私の方が申し訳ないくらいで……! 本当に今日は何から何まで迷惑かけ通しで──」
慌てて荷物をカバンに詰め始めると、その手を止めるようにベルナールに手首を掴まれる。しっかりとした強さはあるが、痛くもない力加減に思わず顔を上げ……ぎこちなく鼓動が跳ねた。射抜くようなベルナールの菫色の瞳は蝋燭の炎のような静かな揺らぎを灯し、微かに下がった眉が少しだけ悲しげに見えた。
「困るなら、もうとっくに声をかけてる。焦らないで、落ち着いてくれ」
「は、はい……」
「……ぁ、失礼した」
手を掴んだのは無意識だったのか、ベルナールはハッと弾かれたように自身の手を胸元へと引っ込める。
「今日のことで、俺が迷惑に感じたことは一つもない。だからあまり気を使いすぎないで、楽にしていてくれればいい」
「ベルナールさんって、本当に……どこまでも優しいんですね」
「買い被りすぎだ。誰にでも優しい人間に『閃雷』などという異名はつかないからな」
確かに、そうなのかもしれない。けれど『閃雷』として戦うベルナールを、ラシェルは見たことがない。英雄的で、物騒で、力強いのに、閃いた一瞬後には影も形もなくなっていそうな危うさを、人づてに聞いたことがあるだけだ。
「でも、『閃雷』を私には向けないじゃないですか。だから私は、優しいベルナールさんしか知らないです」
「……そうか」
ラシェルはカバンの中へ荷物を片づけ終え、使ったティーカップと小皿をトレイの上へと戻してから立ち上がる。
「今日はありがとうございました。ベルナールさんが手伝ってくれて、すごく嬉しかったです」
「俺で力になれることなら、いつでも声をかけてくれ」
ラシェルはベルナールに挨拶し、彼の家を後にする。もしベルナールのことを隠さなくても良いのなら、どこか軽く夕食にでもと誘いたかった。けれど、夕食は互いに一人でも行ける。不必要に誰かに見られる危険は避けるべきと遠慮し、ラシェルは道すがら軽食を買って帰路についた。
* * *
冬も深まり、もうすぐ一年が終わる。王都でも雪がチラつく日が増え、故郷のある北側の山はすっかり真っ白になっている。きっと実家も雪が降り積もっている頃だろう。
あ……あれおいしそう!
この季節はなんだか無性にチョコレートが食べたくなるんだよね。
通りを歩いていると、チョコレートを使ったケーキがガラス越しに見える。白いクリームに赤いベリーソースがかかっており、かなりベルナールが好きそうな雰囲気だ。ラシェルはそのケーキを、次の手土産候補に加えることにした。
街を歩いていると、恋人同士や夫婦と思しき男女の姿が目に留まる。どういうわけか、冬になるとやけに多くなる印象がある。それは自分が冬の寒さに人肌恋しくなるせいで気に留めるようになっているだけなのか、実際に一年の終わりを祝う祝祭に向けてそういう人たちが増えるからなのかはわからない。
どちらにせよ、一年最後の祝祭の日すらラシェルは仕事だ。治癒術師には祝日も祭日もない。粛々と交替で休みを取るだけだ。
そういえば──
祝祭という言葉に、ふと少し前の同僚の話を思い出す。
『祝祭に誘いたくて、ベルナール様にカフェに行きませんかって声をかけてみたけどダメだった。ラシェルとパンケーキ食べてたって話、本当だったの?』
『あら、そんな前のことよく覚えてましたわね。もう忘れかけてましたわ。確かあれはラシェルへのお礼で、ラシェルからお願いしてついて行ってただけみたいでしたけれど……』
『でも、ベルナール様も一皿注文されてたって言ってたでしょ? 慰労会で、甘いものがお好きって言ってたって話も違ったってこと?』
『うーん……どうかしら?』
シモーネと、以前からベルナールに憧れを抱いている同僚ポーレットとの会話を偶然聞いてしまった。それも自分の名前まで出ていて、なんとも診療室に戻りづらかったことをよく覚えている。
でも、なんでベルナールさんは断ったんだろう?
甘いもの好きを受け入れて、一緒に行きたいと自分から誘ってくれる人が現れた。それはベルナールにとって何よりありがたい申し出であったはずだ。平民出身の貧乏治癒術師ラシェルに、もう奢り続ける必要がない。裕福な家に生まれた治癒術師ポーレットと、対等に食べに行けるのに。
それだけ、私と行きたいって思ってくれてるってことで良いのかな。
ベルナールさん友達少ないみたいなこと言ってたし、初対面の人よりは私と行く方が気楽だもんね。
あれ……私、ベルナールさんの交友関係狭めてないよね……?
気を許せる友人になれていることは素直に嬉しいが、そのせいでベルナールの可能性が閉じては困る。せっかく理解者が一人増えるはずの絶好の機会を、「気楽だから」という理由で逃してしまって良いのか。
そう思うのに、それをベルナールに直接指摘する気にはあまりなれなかった。もしそれを受け入れて、ポーレットや他の友人と行けるようになったら、当然会えない日も増える。それが……ものすごく寂しくてたまらない。
最低……知ってて黙る方を選ぶんだ、私。
ベルナールさんの可能性を、私が握り潰すんだね。
たくさんの選択肢の中から、一緒に行きたい人として自分を選んでもらえる自信はなかった。騎士団にはもっと気心が知れた人がいるだろうし、ポーレットは裕福な家の生まれというだけでなく、治癒術師としても頼れる年上の美人さんだ。
ベルナールは診療院でも人気のある人だった。怪我をしてこない有能な人で、異名がつくほど功績を残して、愛想はなくても紳士的。彼に憧れを抱いているのは、何もポーレット一人だけではない。
貧乏で、平凡で、顔も普通だし。
奢られてばっかで、実家はド田舎で羊しかいないし。
手芸だって全然向いてないから、同じこと楽しめる人でもないし。
ベルナールさんにとって私って、一緒にいる利点なさすぎだよね。
冬の寒さが、じわりと爪の隙間を割って染み込んでくる。冷たくかじかんだ指先を丸め、手のひらの中にギュッと握りしめる。まるで、ベルナールと一緒に過ごした楽しい時間を手放せず、駄々をこねてうずくまる自分自身の姿のように。
楽しげに笑い合う恋人たちが、ラシェルの横を通り抜けていく。当たり前のように見つめ合って、手を繋いで。手を繋いだら、このかじかんだ手も少しは温もりを取り戻すだろうか。
いいなぁ……私もベルナールさんと、あんなふうになれたらな。
心の奥で呟いたひとりごとに、引き絞られるように胸の奥が痛む。軋んで、悲鳴のような音を立てて。それをため息に込めて吐き出すと、白くなった息が淡く空気に溶け、音もなく消えた。




